第10話
佳子さんは、何か言いたそうな感じだったけど、
僕が先に次の言葉を言ってしまった。
僕 「これからも、がんばってください」
佳子 「石井くんも」
「石井くんは私のいきたかった道を生きてるから、
がんばってね」
僕 「はいっ」
僕が高校生のように返事をすると、
佳子さんを乗せた電車は、ドアが閉まった。
ゆっくりと滑り出す、ステンレスの車体。
僕は代々木駅の長いホームの端まで、
佳子さんの電車を追いかけた。
そして、赤いテールランプが見えなくなるまで、
ずっとホームから、電車を見つめていた。
僕、また、泣いてしまう。
いや、泣いちゃいけない。
そういえば、さっき、
好きなもの大全を並べたとき、
こんな会話があった。
僕 「一番好きな歌って、何ですか」
佳子 「昭和歌謡だから、石井くん知らないよ」
僕 「そんなことないですよ。
僕も、昭和歌謡フリークです」
佳子 「へー、じゃあ、知ってる?『涙をこえて』。」
僕 「え!ほんとですか!僕、死ぬほど好きです!」
佳子 「ほんとに?すごーい」
涙をこえていこう、なくした過去に泣くよりは。
つらいことがあっても、涙をこえて。
だから、涙をこえていく。
あの歌のとおりじゃないか。
この歌、なんだか最近縁があるなあ。
ああ、昭和ってなんていいんだろう。
そして、僕はまた目を閉じて、夜空を見上げた。
涙をこえて。
涙をこえて。
僕は、歩き始めた。
その後、僕はどうやって帰ったのかよく覚えていない。
やや放心状態のまま、家に帰った。
それが、まずかった。
みわちゃんが、気づいた。
僕 「ただいま」
みわ 「お帰りなさい」
みわ 「誰と、会ってた?」
僕 「ああ、高校時代の先輩にね」
みわ 「女性、でしょ」
僕 「…そうだけど」
そこで、長くて、妙な沈黙が流れた。
みわ 「最近、なんか流れが違うのよね」
僕 「流れ?」
みわ 「そう。絶対違う」
僕 「何の流れ?」
みわ 「その女性に、
影響されている流れなんじゃない?」
みわちゃんが、真を突いた。
僕 「たしかにね、その女性に影響されてるかもね」
みわ 「どんな人なの」
僕 「…話すと長くなる」
みわ 「やましくないの」
僕 「やましくない」
みわ 「ほんとに?」
僕 「ほんとに」
みわ 「そう?」
僕 「うん」
みわ 「…お風呂行ってくるね」
そこで話は終わった。
まあ、いいじゃないか。
僕はやましくないんだから。
でも、ちゃんと説明しとくべきかだったかな。
いやいや、でもそれって面倒くさいし。
そこで僕は気づいた。
佳子さんには、面倒くさいことをやるのに、
みわちゃんには、面倒くさいことをしない。
これ、なんでだろう。僕には、まだわからなかった。
やがて、みわちゃんが風呂から上がった。
妙な沈黙を、まだ引きずっている。
みわちゃんは珍しく、
冷蔵庫を開けて、缶ビールを持ってきた。
やくざにプルタブを開けて、ぐいとビールを飲んだ。
缶を持ったみわちゃんは、
僕におもむろに近づいてきて、言った。
みわ 「石井さんに、話してないことがある」
僕 「何?」
僕の心は、ざわついた。
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