417 イグとレオンとエアストと
泥水に這って進むような訓練は行わなかったのに、夕方頃になるとレオンは立ち上がれなくなった。
エアストが心配そうにきゅんきゅん鳴くため、シウは訓練を中止した。
この日はイグのところに行って泊まるつもりだったから、夕方まで目一杯森に居座った。
フェレスたちは夕方まで森で遊べたからか満足そうな様子で戻ってきた。
人間組はやや疲れた顔だ。
勝負がつかなかったらしい。ククールスは勝負事に真剣になる性質ではないから、残り二人に無理矢理付き合わされたのだろう。
「じゃ、全員揃ったから転移するけど、いいよね?」
「……ああ」
躊躇い声はレオンだ。彼には先日いろいろとバラしたばかりである。その中には古代竜イグのことも話してあった。同じパーティーで動いている以上、知っておいてもらった方がいい。
レオンもそれは分かっている。
「……俺は、俺は我慢できる。いや、できるかどうかは分からないけど覚悟はできている。だけど、エアストは違う」
「エアストはまだ幼獣だから案外大丈夫じゃないかな」
「シウ、シウ、おーい。お前のその脳天気なところ、俺は好きだけどな?」
ロトスが突然会話に入ってきた。いつもの突っ込みのようだ。シウは一つ頷いて、胸を張った。
「エアストは僕の空間魔法か結界魔法で囲うよ。精神耐性も掛ける。あ、首輪にも防御があるからね。それなら威圧も受け難いんだ」
「その優しさをレオンにも分けてやれ?」
「あ、うん。そうだね」
答えてから、シウはハッとした。あることを思い出したからだ。
「レオン、手を繋いで行こうか」
「は?」
「今まで、怖いって怯えた人はみんな手を繋いでイグに挨拶したんだ。ね、レーネ」
「ああ、そうだったね。シウ様と一緒だと安心したよ。レオン、そうしな。本当に楽になるから」
「いや、あの――」
「黒歴史以外の何物でもないと思うけど、レーネはそうだろうよ。てか、バラすんじゃねえ、シウ」
「ロトスのことは言ってないよ」
「バルやんのことだ」
「それこそ、まだ言ってなかったのに」
シウとロトスが言い合っていると、レオンは肩の力が抜けたようだ。
エアストを抱き締め、溜息を漏らした。
シウの《転移》でロトス命名のジュエルランドへ到着すると、レオンとエアスト以外が各自行きたい場所に行ってしまった。
彼等の自由な態度について、シウが言えることはない。
ただ、先ほどまでレオンのことを心配していたはずなのに、と思わないではなかった。
そのレオンだが、かなり離れた場所であったにも関わらず動けなくなった。
見て分かるほどに冷や汗をかいている。そして主の恐慌状態が分かるのだろう。エアストも固まってしまった。
ただ、エアストは鳴くことができた。
「きゅぅぅん……」
助けて、怖い、という感情が声に混ざっている。シウの結界魔法や首輪の補助だけでは無理があったようだ。
会わせるのはいつだっていい。シウはふたりを連れて、元の場所へ戻ろうと考えた。が、レオンの視線がシウに向いた。
口を開くことはできないが、それでも必死で何か伝えようと頑張っている。その瞳が訴えていた。
「まだ、頑張れる?」
レオンはゆっくり頷いた。
ただし、視線がエアストへ向く。彼のことだけが心配だと、その瞳が語っていた。
「エアストは僕が抱っこしてもいい?」
レオンは頷いた。シウはエアストを引き取り、優しく撫でた。
「大丈夫だよ、エアスト。怖い敵ではないんだ。ただ、強大すぎて畏れを抱いただけ。決して悪いことではないからね。相手は神様のようなものだ。とても上の存在だよ。ふたりが震えるのは当然のことなんだ。ほら、フェレスたちを見てごらん」
エアストを、あえてイグたちの方へ向けた。レオンからも見えるように体をずらす。遠く離れているが、ふたりには見えたはずだ。
そこではイグに宝物自慢をするフェレスとブランカがいた。クロは「きゅぃきゅぃ(そんなの見せるの?)」と心配げだった。
スウェイは及び腰だったのだが、そこは年の功か、あるいはシウの渡した首輪のおかげかククールスに連れられてそろそろと動き始めている。
しかし、それに気付いたブランカが突撃してしまった。
「ぎゃぅ!」
「ぐぎゃっ」
ああ……と、見ていた全員が妙な溜息を吐き出した。
ブランカはスウェイの尻に頭突きして押し出したのだ。「何をするんだ」と怒るスウェイに、ブランカはお姉さんぶった返事をする。
――怖いの? イグおじさんは怖くないよ! すごくいいおじさんだから!
スウェイは気まずい様子で「そうか」と答えている。それから、何を思ったのかブランカに頭突きした。彼女は喜んだ。
「ぐぎゃ。ぎゃうぎゃう」
「ぎゃぅ」
――ブランカ、お前が紹介しろ。
そう言ったスウェイに、ブランカは「いいよー」と呑気に返す。
「ほら、あんな感じだよ。見ててごらん」
シウが笑ってエアストを見ると、彼はじいっと皆の様子を観察していた。この子は賢い子だ。冷静に状況を判断しようとしている。
チラッと見たレオンもまた、心が落ち着いてきたようだった。
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