349 出発、転移、当面の住処
土の日の朝、シウたちはゲハイムニスドルフを出発した。
バルバルスの両親はもう泣いていなかった。笑顔で――無理に作った笑顔だったが――息子を送り出した。
バルバルス自身も悲壮な様子はなかった。真剣な顔をして見送りの者たちを見ている。
「立派になって戻ってくることを待っている。必ず、戻ってくるのだぞ。お前のことを皆が頼りにしている。それは能力者レベルや封印魔法のスキルを持っているからだけではない。お前のような、人を率いる強い意思を持った人間が村には必要なんだ」
「長老……」
「矯正されて帰ってくるといい。待っている」
それには返事をしなかったが、バルバルスは小さく頷くような仕草を見せた。
彼等の別れの挨拶を待っている間、シウたちは少し離れていた。ロトスがちょいちょいと服を引っ張るのでシウが見ると、彼の視線が上へ向く。二人して外壁の途中にある矢狭間に視線を飛ばすと――、思わず笑った。
「人の気配は感じるんだけど」
「いるって絶対。精霊が舞ってるから、たぶん爺さんもいるはず」
「《感覚転移》で視たいような――」
「視ちゃえよ。どんな顔してるのか気になる」
ひっひっひ、とロトスが変な笑い方をする。シウは肩を竦めた。
視たいと言ったものの、シウは視る気はなかった。隠れているのだ。暴く真似はすまい。
「素直じゃないよなー。皆と一緒に見送りへ来りゃいいのに」
「恥ずかしがり屋なんじゃないかな?」
「自分の親族だからって、良いように言うじゃんか」
「なんとなくね」
(前世を思い出したんだ)
(シウってば、前世あんなだったのか)
(不器用というか。今思うと、頑なで引きこもってた)
(はは。んじゃ、見てて痛々しいとか思ってんの?)
(痛々しい、のかな……)
ちょっと落ち込んでしまったシウだ。
ロトスはお腹を抱えて笑いだし、クロに突かれていた。
「いて、いて。シウをバカにしたんじゃないってば。もう! ほんと、シウ大好きっこめ!」
「きゅぃ!」
何故か「えっへん」と誇らしげな気持ちが流れてくる。クロはロトスから「シウ大好きっこ」と言われるのが嬉しいらしい。
シウがほんわりしていると、フェレスとブランカが騒ぎ始めた。ロトスに体当りしている。
「あ、ほら、クロが突くから! フェレスもブランカも突撃すんのやめて。マジで!」
騒ぎ出した彼等を放って、シウはもう一度矢狭間を見上げた。
精霊の視線を使って視ているだろう大伯父に向かって、軽く頭を下げる。
シウには視えない精霊たちが、どう伝えたかは分からない。
けれど伝わった気がする。だからもういい。
シウはヒラルスたちのところへ、そろそろ出発すると告げに向かった。
ゲハイムニスドルフから竜人族オリーゴロクスへの伝達方法は「人と人が会う」しかない。使者を送ったり送られたり、たまに遠出の狩りの最中に竜人族が様子を見に来る。精霊頼みをしようにも、精霊の言葉を聞けるのが占術師のプルクラぐらいで、あてにならない。そもそも精霊たちは伝言は苦手だ。
そうした事情から、二つの集落の間に細かい時間軸のすり合わせはない。
つまり、バルバルスが言わなければ時間的な辻褄合わせは必要ないのだ。
そしてバルバルスは誓約魔法が効いている。シウの能力について他言できなかった。
だからシウたちは、山一つを越えたところで
シウの休みも残り少ない。ゆっくりしたいところだが、それはまた次回だ。
アントレーネたちを連れ、名残惜しそうな竜人族と別れたのはその日の昼のことだ。挨拶やら何やらで時間を取った。
見送りしてもらい、また山一つを過ごしたところで《転移》する。慣れないバルバルスは目を回したようだった。地面に両手をついてがっくりきていた。
最初にバルバルスを連れて行ったのは爺様の家だった。
シウの手による厳重な結界を施しているし、人が来ないという意味では良い場所である。崖の巣も同じく人は来ないだろうが、あそこはアウレアたちの緊急避難場所という意味合いが強かった。二人のハイエルフが使うのは些か問題だ。
コルディス湖の畔にある小屋は、冒険者が稀に湖まで来ることがある。少なくとも爺様の家よりは遭遇する確率が高いだろうから却下だった。
とはいえ、爺様の家に長く住まうわけではない。ここは単なる休憩場所だ。
だからロトスの、
「ここに住まわせるのか?」
という何故か嫌そうな顔をして聞いてくるそれへ、シウは首を傾げながら横に振った。
「今日はここで休憩するだけ」
「……んじゃ、こいつどこで教育すんだ? カスパル様んとこじゃないだろーな」
「まさか」
「崖の巣はダメだぞ? あそこは俺とアウルの愛の巣だ! ……なんつって。えへへ」
自分で言い出して自分で恥ずかしがっているロトスのことは放っておき、シウは所在なげに立っているバルバルスへ告げた。
「友達のイグのところに、ちょうど人間の暮らせる小屋を建てたところなんだ」
「小屋?」
「うおーい! ちょっと待て、シウ!」
「シウ様? まさか、イグ様のところにこんな弱そうな子を連れて行くのかい!」
アントレーネには念話も使って事情を軽く話していたのだが、彼女は目を剥いて驚いている。そしてロトスと一緒になってシウを止めに来た。
「無理だよ、こんな細っこい子だよ! ぶっ倒れるに決まってる!」
「そうだぞ、シウ。お前バカだろ。絶対バカだ。いくらバルバルスに罰が必要だからって、イグ様んところはない。お前マジでやめろ」
その二人の台詞を聞いたバルバルスが、最初は眉を顰めていたというのに段々と顔色を無くしていく。
やがて恐る恐るシウの顔を窺うように見下ろしてきた。
「どれだけ厳しい場所に建ってるんだよ。もしかして本当は俺のことを許せてない――」
「厳しくないよ。たぶん、この大陸で一番安全な場所じゃないかなあ」
「おい、シウ、お前ってばもう!」
「シウ様、それは……」
ロトスとアントレーネの二人に揺さぶられながらシウは笑みを見せた。が、バルバルスは顔を引きつらせている。シウがどれだけ安全だと言っても信用ならないらしい。
「周辺を独自の結界で守っているイグだよ? よしんばアポストルスに見付かっても、イグなら守ってくれるどころか撃退してくれるって」
「また気軽に言うなぁ、おい」
「シウ様、でもイグ様はそこまでしてくれるだろうか? 人間は好きではないと言ってた気がするんだけど」
「あー、そうだった、かな」
「そうだったよ。シウ様、先に確認しといた方がいいんじゃないかな」
アントレーネに言われ、それもそうだと頷いた。シウはでも、イグに断られる気がしなかった。何故か、この繋がりが「当然」のように感じられたのだ。
こういうことはたまにある。
たとえば、また出会うだろうと思う人々との別れの場で。
でも口にするのはどこか恥ずかしく、シウは皆に留守番を頼んで《転移》することにした。
「イグに聞いてくるよ。じゃ、夕飯の準備だけ頼むね」
「了解。バルバルスにも手伝わせる」
「あたしは周辺の警戒に行くよ。子供たちはブランカに任せようかね」
「ぎゃぅー、ぎゃぅぎゃぅぎゃぅ」
ぶーたんも見回り行きたいー、と言うので、アントレーネはしようがないと肩を落としていた。
「分かったよ。あんたが行ってきな。あたしは苦手な料理の手伝いをするからさ」
「レーネも俺が教えてやるって。あと自分の子供、ちゃんと見ないと。さっき一人出たぞ」
「あれ、そうだったかい?」
「もう! クロが付いてるけどさ! シウもレーネも俺がいないとマジでダメだな!」
「にゃ」
タイミングよくフェレスが鳴いたものだから、三人顔を見合わせて笑った。
バルバルスだけはどうしていいのか分からない様子で呆然としていた。
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