268 とりあえずの始末




 口を噤んだユーリアに対して、アントレーネは身を寄せた。腕を肩に乗せて、男同士がじゃれあうような格好だ。

 けれど、力が込められている。ユーリアの顔にもじんわりと現れていた。ずしりと重い肩に、チラと視線を寄越す。が、すぐさま視線を逸らした。

「あんた、このお嬢さんを追いかけているそうじゃないか」

「……何故」

「逃げられたんだろ?」

「ちっ」

 舌打ちして、更に視線を逸らす。

「あんた、このままじゃあ、堕ちるところまで堕ちるよ。いいのかい?」

「……今更だ。俺は、あの人が欲しかった。ようやく手に入れたんだ。逃しはしない」

「ふうん。じゃあ、騎士に戻るつもりもないんだね?」

「俺は今でも姫の騎士だ!」

「その割には汚い手を使うじゃないか。とても騎士と名乗れないだろう」

 そこでユーリアが顔を上げた。ハッとして、目を見開いている。

「姫をっ、姫の行き先を知っているんだな!? くそっ!!」

 押さえ込まれていた体を動かして離れようとするが、アントレーネは更に力を強めた。伸し掛かるようにして、肘をスライドさせる。

 喉を腕で圧迫しながら、もう片方の手で騎士をやっていた男の体を押さえ込んでいる姿は、さすがとしか言いようがなかった。

 この体格だからできるのだなあと、半ば感心しつつ眺めていると。

「お嬢さんはあたしが逃した。あんたにゃ、絶対追いつけない場所さ。せいぜい追っかけることだね。その代わり、次にあんたを見付けたら、こんなものでは済まさないよ」

 ゴリゴリと締め上げたため、ユーリアは意識を失って倒れた。

「シウ様、刷り込みやってくれたかい?」

「やったよ。これで、彼女が逃げた先はティーガ国だと思っただろうね」

 アントレーネが虎獣人族だというのは、見ていて分かっただろう。だから、そこにちょっと《幻惑》を掛けてみた。

 冷静な判断力を失わせたのだ。思い込みの激しい人なら簡単だったが、ユーリアは割と常識人だったので念のためである。

 これで、アントレーネが逃したと思い込むだろう。

 起きた時には、ガーディニアの逃亡先はティーガ国だと考えるはずだった。

 このまま、気持ちが萎えてくれたら良いのだが、ストーカー気質が強そうなので無理だろう。

 こういう人は見当違いのところへ向かってもらうことにする。

 マーカーも付けたので、ガーディニアと接触しないように気をつけておくこともできる。魔道具を作ってガーディニアに渡しておくというのも手だ。


 罰せられるほどの罪を犯していない以上、彼はここで放置するしかない。

 アントレーネは本当はもうちょっときつい尋問をするつもりだったようだが、シウが付いてきたため方法を変えたらしかった。

 去る時に、生温かったかね、と溜息を漏らしていた。

 でも、シウが最後に金貨一枚をユーリアの胸の上に置いたことで、少しは溜飲が下がったようだ。

 ここは治安の良い場所ではない。

 裏通りの更に裏だ。

 そんなところで倒れていたら「酔っぱらいが寝ている」と思われるだろう。

 その後どうなるか。まず間違いなく財布を盗まれる。

 金貨が一枚、胸の上に乗っていたら、その確率は更に高くなるはずだった。

 アントレーネではないが、シウもまた気分を悪くしていたのだ。こういう仕返しは好きではないが、カミラに対する話などひどかったので、ちょっとしたお灸のつもりである。

 こんな場所へ来て、チンピラたちに仕事を頼むのだ。自分も同じような目に遭うということを、彼はもっと知るべきだった。




 シウとアントレーネは、気分を変えるために西中地区まで戻って適当な店に入った。

「カミラってのは、ありゃあ王都から完全に逃げてるね。騎士位を剥奪されたんだったら、冒険者か護衛にでもなってるだろうよ。ガーディを探すかもしれないが、今すぐってことはないね」

「そうだろうね。ガーディを助けていた人たちも本人が逃げたんだから、いずれ去るだろうし。ユーリアの位置も分かったから、とりあえず危険はないか」

「まあ、バレやしないだろうよ。まさか、あんなところにいるとは考えないさね」

 ロトスは気付かなかったようだが、アントレーネは飛竜大会が行われたときに行った街のことを覚えていたし、地理も把握していた。

 ガーディニアが預けられたローゼンベルガー家はケントニス街にある。

 ケントニス街は、カサンドラ領なのだ。

 廃嫡し追い出した娘が、まだ自領にいるとは考えないだろうし、お姫様の顔を見たことがあるのは上位の者だけだ。そんな人が、領都に降りて街を歩くとは思えないし、ましてやケントニス街のような遠く離れた市井へ行くことはないだろう。

 そして不思議なことに、王都へ逃げてきたユーリアたちも、ガーディニアがカサンドラ領へ行くとは考えないはずだ。

 逃げてきた場所へ戻る、という感覚はあまりないからだ。

「ユーリアの方が危険だから、全方位探索の強化版で魔道具を作ってみるよ」

「いいね。それならあの子も安心だ」

 それにしても、と酒を飲みながらアントレーネが呆れた顔をする。

「思い込みの激しい、非常識な部下を持ったら大変だ」

「ああ、カミラね」

「ガーディに話を聞いてみたら、カミラって女がそもそも有る事無い事吹き込んで唆したようだよ。本人はあまり気付いてないようだけど」

「そうなんだ?」

「ああ。ユーリアって男も、なよっとしていて気持ち悪かったけどさ。あたしはカミラって女の方が気持ち悪いね」

 きっぱり言い切ると、残りを飲み干して、また次を頼んでいる。なかなか早いピッチだ。今日はとことん飲む気らしい。

 シウもお疲れ様という意味もあって、付き合うことにする。

 どうせ酔わないのだ。楽しく過ごそう。幸い、この店は先ほどの店と違って飲んでいる者たちは明るく楽しそうだ。冒険者たちも多くいて、アントレーネとシウの格好を見て話しかけてくる人も多かった。

 まあ、主に、

「なんだその猟師みたいな格好は! がはは! いやあ、俺はそういうの好きだぞ!」

「田舎じゃあ、そういうの着ていたよな。懐かしいぜ。よし、俺の奢りだ」

 などと、ほぼシウがからかわれる感じで、だが。


 その日は遅くまで飲むことになり、近くの宿になだれ込んで――何故か冒険者の男たちの雑魚寝用の部屋で――寝てしまった。

 素面なので心底困ったが、アントレーネが付いていったので仕方ない。

 朝、宿にお金を払って出ていく時には彼女も我に返って何度も頭を下げていた。



 どうせ朝帰りだ。

 それなら、ガーディニアへ先に知らせようとローゼンベルガー家へ寄った。

 もちろん、シウたちが直接行って調べたなんてことは言わない。

 仲間に通信で知らせて、調べてもらったのだと嘘をつく。

 ガーディニアは少し気になったようだが、黙って最後まで話を聞き納得したようだった。

「カミラのことは気にしない方がいいと思う。ちょっとおかしな人だから、もう付き合うのは止めた方がいい。これからの立ち直りに、水を差す存在だよ」

「あたしもそう思うよ」

「……ええ。離れてみて、分かるわ。確かにおかしかった。……もちろん、自分がやったことの責任を押し付けるつもりはないわ。分かってるのよ。あれは全て自分が招いたこと。一晩ここでお世話になって、改めていろいろ考えたの。やっぱり、わたしは間違っていたし、カミラたちがわたしのためにとしたことは、おかしかった」

 彼女は流されすぎたのだ。

 自分に心酔する人の言うことを、疑わなかった。

「一人になることが、大事だったのね」

「そうだね」

「もっと考えてみるわ。そして、一人で生きていく力を付ける。……シウ、本当にありがとう」

「うん」

 本当に憑き物が落ちたかのようなサッパリした顔をしていた。



 落ち着けば、きっと彼女は本来の持って生まれた性格へと戻っていくだろう。

 育ってきた環境や、人々に振り回されることのない本来の姿へ。

 それが、良いものであるだろうことは、なんとなく分かる。

 何故なら彼女は、元々優しい人だった。やりようはおかしかったが、シウのことを気にかけて、話しかけようとしていたのだから。

 あの時、シウがもっとちゃんと彼女と話していたら、どうなっていただろう。

 自分が良い方向へ導けるとは思っていないが、もう少し親しくなっていたら彼女にあそこまで目を付けられることもなかったに違いないと思うのだ。

 物事が悪い方向へと進んでいった理由のひとつに、シウの素っ気ない態度も関係していたのではないか。

 ずっと心の奥で考えていたことだ。

 彼女がこうなった責任が全部自分にあるとは思っていない。ただ、シウは彼女に説教をできるほどの人間でもないのだ。


 つくづく、人間というものは完璧にはできていない。

 誰にも欠点はある。

 シウも欠点だらけだ。

 その日の夜にもまた判明した。


 なんだかんだで光の日も夕方までローゼンベルガー家へ居座ってしまい、転移でブラード家へ戻ったのはもう夕飯前だった。

 カスパルには、時間軸を誤魔化しながらそれとなく報告したら呆れられ、ロトスからは白い目で見られた。

 ついでに、

「お前、ちょっとどころか、おおいにやりすぎているじゃないか」

 と、先にカスパルと共にブラード家へやって来ていたレオンから怒られた。

 家令のロランドやメイドたちにシウがやらかしたことを聞かされたらしい。

「しかも、養っている子たちを置いて、どこをほっつき歩いているんだよ。朝帰りどころか、夕方だぞ?」

 ものすごく当然のことを説教され続けたのだった。

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