264 チーレムは誰だ
おやつの後は話し合いだ。
服などはエミナからアントレーネに預けられていたので、昼過ぎにヒルデガルドへ見せてくれたようだ。
問題は彼女の今後の生き方についてである。
「一番大事なことを質問したいんだけど、いいかな」
「ええ」
姿勢を正したヒルデガルドは、シウをまっすぐに見た。
シウは深く息を吸い込んで、吐き出した。
「……ユーリアとは正式に婚姻の契約が結ばれてないけれど、心の中はどうでしょう?」
ヒルデガルドは息を呑んで、手を震わせた。
「貴族の女性の結婚観が分からないので、遠回しに聞けずにすみません。その、好きでなくとも結婚はしますよね? そのつもりで、いますか?」
「……ええ。貴族の結婚は好き嫌いではありませんもの」
「でも、ええと、その。実はあなたがフベルト=クリーガー子爵とお見合いして断った話を知っているんです」
一瞬、彼女の顔に険しさが見えた。
嫌なことを思い出したのだろう。
シウは自分がつくづく女性への言葉選びがまずいことを感じながら、頭を掻いた。
それでもヒルデガルドは答えてくれる。
「……嫌いであろうとも嫁ぐつもりでしたわ。でも、それは最低限、貴族として当然の行いをしていればこそです。どのように聞いたのかは知りませんけれど、あの方は人間として醜悪でした」
「噂通りの方だったということですか」
ヒルデガルドは「噂」を知らなかったようだ。片方の眉を動かして、何のことかと考えている。そのため、シウはファヴィオから聞いた話をした。
いわゆる、彼の「眉を顰める」ほどの経歴を。
「『好き勝手に魔法を人に向けて打てないから、宮廷魔術師ではなく魔法省に入った』とか、あとは『国境での小競り合いで白旗を上げたにも拘らず敵兵士を惨殺した』というものです」
ひゅっ、と息を引き込んで、ヒルデガルドは口元を手で押さえた。
「良い噂がない方なので、あなたに同情する人もいたそうですよ」
「そう、だったのですか。てっきり、わたくしだけが悪いと……」
「お相手が悪すぎると、噂を教えてくれた方も仰ってました」
まるで、わざと見合い相手を決めたのではないかと、今なら思える。
……ああ、そうか。わざとなのだ。
シウは気付いた。
彼女の実父、あるいは身内の誰かが、彼女を完全に廃嫡させるために良くない相手を見合い相手に選んだのだ。
でなければ、そんな火種のある男を公爵家の第一子の婿にするはずがない。
最初から、そのお見合いは破談が大前提だったのだ。
ヒルデガルドはここでもまた利用された。
彼女もそれに気付いたらしい。真っ青な顔で俯いた。
「わたくし、わたし……。なんて、馬鹿なのかしら」
震える手で何度も布団を握る。
「もう、そのことは忘れましょう。それよりもユーリアとの婚姻関係をこれからも続けるつもりはありませんよね?」
貴族の結婚観を持っているのなら、たとえ嫌だったとしても関係を結んでしまえば嫁ぐしかない。不倫を許さない夫もいるそうだが、子を授かった後は自由気ままに付き合う人が多いと聞く。ただ、ヒルデガルドのような性格の人は不倫はしないだろう。
このままユーリアと婚姻関係を結んでいれば、契約がなくとも内縁関係として真実になってしまう。
今なら逃げてしまえばなかったことにできるのだ。
シウは彼女に決心してほしかった。
「……平民は、貴族のような結婚観はありませんよ?」
「それ、は」
「好きな人と結婚します。中には好きではなくとも尊敬や、あるいは打算で付き合うこともあるらしいですけど。……ようは自分で選べるということかな」
「選べる……」
「自由に選べるんですよ。生き方も」
ヒルデガルドは震える手で顔を覆った。
シウはそっと立ち上がり、部屋を出た。
扉を閉める前、静かな泣き声と赤子三人の健やかな寝息がシウの耳に入った。
夕方、コルディス湖に皆を迎えに行き、また離れ家へ戻った。
食事は本宅で摂り、ロトスたちはそーっと離れ家へと入っていく。ロトスが抜き足差し足とやるのでフェレスとブランカも真似をしていた。彼等は大きいので一階の作業部屋で寝ることが多い。クロも付き合いで一緒にいる。
アントレーネがヒルデガルドの食事の世話を済ませて降りてきたので、様子を聞いてみた。
「どうだった?」
「よく食べてるね。良い傾向だよ」
「そっか。少し、話をしても大丈夫そうかな?」
「ああ。シウ様のことを気にしていたし、行ってあげると良いんじゃないかな。……ロトス、あんたも覗いてきたらどうだい?」
「えっ、俺?」
「気になってしようがないんじゃないのかい? 別に取って食われるわけじゃない。会えばどんな人かは分かる。ああ、そうだ、美人だよ?」
「なんだよ、それ。俺は別になぁ――」
「まあまあ。彼女もロトスを見たら気持ちが明るくなるかもしれないし」
気分が変わるだろうと思ってのことだったが。
「なにそれ。俺、お笑い要員ってこと? ひでえ、シウ!」
「ええー?」
「ふん! 俺は別に美人だから会うんじゃないぞ。ただ、シウに妙なことをしでかさないように、どんな奴か見に行くだけだ」
見に行くことは決定だったのか。
シウは笑い出しそうになるのをこらえて、二階に上がった。
ヒルデガルドは知らない人間が入ってきても嫌がることはなかった。
ただ、不思議そうにロトスを見た。
認識阻害を掛けているため、確たる「これ」というものを感じないのだろう。
どこにでもいる人間にも見えるし、整った顔付きの青年のようにも思えるものらしいから。
彼女は魔力もあるし、元はと言えば能力の高い女性だ。
なんとなく感じるものはあるだろう。
「こちら、僕の仲の良い友人。仲間でもあるから紹介しておこうと思って」
「ロトスです。シウの冒険者パーティーに入ってます」
「わたし、は」
言い淀んだのは、名前がないからだ。シウは慌てて口を挟んだ。
「名前、考えてみたんだけど」
「本当!?」
思いの外、喜ばれた。ヒルデガルドは頬を上気させてシウを見上げてくる。そんなに嬉しいのかなと思いつつ、シウは椅子を寄せて座った。これで目線が合う。
何故かロトスが突っ立ったままなので、シウは彼の腕を引っ張って座らせた。
「どういった名前なの?」
「えーと、ガーディニア、というのはどうでしょうか」
「ガーディニア……」
「愛称は、ガーディです」
ヒルデガルドはハッとして、シウを見た。
「その、幼少期には、あなたの名前の愛称もガーディではなかったかと思いまして」
通常はヒルデと短縮されるらしい愛称だが、ガーディとも呼ぶらしいことは本を呼んで知っていた。
もちろん、きちんとした両親ならばヒルデガルドと呼んだだろうし、公爵家の娘ならば分かりやすいヒルデと呼ぶかもしれない。
しかし、彼女は明らかに顔色を変えたし、どこかに懐かしさを含んでいた。やはりガーディと呼ばれていたこともあるのだ。
親しい間柄の、たとえば乳母ならば、家族とは別の呼び方をする可能性が高い。身分の高い相手に対して恐れ多いという気持ちから、幼名として名前の語尾をもじった呼び方をすると本に書いてあった。
シウが愛称にこだわったのには訳がある。名前を変更する場合、なるべく近いものが良いと言うからだ。なるべくなら大きく変えたくない。
だから必死で探してきたのだが、これで大丈夫だろうか。不安な気持ちでいたがヒルデガルドは微笑んだ。
「嬉しい……」
「ガーディニアで良いですか?」
「ええ。はい。ありがとう、シウ」
「いいえ」
「……あの、意味はあるのかしら?」
もちろんだ。シウは脳内の古代語関連辞書を開いて、教えた。
「クチナシの花のことです。幸せだとか喜びを連れてくる、そして洗練、優雅などの意味があるそうですよ」
「花言葉かしら。素敵……」
「新たな人生が幸せでありますように」
シウが付け加えると彼女は笑って、そしてまた泣いた。
シウは彼女を泣かせてばかりだ。
困ったなあと思って、助けを求めるよう横に座るロトスを見たら。
「どうしたの?」
ロトスはぽかんとしたままヒルデガルド、いやガーディニアを見ていた。
(ロトス?)
(うお! ていうか、おま、お前、マジ、なんちゅう奴だ!)
(何が?)
ロトスの興奮の意味が分からなくて首を傾げたら、彼は念話だけでは飽き足らず、シウに掴みかかるように迫ってきた。
(なんで! シウにばっかり美女がいるんだよー! チーレムやってるの、シウじゃねえか!)
(……え、ごめん、意味が分からない)
(チーレムの意味は教えただろーが!)
(いや、そうじゃなくて。僕、ハーレムやってないし)
(どわーっ!!!!)
ロトスが壊れてしまった。
シウは身を引いて、ちょっと胡乱な目で彼を見てしまったのだった。
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