184 逃げることの大切さとお菓子の話




 クラリアは、正確に助けられたときのことを知っていた。

 覚えていたのかと思ったら、それらは全てルキアノの記憶であり、またアントレーネから聞かされたことらしい。

 ルキアノ以外の少女たちはほとんどの記憶をなくしていた。

 それがいいと、シウは思う。

 そして、ルキアノの生きづらさを哀れに思う。彼女は生涯、苦しい記憶を抱えて生きることになるのだ。

 しかし、本人はそれでもいいのだと言い切った。

「わたしだけでも覚えていなければ。死んでいった者のためにも」

 真面目過ぎる考えに、心配になる。シウがアントレーネを見ると、彼女もまた同様に思ったようだ。ひとつ頷いて、ルキアノに近付いた。

「あたしと、ちょっと話をしないかい? 大丈夫、お嬢様と離れていても問題はないよ」

 そう言って部屋から連れ出していった。


 もちろん、部屋にシウとクラリアだけということはない。侍女たちもいたし、声が聞こえないほど離れたところにも執事は立っている。

 もっとも、シウの見た目などで、あまり危機感は抱かれていないようだ。

「シウ様。当時のこと、本当にありがとうございます」

「いえ、それはもう――」

「違うのです。助けていただいたこともそうですが、亡くなった者たちの遺品を持っていてくださった。そしてそれをお譲りくださったでしょう? ――遺族に渡しましたら、とても感謝されて」

 彼女は俯いて、ドレスを握りしめた。

「わたくしが感謝されることではないのに。わたくしのせいで彼等は死んでしまったのに」

「クラリア様、それは違いますよ」

「……そうね、こんな言い方をしたら、シウ様が困ってしまいますわね。ごめんなさい。もっと強くなろうと思っていましたのに」

「強くならなくていいですよ」

 シウがそう言うと、彼女は少しの間、不思議そうに見つめてきた。

 そう、まるで目の前にいるものが「何」なのかと考えているように。

「……アントレーネ様が仰っていましたわ。自分の主は本当に変わってるって」

「えっ」

 そんなことを言ったの? と、今ここにいないアントレーネに聞きたくなった。

「そして、とてもお優しい方なのだと」

「そう、かなあ」

「ええ。……アントレーネ様ご自身のことを知って、復讐するなら手を貸すと仰ったそうですね?」

「あれ、そんなことまで言ったんだ」

「内緒ですよね。分かっております。わたくしも誰に話すつもりもございません」

 クラリアは、悲しげに笑った。まだ心の底から笑う心境には至っていないのだ。

「逃げてもいいし、怒ってもいい。復讐しても、どの道を進んでもいいと言われて、心が晴れたと仰ってましたわ。そして、子供を産まない道もあると示してくれた……そう聞かされて、わたくし本当に驚いてしまって」

 そうだ。シアン国は子供を大切にする。子供欲しさに旅人へ夜這いをかけることを推奨するような、そんな歴史のある国だった。貴族である彼女が、魔獣に攫われた事実を知っても自害を選ばなかったのは、そうした考えが根付いているからかもしれない。それだけ命を大事に思う人々なのだ。

 そんな人たちに、なんてことを言ったのだろうとシウは焦った。しかし。

「しかも、産んだ子の父親になると仰られたとか」

 クラリアの顔は非難するものではなかった。

「えーと、まあ、そうですね」

 家族というものに縁遠かった前世の反動で、今のシウは家族をどんどんと増やしている。最近やりたい放題なので、頭を掻きながら苦笑した。

「アントレーネ様、とても感謝なさっておいででした。まるで、尊敬していた族長に優しく守られていた幼い頃のような気持ちだと……」

 シウは肩を竦めた。そう言えば、前にも似たようなことを言っていた。彼女は少し、シウを持ち上げすぎだ。

 それが伝わったからか、クラリアは小さく微笑んだ。


 逃げてもいい。

 それは爺様の口癖でもあった。

 彼は、強くなくていい、そうも言った。

 魔獣討伐へ向ける気持ちは本物だったし、シウを鍛えに鍛えまくったが、本気で嫌がれば彼はそれすら許してくれたのではないだろうか。魔獣を殺さずに済む生活を示してくれた気がするのだ。

 たとえば大きな街や、王都の養護施設へ預けるなどして。そこに生きる一般人は、魔獣と対決することはほぼないのだから。

 でも、シウは爺様の考えには同調していたし、彼のスパルタ教育にも付いていった。

 だからいろいろなことを仕込まれた。

 その時に、よく言われたのだ。

「無理はするな。逃げていい。ただし、怖くなって動けなくなるのが一番ダメだ。それはな、魔獣を相手にしていなくても同じだ。分かるか?」

 思考停止に陥ることの怖さを、爺様は知っていた。

 うん、と頷いたシウに、爺様は大きな手で頭を撫でてくれたのものだ。

「強くなろうと無理する必要もない。弱くていいんだ。弱いからこそ、人間は慢心などせずに生きていける」

 彼の来し方を想像し、シウは改めて尊敬の気持ちを抱いた。


 クラリアにも分かるように、爺様の話を交ぜながら話す。

「痛い思いをした人は、その痛みを知ることで他者の痛みを想像することができるんだって。アントレーネもそうだった。もちろん、経験を得て良かったなんてことは口が裂けても言えないけれど、あなたは降り掛かったわざわいに対して、なんとか向き合おうと努力している。あなたはとても強い。それってすごいことなんだよ?」

「シウ様……」

「でもね、無理してはダメだ。逃げたっていいし、これ以上強くならなくていい。あなたたちに必要なのは、逃げる場所があると知ることだよ」

「はい。はい……」

 瞳に涙を浮かべたものの、クラリアは必死でそれを我慢していた。



 ルキアノとの話が終わったアントレーネも戻って、部屋は少しずつ明るさを取り戻していた。

 何よりも、フェレスが良かった。

 無邪気ににゃんにゃんと鳴いている彼の姿には、クラリアのみならず、部屋にいた人間の心を穏やかにさせたようだ。

 執事も目頭をハンカチで拭い、安堵の表情だった。


 ティータイムでは、シウがお菓子を披露した。

 もちろん、クラリアたちのもてなしもあったが、アントレーネから聞かされていたらしい「シウのお菓子」に皆が興味津々だったのだ。

 シアン国では、小麦粉を使うようなお菓子は贅沢品で、貴族と言えどもそう口にすることはないそうだ。

 夏の間に集めておいたベリーなどの果物を主にしたものが基本で、庶民はそれすら食べることは叶わないという。

 被害にあった侍女たちも、本来なら暇を出されて親元に返されるところを、食事事情もあってクラリアの下へ戻ってきたそうだ。

 それに、腫れ物に触るような扱いに辟易していたからだとも。

「言葉は悪いですけど、同じ経験者がいることで乗り越えられると思ったんです。神官さんの受け売りでもあるんだけど」

 と、零していた。

「それにしても、残って良かった。こんなに美味しいものがあるなんて!」

 お菓子を食べて美味しいと思えるようになったのなら良かった。

 少しずつ回復してきているのだなと、アントレーネと顔を見合わせて、シウは頷いた。


 彼女たちが、保存食の芋ならたくさんあるというので、芋を使ったお菓子のレシピを教えた。芋餅だったりスイートポテトだったりだ。

 他に、蕎麦が多く取れるそうだからガレットのレシピもだ。

「まあ。では、生クリームやドライフルーツを入れるのですね?」

「そうだよ。ナッツとメープルソースも合うよね。お菓子としてどうかな」

「美味しそうですわ!」

 皆、目が輝いていた。

「ガレットはね、おかずを載せるのにも良いんだよ。ジャガイモやチーズを焼いて塩コショウしただけのものにも合うし」

「シアンではよくある食材ばかりだわ」

「あら。でしたら、クラリアお嬢様、チーズを――」

 侍女がクラリアを促す。彼女もハッと気付いて、シウに向き合った。

「シウ様、チーズはお好きかしら。当家のチーズはとても人気があるのよ。良ければ、ぜひもらっていただきたいの」

「わあ、嬉しいです!」

「良かったわ。爺、用意をお願いね?」

「かしこまりました。お嬢様、では、あのチーズをご用意いたしますね。それと、ワインを」

「そうよ、ワインもだったわ! お願いしたわね」

 クラリアは張り切って執事に指示を出すと、シウに向かって笑顔になった。

「実は、高地にあるシアンにも向いたブドウの品種がありますの。他所には出回らない幻のワインですのよ。決して、口外なさらないでね?」

 茶目っ気のある表情だ。これが本来のクラリアなのだろうと思わせる笑みだった。



 晩餐にも招かれたが仲間がいるのでと断ると、ぜひ連れてきて欲しいと申し出られた。ククールスたちには、こちらへ来るよう連絡を入れた。

 最初は居心地悪いだろうと思ってか渋っていたククールスも、幻のワインと聞いてすっ飛んできた。

 彼等は近場でニクスルプス狩りに勤しんでいたそうだ。なかなかの成果で、ギルドで鼻が高かったとか。

 ククールスとロトスがどんな風にギルドで鼻高々だったのか想像できて、笑ってしまった。

 クロもブランカも楽しかったらしく、こんなことがあったと報告してくれた。

 ただ残念ながら、やはり鉱山は見付けられなかったようだ。

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