141 マッサージ指南とカルロッテの選択肢




 午後の半ば頃、塔にカルロッテがやって来た。

 蒼玉宮にジークヴァルドたちが集まるので一緒に行こうと迎えに来てくれたのだ。もちろん、レオンハルトの心配りでだ。

 シウとの友人付き合いを許してくれたのだろう。と言っても王族の女性である。

 彼女にはちゃんと侍女と護衛が付いていた。

 護衛の女性がシウを睨むのもいつものことだ。以前も睨まれたことがある。

 馬車に乗り込む時も、下賤の者が姫様と、と小声で呟いていた。聞こえるように言うあたりが彼女のできるせいぜいの嫌がらせというわけだ。

 シウは気にせず乗り込んだが、侍女は護衛の女性に厳しい視線を向けていた。

 馬車の中にはクロと赤子だけ乗せて、フェレスとブランカは並走してもらうことにした。でないと護衛にまた怒られそうだ。どのみち、高貴な女性と騎獣を共に乗せるのはマナー的によろしくない。本獣たちも狭い馬車に乗っているより走っている方がいいと喜んで付いてきていた。


 蒼玉宮からはブランカに赤子を乗せて進む。

 フェレスはつるつるする廊下が楽しくてしようがないらしく、たまにカツンカツンと音を立てて「にゃ!」と機嫌よく鳴いていた。

 ブランカは子供たちを落としちゃダメだと、そこまで気が回らないらしい。

 反対に、珍しくクロが廊下のところどころに置かれているキラキラした壺などをうっとり見つめたり、つるつるした床に見入っていた。彼が寄り道するのはかなり珍しいので、呼ぶのが可哀想になるほどだった。

 フェレスはいつものことだから、最初にさっさと呼び戻したのだが。


 客間にはジークヴァルドとハンスやその秘書たちが待っていた。

 今日は彼等にマッサージの方法を教える。

 ハンスも忙しい中、時間を空けてきたのだろう。

「シウ、よく来てくれたね」

「いえ」

「先日のマッサージが本当に気持ちよくてね。翌日もスッキリと仕事ができたんだ」

「それは良かったです」

「今日もお願いできるかな?」

「はい。やっているところを見てもらった方がいいですし」

「うん。じゃあ、モデストが見ていてくれるかい?」

「承知いたしました。シウ殿、よろしくお願いいたします」

 シウのような子供にも丁寧に挨拶をしてくれる。ハンスの秘書官らはなかなか庶民に優しい良い人たちのようだ。

 カルロッテも向かいのソファに座って観察する気らしい。

 女性にも良いよと話したので興味があるのだろう。彼女の護衛は外の廊下だが、侍女は部屋の端から様子を見ていた。

「こちらに来てご覧になりませんか?」

 シウが声を掛けたら、戸惑った様子だった。首を傾げると、ジークヴァルドとハンスが苦笑しあって、それから侍女に傍へ来るよう声を掛けていた。

「構わないから、近くで見ておいで。君も覚えておきたいだろう」

「……はい。恐れ多いことでございますがお近くに参らせていただきます」

 その台詞で、ああそうかとシウは納得した。ハンスは第一子の王子であり、次期国王になるのだ。貴族出身の侍女とはいえ、立場がまるで違う。恐れ多いと思うことは当然なのだった。

 そうなるとシウはもっと平身低頭にすべきなのだろうが、今更感があって気付かなったフリをした。

「ええと、では、始めます」

 そうして先日と同じマッサージを始めたのだった。


 最後に、ついでだからとストレッチの方法も教えた。

「騎士でなくても、誰にでもお勧めなので良かったらどうぞ」

 これはシウが実演して見せるに留めた。ジークヴァルドが途中から真似ていたが、おおむねきちんとできていたので大丈夫だろう。

「関節を柔らかくするということは鍛えること、か。面白いな」

「怪我を予防するしね。騎獣たちにもマッサージの時にぐりぐりしてあげるんだけど、彼等は本能的に体を動かしているから、ほぼ問題ないんだよ。でも人間は使わなければ、どんどん錆びていくからね」

 ジークヴァルドにも説明してあげると、熱心に覚えようとしていた。


 ストレッチの効能について、ハンスや秘書官たちも感心したように頷き聞いている。

 ジークヴァルドは騎士学校に通っているため、体を動かすことの大切さが身に沁みているようだ。文官寄りの彼等には絶対お勧めだとシウに被せて言う。

「女性にもいいんですよ」

 流れで、カルロッテの侍女も傍にいたから説明したのだが、彼女は目を丸くしていた。

「女性が、こ、これをやるのですか?」

「はい。僕が通っているシーカー魔法学院の、同じ戦術戦士科で学ぶ伯爵令嬢様もなさっておいでですよ。柔軟体操を行うことで怪我も減りますし、健康にもなります。あまり外に出られない女性にこそ大事な運動かもしれませんね。彼女は騎乗服の上に長めのチュニックドレスを羽織って、体の線が見えないように工夫されてます。当初はやっぱり、女性が行うなんてはしたないのではと躊躇していたようですが」

 そう説明すると、侍女は何度も頷いていた。やはりはしたないと思うようだ。

 見ようによっては確かにすごい格好だものな、とシウは苦笑する。

「侍女や護衛の方々が先に覚えて、女性陣だけでやっていましたよ。また気が向かれたらこっそりやってみてください。あくまでも運動方法のひとつですから無理はされなくていいんですよ」

「は、はい」

「彼女たちには防御用の取り組みについても話をしたんです。今では組手も大変お上手になられて、伯爵令嬢様に至ってはお相手をしてくださるお兄様方が逃げ回るほどだそうです」

「まあ!」

「僕もたまに組手の相手をせがまれますが、本当に強くなりましたよ」

「え、シウ、女性と組手をやるのか? それはまずいんじゃないか?」

 ジークヴァルドが驚いて口を挟んできた。ハンスや秘書官たちも驚いている。

「そうなんですよね。僕ももうすぐ成人するのに。でも何故か、みんな僕を子供扱いしてて。シウだったら大丈夫だろう、と」

「ああ、まあね」

「それは分かる気がするよ。ははは」

「ええ、わたくしも、シウ殿でしたら問題ないような気がします」

「わ、わたくしもですね」

 ジークヴァルドにハンス、それに秘書官や侍女まで納得してしまった。

 シウは肩を竦めて、抗議のような気持ちを無言で表したのだった。



 それから、秘書官が実際にマッサージを実演してみせて、ところどころ修正したり説明を加えたりして完璧になったところで、ハンスたちは部屋を出ていった。

 去り際、カルロッテたちに聞こえないよう、例の件を聞かれる。

「ジークが君に頼んだようだけど、もし良い情報があったらよろしくね」

「あ、はい」

 でも大体のところは分かってしまったのだが。

 マッサージ方法を教えている間に、こっそり部分鑑定を済ませてしまったのだ。

 とはいえ、カルロッテたちがいる前で話すわけにもいかない。

 シウは素知らぬ顔でハンスを見送った。

 内容については後でジークヴァルドに話せば良いだろう。


 この日も晩餐を共にと誘われたので、シウは部屋に残った。

 カルロッテとは新たに貸し出した本の話や、先日アロイス=ローゼンベルガーと出会って楽しかったという話をしたことから彼女も調べたらしく、文字の美しさについて語り合った。

 ハンスが出ていった入れ替わりにカルロッテの護衛も入ってきたのだが、ジークヴァルドもいるし、シウとはテーブルを挟んで席も離れているというのに、始終睨まれていた。

 そうなるとフェレスたちも気に入らないのか、彼女の近くには一歩も近付かないようにしていた。

 侍女は慣れてきて、赤子の世話も買って出てくれるし大変助かった。さすがに三人の赤子の世話を同時にはできなかったので。


 晩餐では赤子のために専用の世話係まで来てくれて、至れり尽くせりだった。

 フェレスたち希少獣は別室にて食事となったが、こちらも問題なく丁寧にお世話をしてくれたようだ。時折、感覚転移で見ていたが満足げに食べきっていた。


 食後、また客間に戻って少しだけ話をした。

 カルロッテは藍晶宮に戻っていった。

「シウ、カルロッテに魔法学校の話をよくするだろ? やっぱり、行かせた方がいいって思ってるからか」

「本人が行きたいと思ってるのに行かせてあげられないのは可哀想だよね」

「……でも、シュタイバーンでは女性王族を魔法使いにすることは、あまり良いこととしてないんだ」

 だから、逆に夢を見させるのは可哀想だと、ジークヴァルドはシウを非難しているようだ。

 シウも、無理に踏み込むつもりはなかった。ただ彼女に知ってほしかっただけだ。そうした世界があることを。そして頑張って手を伸ばせば、彼女でも手の届く場所にあるのだということを。

 その後、どの道を選んでもいいのだ。彼女が後悔さえしなければ。

「僕はね、昔のことを、後悔している。なんであんな生き方をしたのかなって。僕のことを助けようとしてくれた人がいた。声を掛けてくれた人もいたんだ。なのに全然見えていなかった。知ろうとしなかった。そのせいで孤独に生きた。でもそれって、僕だけの問題じゃなかったんだ。……関わろうとした人たちも傷付けたんだ」

「シウ、お前――」

「例えば、才能はあるのにお金がなくて学校へ行けない子もいるよね? 親の借金のせいで奴隷のように働き続ける子供たち。虐待を受けたり、苦しい生活を強いられる。そんな子はずっと悪循環だ。抜け出すことなんて、本人の努力だけではどうしようもない。でも、彼等はきっと助けようとする手を、握り返してくれるはずだ。最初は躊躇い、疑い、訝しむだろうけど。それでも手を取る。誰だって苦しみからは抜け出したいんだ。魂の叫びに気付けさえしたら、きっと抜け出そうと努力する」

 シウは静かにジークヴァルドを見た。

「……ねえ、その努力する気持ちって、ダメなことだと思う?」

「シウ、俺は」

「僕はかつて頑なだった僕に伸ばしてくれた手を、同じように誰かに伸ばしてみたいんだ。ただそれだけだよ。それ以上のことはしない。掴むのも掴まないのも本人の選ぶことだ。僕は神様じゃない。なんだってできるだなんて思い上がってない。でも、僕にできることがあるなら、ちょっと手を伸ばしても良いんじゃないかって、思うんだ」

「……カルロッテに話すことが、手を伸ばすこと、か」

「どうするかは彼女の自由だ。ただ、選べるという選択肢を見せただけに過ぎないんだよ」

 ジークヴァルドは泣きそうな顔で笑うと、ソファの背もたれに全身を預けた。

「……不幸な子供たちと同列に語るのか。王族の、妾妃の子とはいえ、王女でもあるカルロッテを」

「選択肢がない子はひとしく同列だと思うよ。命の危険がないだけ、彼女は恵まれていたかもしれないけれど」

 その代わり精神性は高いまま、窮屈な生活から抜け出せないのだ。

 どちらが不幸とは言いたくない。


 シウは、いつも思う。

 その人の不幸は、知ってしまった時から不幸なのだと。

 人間は誰かと何かを比べたがる生き物だ。

 自分がこれだけ痛い思いをしたのだから、あの人のあの痛みは大したことはないだろうと判断したりする。

 だけど、痛みの経験の度合いは人によって違うのだ。

 指をナイフで軽く切った経験しかない者は、その尺度でしか痛みを想像できない。腹を切られた者とでは違う。

 でもそれを責められはしない。だって、彼等は知らないのだから。想像するしかできないのだ。その想像の範囲が違っていたとしても、仕方ないことだ。

 心も同じ。慮ることだけしか人にはできない。

 苦しい気持ちは、本当には誰も理解できないのだから。

「だけど、想像することはできるよね。手を伸ばせる機会が、自分の方には多いのだということぐらい」

「カルロッテのことか?」

「そうだよ。だって、お金の心配も生活費の心配も要らないんだから。もし勘当されても、奨学金を取ることぐらいわけなさそうだし。それに恥を忍べば、借金だって頼めるだけの『名前』はあるよね」

「……そんな、まるで娼婦のような真似事を!」

「どうして? 借金を頼むことのどこが娼婦なの? お金を貸してくれる人全員がそれを求めるの? 無償で援助してくれる人はこの世にいないと何故思うんだろう。たとえば僕、他にも彼女の将来性に融資する人はいないかな。それに、僕は娼婦の人をそんな風に比較したくないな」

 ジークヴァルドはハッとした顔になり、唇を噛んだ。

「選ぶのはカルロッテ様だよ。僕は話をしただけだ。それも、彼女が聞きたいと思ったからこそ、話しただけにすぎないんだよ?」

 彼女がもう諦めていたなら、シウだって話していない。けれどカルロッテはシウに借りた本を楽しかったといい、学校の話をそれとなくせがんだ。

 彼女はやっぱりまだ諦めきれていないのだ。

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