071 お迎え準備と聖別魔法
翌日の土の日、朝からオスカリウス家の屋敷ではざわめきに満ちていた。
オリヴィアが急遽来てくれることになったからだ。貴族の屋敷というのはいつも優雅で泰然としているかと思っていたが、内情はこんなものらしい。下宿先のブラード家が人を招くたびに慌ただしいのは、てっきり人数が足りないとか、下宿先というある意味仮宿的な問題であるからだと思っていた。
考えればカスパルも一家を構えているということになるのだから、そんなはずはないのに。
「おれたちも、ようい、する?」
「着替えぐらいでいいと思うよ。服は持ってきてるし、着せてくれるのはメイドさんがやってくれるから、気楽だよ」
「メイドさんが、きせてくれるのかー!」
(泊まって正解だったな、シウ!)
夜まで滞在しているうちに、部屋の用意まで済んでいたのだ。せっかくなので、お言葉に甘えて泊まらせてもらった。この屋敷には元々シウの部屋が用意されてはいたが、従者用の部屋が騎獣部屋へと改装されていたし、空いていた元執務室らしき部屋も急遽ロトスの部屋へと様変わりしていた。小さなベッドまで入れられており、この屋敷の人の本気を見た。
「ロトスが一年せずに大きくなるってことを、教えてあげたいところだけど」
「いえないよね!」
認識阻害は掛けていても、小さな子供を連れていることは知られている。大変申し訳無いが、このベッドはまたお蔵入りだろう。物が良いので、もしかしたらキリクたちが使っていたものかもしれず、傷をつけてはいけないとロトス用の部屋へ全員立ち入り禁止とした。ロトス自身も、万が一傷をつけたら怖いと、一通り見て回ってからは入っていない。こういうところはシウと同じで庶民的発想なのだった。
朝ご飯を急いで済ませると、部屋にメイドたちが山のようにやってきた。
サラとレベッカも先頭を切って入ってくる。
首輪をつけたままだから、ロトスの本来の姿は分からないのに、何をどう言い含まれてきたのか分からないが、レベッカは下にも置かない態度で接している。
メイドたちはいつも通り慇懃な態度だが、幼児へ向ける視線は温かい。
シウにも顔馴染みのメイドがついてくれて、礼装ではないが、客人を迎えるのに相応しい襟付きのシャツにジャケットという仕立ての服を着せてくれた。
シウが用意していた服は今回は却下された。ラトリシア国で仕立てたもので、どうしてもラトリシア風というのがにじみ出ているから、ダメらしい。
これまた何故かクローゼットにはシウ用の服が山のように揃っており、そこから選んでくれる。
キリクのお古を今風にリメイクしたものもあるらしいが、大半は知り合いの貴族家の息子のお下がりが定期的に届いており、それらを直しているそうだ。
ロトスには、そうした直しができておらず、古いデザインのものを着るぐらいならと、シウが持参したものを上手く使ってくれた。
「まあ、丁寧な縫製ですこと。きちんと仕立てられたのですね」
「はい。ほとんど、既製服にしたんだけど、数枚ぐらいは仕立ててもらおうと思って」
仲良くなったサイラスの店という貴族の子供服専門店に頼んで、仕立ててもらったのだ。自分のものではなくロトスのものばかり買うので、店主には笑われている。
「ですが、既製服と言われましても分からないほど、体に沿っておりますねえ」
「その話はあとよ。シウ様のご用意ができないじゃないの」
「はい。では、わたしたちはロトス坊ちゃまをお着替えさせていただきますね」
ロトスはされるがまま、服を脱がされ、どれがいいか色を合わせられ、髪の毛を梳られて、爪の手入れもされていた。
憧れのメイドに傅かれているのに、その目が段々視点を定めなくなった。
内心で笑ったシウだ。
最初は喜んでいたロトスも、着替えが終わる頃にはぐったりしていた。
精神的に疲れきってしまったようだ。
「シウの、きせかえごっこ、やばいと思ってたら、ほんものはもっとやばかった!」
「だよねー」
「な、ん、で? おんなのひとって、ああなの!?」
オイルで撫で付けられた髪型が気になるらしく、しきりに頭に手をやっている。
「綺麗なものが好きなんだよ、女の人って。美的センスに優れているんだから、任せておけばいいんだって」
「シウの目も、しんでた」
「……無我の境地と言ってほしい」
「むがー」
がおー、と子供らしい身振り手振りで獣のフリをするが、ここにはもうメイドたちはいない。サラもレベッカも出て行ってしまった。
シウが反応に困っていたら、ロトスがしおしおとしゃがみこんだ。
「やばい。あいてはおじいちゃんだった……」
「まあまあ。あ、そろそろ呼びに来るよ」
ナフが呼びに来たので、シウとロトスは部屋を出て、客人を迎える第一の応接室へと赴いた。
かなり久しぶりに会うオリヴィアは、美しく輝く髪を編み込んで頭上でくるりとまとめていた。大抵の人が長い髪を下ろしているので、全てを上部でまとめていると新鮮だ。
どこか神官のようにも見え、聖女などがこうした髪型をしていたなと、古書に記された挿絵を思い出す。
聖別魔法の持ち主だけあって、清廉で、聖女に等しい女性なのかもしれない。
「お久しぶりです。シウ=アクィラです」
「オリヴィア=ルワイエット子爵よ。覚えていてくれて嬉しいわ」
お美しいので当然です、ぐらいは言わないといけないのだが、あいにくとそうした口上は必要ないのか、キリクが気楽に口を挟んできた。
「覚えているさ。例の事件じゃあ、王宮に呼びつけられて散々な目に遭わされたものな?」
内容はよろしくないが。
「オリヴィア様のおかげで、呼び出しも一度で済みました。その際には本当にお世話になりました。聖水も分けていただいたので、後日、薬を作る際にはとても助かりました」
改めてお礼を言うと、彼女もキリクの戯れ言を無視して、にこやかに微笑んだ。
「いいえ、あれもわたくしの仕事ですから、お気になさらないで。それよりも、聖水を薬に使うなど、あなたはとても高度な薬師の仕事もなさるのね。シーカーでも優秀だと噂で聞きましたけれど、偉いわ」
「いえ。この度のことでも、僕は本当に未熟だと思い知りました。オリヴィア様のお手を煩わせることになり、大変申し訳ありません。ですが、こうして来ていただけて、安堵もしております。オリヴィア様がいらしたら大丈夫だということは、僕自身の時に判明していますから。どうぞよろしくお願い致します。それと、今回のこと、この子に成り代わりお礼申し上げます」
オリヴィアは黙って聞いていたが、途中からさっとシウに近付いてその手を取った。
話が終わるやいなや、ぎゅうと握って口を開く。
「心根の優しい子だこと。どこかの朴念仁とは違いますわね」
それから、シウの横、というよりは後ろでひっついて隠れていたロトスに目をやり、微笑んだ。
「最初にお話を伺った時には、またキリク様がわたくしをおからかいになられているのではないかしらと思ったものですが」
「おい、こら!」
「事情はよく分かりました。シリル様からも詳細は伺ってましてよ。……シウ殿、それにロトス様、わたくしにお任せください。良いように、全力を尽くさせていただきます」
膝を折って、彼女はロトスに挨拶をした。
「怖がらなくても大丈夫でございますよ。あなた様に決して悪いことが起きませんよう、このオリヴィアが全力でお守りいたします。どうか、わたくしを信じて、身を任せてくださいませ」
「……うん、あの」
もじもじしながら、あ、これは演技じゃないなと思いながら見下ろしていると。
「よろしく、おねがいします」
本物の言葉で伝えた。
オリヴィアにもそれは通じて、彼女は目を潤ませながらも決意を持って、そっとロトスの手を握り優しく撫でた。
「わたくしを、信じてくださってありがとうございます」
万が一のことがあってはいけないので、場所を移動することになった。
貴族家ならば大なり小なり礼拝室は備えているので、そちらを使うそうだ。
聖別魔法は特殊で、魔法スキルのみならず神への信仰心もなければ持てないものだと言われている。悪魔祓いをする際にも神殿の中や、あるいは礼拝室などで行うことが良いとされていた。
オスカリウス家の礼拝室は家格や規模からすれば小さい方だが、幸いにして使うのに問題はないとオリヴィアは太鼓判を押した。
本来は彼女付きの神官なり秘書が準備をするのだが、事が事なだけに付き従ってきた者たちは全て、別室にて待機させている。秘密がもれないよう万全の体制を敷いているのだ。
彼女は、手伝いにシウを選んで、指示を出しながらも自分でさっさと用意をした。
シウは渡された聖水を部屋全体を囲うように撒き、更に二重に撒いていく。
手伝いをするシウと、魔法を使うオリヴィア、そしてロトスのみが中央に立ち、残りは一重目と二重目の聖水を撒いた間に挟まれる格好で立っていた。等間隔だ。これも重要な存在で、守りたいだとか助かって欲しいと本気で思っている者などを配置するのが望ましいそうだ。
オリヴィアが祭壇前で神に祈りを捧げ、聖水を振り掛ける。
振り返ると、厳かな態度で、ロトスに語りかけた。
「本来の姿、あなた様の素直たる状態へ、お戻りください」
「う、うん」
ギュッと目を瞑って、変化する。ふわっとした紗が一瞬取り囲むが、すぐに晴れた。
そこには子狐姿のロトスが所在なげに座り込んでいる。
皆、聖獣姿は初めてなので息を飲む者もいた。特にサラは、可愛いと、言いかけたようだが慌てて噤んでいる。
「痛いことなどございません。どうか、お気を楽に。寝転んでいらしても結構ですよ」
「きゃん……」
仄かにオリヴィアが微笑んだ。が、すぐさま元の厳かな態度に戻る。
そして、聖水に、魔力を籠め始めた。ものすごい集中力と、魔素の流れる様子に「視」えていたシウは圧倒された。彼女も人族としては魔力量の高い人だが、その半数近くを使う勢いでどんどんと流れ込んでいく。
やがて、半分を過ぎたところで止まった。彼女は額に大粒の汗を乗せながら、その聖水をロトスにそっと掛けた。
それから、優しく微笑んで、その場に膝をついて詠唱を始める。
「《聖なる神の御魂よ、我の願いを聞き届けたまえ、内なるものの悪の欠片を破壊せしめ、内なるものの全てに神の恩寵あらんことを、聖化》」
内側の聖水陣を魔素のような、いや違う、オリヴィアのエネルギーそのものが流れたように感じた。一瞬で、中央にいるロトスへとエネルギーが集まる。
それは集まったと同時に、ふわっと空気中に溶け出すように霧散してしまった。漂う魔素は自然のものと交じり合う。
ロトスは何も感じなかったらしくて、片目を開けて、まだ? まだ? と不安そうな顔だ。
でも、もう終わったのだ。
オリヴィアも、笑顔でロトスを見ている。終わったことが相手に伝わる、笑顔だ。
力の抜けた、それでいてやり遂げた感のある、素敵な笑顔だった。
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