551 馬車の事故
学校へ行くと、正門を過ぎた玄関前の馬車止まりが騒がしかった。
高位貴族の子弟が来ると避けなければならないため、朝は割合煩いのだが、それとも違う感じだ。
徒歩の生徒はほとんどいないため、シウが歩いていると目立つのだが見られることもなかった。
これ幸いと、素通りしようとしたのだが、面倒な相手に見つかってしまった。
「シウ殿! 良かった、知ってる人がいて」
「……アロンドラさん」
おろおろする彼女の後ろには相変わらず従者のユリがおり、鞄を抱えている。彼女達には護衛が1人と、いつもは見かけない下男がいた。
「どうしたの?」
「馬車同士がぶつかってしまったらしくて」
「え、アロンドラさんの?」
「ううん。わたしの馬車は戻るところだったから。ちょっと急がせたのでユリがぶつかってしまったけれど」
アロンドラの説明にびっくりしてユリを見た。
「大丈夫?」
彼女は顔を赤くして、いえ、と首を横に振った。
「たんこぶにもならない程度ですから」
「そう? でも後で救護室へ行くんだよ」
「はい」
「で、関係ないのにどうしてここで留まってるの」
興味本位で見ているわけではないよなと、注意も込めての発言だった。すると案の定、アロンドラは目を泳がせた。
それでも言い訳はあったようだ。
「だって、クラリーサ様の馬車とヴァレンテ子爵のご子息の馬車がぶつかったのですもの。心配で、つい」
「クラリーサさん? もしかしてヴァーデンフェ家の?」
「ええ、そうよ。シウ殿、ご存知なの?」
「同じ学科だから。アロンドラさんはどうして?」
接点がまるでなさそうな2人だからシウの方が驚いたのだが、アロンドラはシウがクラリーサとクラスメイトだと知って驚いているようだった。
「えっ。あ、わたしは去年同じ必須科目を取っていて、何度か組んだこともあるからよ」
「ああ、それで」
貴族の子女同士なら、班を組んだりすることも多いのかと思い至った。
考えたら性格の違いでどうというのは、貴族の多いこの学校では関係なかった。
「事故の流れは分からないんだよね?」
「それが、うちの下男が見ていたらしくて。後ろからヴァレンテ子爵の馬車が煽ったらしいの。それで揉めているみたい。でも、途中から、貴族女性がのたのた降りるからだという話になって、嫌がらせのように馬車が退かなかったせいで、後続の馬車がぶつかってしまったのだってことになってしまってて――」
「ああ、それで、困っていたんだ。教えてあげたいけど、あの騒ぎに突入する勇気はない、って感じ?」
「そ、そう! すごいわね、シウ殿」
目を輝かせるアロンドラに、シウは苦笑を隠した。彼女は貧乏伯爵家らしくて、護衛は1人しかつけていないし、今いる下男も行き帰りに付き添うだけらしいから、ようするに割って入るだけの人員を持っていないのだ。
ましてや内向的な読書好き女子そのものの彼女には、自分からぐいぐい行けるはずもない。
「分かった。とりあえず、証言はしてくれるんだよね?」
「もちろん、それは。ね、ワットもよね」
「へえ。もちろんだす」
「じゃあ、誓言魔法に掛けられる心準備だけしておいて」
「えっ」
「貴族の揉め事には一番だから。あ、安心して、ちゃんとお礼も出るからね」
腰の引ける下男に笑いかけ、大丈夫と念押ししてからユリに目配せした。彼女ならちゃんとアロンドラと下男を押さえていられるだろう。護衛もいるので彼女達は置いて、シウはクラリーサがいるであろう騒ぎの中心に向かって行った。
騒ぎの間に、職員がやってきたらしく馬車はロータリーとなった円形地から移動させられていた。
しかし、校舎と道路の間にある石畳の歩道の上では沢山の人が入り乱れて、揉めている最中だった。
「お嬢様に対して、失礼な発言をしたことを謝ってもらおう!」
「その前に、乗降口で居座ったことを謝るがいい!」
「だからこちらは素早く降りていたと言っているではないか!」
「はん! 女が、どうやったら素早く降りれるんだ!」
「そうだそうだ!」
「なんだと!?」
「大体、女が粋がって魔法学校へ来るなど!」
「貴様! またお嬢様を侮辱するかっ!」
抜剣はしないまでも、女騎士のダリラは怒りに震えていた。ただ、先日の事件のことを知っているせいか、どこか冷静でもあるようだ。周囲に目を配る余裕もあるようだった。
シウを見付けてホッとした顔をしたのも、そのひとつだ。
シウはするっと生徒達の間を通り抜けてクラリーサ達のところに辿り着いた。
「皆さん落ち着いてください。論点がずれてますよ」
「なんだ、お前は!」
「おい、こいつ、例の」
青年達の後ろから小声で囁く声がした。
どこかに、にやけた様子があって、感覚転移で声を拾ってみたら、
「よし、食いついたぞ」
などと聞こえてきたので、最初から仕組まれていたことだと分かった。
やっぱりなー、と思いつつ、青年の1人が勢い込んでシウに喋ろうとするのを、手で制した。
「ストップ、待って、先にお知らせです」
「はっ? 何を」
「悪巧みをしていても、ばれます。よって、先に僕の話をきちんと聞いた方がお得です」
「はあ!? どういう意味だっ!」
まあまあとシウはこれ以上ない笑顔で青年達に向かった。
鑑定の結果、誰が誰だか分かっているので、各自の名を呼んだ。
「ヴァレンテ=スカルキさんが、ぶつけた馬車の主ですね。子爵のご子息ですよね。で、ラデクさんは男爵のご子息、イーヴォさんとヤンネさんもご学友のようですが」
名前をしっかり知られていることに、少し驚いたようだ。シウはそのまま、彼等の従者や護衛の名も読み上げて行った。
「ランスロットさん、ドノイさん、ミハエルさん、アスランさん、ルイさん」
段々と皆の顔が困惑したものから、気味が悪いといった様相になっていく。
「すごいですね、これだけの人数の方が全員同じく、クラリーサさんが『のたのたとゆっくりわざと意地悪で馬車から降りた』と証言する訳ですよね?」
一部分を強調して声を上げて言ってみた。横でダリラが目を剥いていたが、ジェンマやイゾッタは目の前の青年達の顔を1人たりとも忘れないぞといった様子で見つめている。
「そ、そうだ」
「でも、万が一それが嘘ならば、とんでもないことになりますよ?」
「なんだとっ!」
「嘘だと言うのか、この庶民風情がっ!!」
また叫び始めた青年達を、シウはまあまあと笑顔で制した。風属性魔法をうっすら使って、ふんわりとした圧も掛けたせいか、彼等は黙ってしまった。何人かは首を傾げていたから、おかしな空気は感じたようだ。
「『のたのたとゆっくりわざと意地悪で馬車から降りた』と証言して、それがひとつでも嘘であるなら、これは名誉棄損に当たります。貴族女性に対する侮辱罪としては相当厳しい判決が降りますので、くれぐれも慎重に発言なさってくださいねー」
「な、なにを」
「ラトリシア国の法律書を読み込んだ僕が言うので間違いないです。さて、次に、こうしてか弱い女性を取り囲んで罵ることは、この国の貴族の在り方として正しいのですか?」
ぐっ、と言葉に詰まったようだ。
「法律にはありませんが、確か貴族の方々には『貴族たるもの、その身分に相応しい振る舞いをしなければならぬ』という有名な言葉が存在し、またラトリシア国ではかつて勇名を馳せた英雄の発言から『弱きものを守るべし、蔑むことは恥と知り、子を成す女性を貴ぶべし』というものを特に貴族は推奨すべきと発布したことがあるのですが、当然ご存知ですよね?」
誰も知らないらしくて、硬直していた。
「魔法学院に入るより前、中等学校の歴史で習うはずです。なにしろ僕はラトリシアの図書館にある、中等用教科書で読んだのですから。それ以来、ラトリシアの貴族の方々は偉いなあ、さすがだなあと尊敬したものです」
青年達は嫌味を言われていると気付いて、むっとした顔をしているが、シウはお構いなしに続けた。こういうのは喋った者勝ちだ。相手に反論する余地を与えてはいけないと、法律家のテオドロも言っていた。
「さて、先程、女性が魔法学校へ入ることをどうだと仰っていた方がいたのですが、僕の聞き間違いでしょうか」
「……聞き間違いだろう」
「では、僕が自動書記魔法にて登録したものを、再度、ここで読み上げて見ましょうか」
「なっ、なにを」
「ちなみに、この騒ぎを起こした理由について話していただくため、誓言魔法持ちの神官を複数人お呼びしてみましょうか。嘘は言っていないのですから安心してください。誰も罪には問われませんよ。その代わり、名誉棄損については訴えますが」
ギロッと睨んでみたが、さして迫力はなかったようだ。それよりもシウの発言に、大事になる予感がしたらしく青年達がざわめき始めた。
その頃には他の職員もやってきて、関係ない生徒達を学校へ入るよう指示していた。
「ところで、もう一度確認なのですが。クラリーサさんの馬車は『あえてわざと意地悪で止まったまま動かなかった』のですか?」
「……いや」
「勘違いでしたか? では女性であるから『のたのたとゆっくりわざと意地悪で馬車から降りた』というのは?」
「……勘違いだったかも、しれん」
そこまで聞いて、クラリーサ達もホッとしたようだが、シウは追撃を止めなかった。
「勘違いだったかもしれないのならば、再現してみましょうか。クラリーサさん、馬車の乗り降りを普段通り行ってみてください」
「え?」
驚く彼女に、シウは職員がどんどん集まってくる前にと、急ぐよう指示を出した。
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