470 幼児柵とおんぶひも、天才との会話




 金の日、戦術戦士科の授業では面白い光景が見られた。

「それ、幼児用の柵?」

 ヴェネリオとウベルトが面白そうな顔をして近付いてきた。

「うん。ブランカがもう抱えきれないほど大きくなってきたから、授業の邪魔にもなるし、ここで遊んでいてもらおうと思って」

「座学の時はどうするんだよ」

「背負うよ。仕方ないよね。赤ちゃんの時は常にべったりしてないと不安がるから」

「……すごいな」

「誰も見たことのない光景だろうなー」

「でもレグロ先生が言ってたけど、昔、人間の赤ちゃんを抱っこして通っていた女子生徒もいたそうだよ」

「ほんと?」

 うん、と頷いて名前を教えた。

「オルテンシア=ベロニウスって先生、知ってる? あの人だって」

「ひえー、あの変人先生か」

「僕、知らないな。どの授業の教授?」

「創造研究科だよ。生徒会長が受けてるんだけど」

「ああ、あれか」

 思い出したみたいで、頷いていた。

 サークルの中ではぬいぐるみなどの大きな玩具を入れて、クロと一緒にブランカが遊んでいる。フェレスも中に入りたそうにしていたが、彼が入ると壊れてしまう。

「フェレスはダメだよ、こっちで一緒に遊ぼう」

「にゃ。にゃにゃ」

 でも、いいの? と心配そうだ。いや、心配というよりも遊びたい気持ちが8割と見た。

「これは囲いだから安全なんだよ。それよりフェレスが入ったら柵が吹っ飛ぶじゃない。危ないでしょ?」

「にゃー」

 はーい、と諦めて中央に向かった。

 開始の鐘の音が聞こえて、授業が始まる頃にはフェレスも柵の中で遊ぶことは忘れてしまい、すっかり人対の訓練という名の遊びに夢中となったのだった。



 昼からは、抱っこひもを改良した、おんぶひもでブランカを背負い、クロは肩に乗せて教室へと向かった。

 さすがに道中、変な視線を感じたが仕方ない。

 自分でも相当おかしな格好だろうとは思う。

「やあ、シウ、えーと」

 ファビアンが言葉にならない笑いでシウを見て、それから顔を俯けてしまった。

 貴族にあるまじき笑いが吹き出そうで、耐えているようだ。

 他の、先週名乗り合った生徒達も相当びっくり顔だ。

「えーと、すみません。ご迷惑おかけしないようにします。結界を張って音漏れがないようにしてますので、見た目はご寛恕くださいますようお願いします」

「あ、いや、うん。良いんじゃないのかしら」

「そうだね。なんとも、面白い格好だけれど」

 名乗らないで教室を出て行った生徒達からの視線は痛かったけれど、特に文句を言われることはなかった。

 オリヴェルのおかげだろう。しかも続けて、彼が、

「許可を取っているのだし、良いんじゃないかな。君は対策もきちんとしているから、逆に偉いと思うよ」

 などと好意的にフォローしてくれた。

「ありがとうございます」

「いや。……そうだ、先週教えてくれた自動書記魔法、使えるようになったんだ。あれはとても便利な魔法だね」

「お役にたてて良かったです」

「魔力の使用量が少なくて、間違いかと思ってしまったほどだよ」

「あ、でしょうね。でも無駄を省いたら、大抵そんなものですよ」

「へえ。そうなのか。無駄、か。面白い考え方だね」

 話をしていたら、ヴァルネリがやってきた。

 皆、途端に戦闘態勢モードに入る。

 ヴァルネリは喋り出すとノンストップなので、置いて行かれないためにも死ぬ気で食い付かなくてはならないのだ。

 案の定、あー疲れたお説教もう要らないー、と訳の分からないことを口走った後、いきなり猛然と喋り始めた。

 シウは余裕があるけれど、皆、自動書記魔法を覚えたとはいってもまだ不安なのか、従者達が揃ってメモを取っている。

 中には保険としてシウの作った自動書記の魔道具を使っている人もいた。挨拶していない生徒なので、どこかで噂を聞いたのかもしれなかった。

 買わずに聞いてくれたら良いのに、それをしないということは、シウと会話したくないということだ。

 面白いなあとのんびり考えつつ、その半分では先生の話を楽しく聞いた。


 ところで、天才の発想というのはひらめきの固まりなのだろうなと思う。

 同じ魔術式でも、驚くようなショートカット方法を編み出したり、イメージ力も複雑だった。

 ただ、細かい箇所を突き詰めていく力には乏しく、理路整然と手直ししていく作業は苦手のようだった。

 初対面の時にも感じたが、この人には手助けする人が必要で、秘書のラステアや従者のマリエルだけでは追い付かない気がした。

 彼等も講師となれるだけの実力はあるが、あくまでもヴァルネリのお供として特化している。

 もっと第三者的に、客観的に俯瞰してみることのできる人がいれば良いのに。

 そう、トリスタンなら絶対向いているのだけどなーと5時限目の補完授業の合間に考えていた。

「ね、聞いてるかい、君。だから、鑑定魔法の術式としては完璧なんだよ、これは」

「はい」

「つまりここの術式は触りたくない」

「でも、罠が必要です。あと、もっと、読めないようにする工夫もしてください」

「どうやってだい!」

「古代語を使って、パズル化するとかです。暗号化しても、ばれるものはばれますよ」

「……暗号化なんて、できるわけないだろ、僕に」

 でしょうね、と内心で返事をして、笑った。

「だから、罠を作るんですよ。術式を分解しましょう」

「いやだ」

「だったら、新しく構築すべきです。これはこれで芸術作品として残しておいて、えーと、先生の心の中に」

「……君、ひどいことを言うね」

「でも誰にもばれなかったんですよね? てことは、誰にも見せるつもりはなかったと」

「いつかは発表する気だったんだよ。君が危険だって言うから」

「危険ですよね? ね?」

「……う、うん、そうだね」

 君の顔、怖いんだけど、と引かれてしまった。

 これでもシウはラステアの補完授業を受けている最中なのだ。他の生徒も同じく、4時限目の内容の質問をしたり解釈を話している。

 なのに、シウの横にはヴァルネリが張り付いていた。

 一応、彼の声が届かないように結界を張ったが、そうするとシウだけが話しているみたいでおかしい。

「先生、僕、授業中です」

「僕の授業だからね!」

「今はラステアさんの説明中です。邪魔しないでください」

「……マリエル、マリエル聞いてくれるかい。この生徒がひどいんだ」

「なんですか? 聞こえませんけれど、ヴァルネリ様?」

 顔がそちらに向いたのでマリエルが気付いたものの、声は聞こえないので不思議そうな顔だ。

 あ、いや、違う。 

 マリエルの表情を見て気付いた。彼女は長年仕えている相手の台詞を理解していた。していて、気付かないフリをしているのだ。

 ぶはっと、吹き出しそうになるのを必死で手で押さえ、我慢しながらラステアの話を聞いた。

 可哀想なので、マリエルが近寄った時点で結界は解いたが、何故か彼女から睨まれてしまった。どうやらもう少し結界を張っていても良かったようだ。怖い従者である。


 このやりとりを、快く思わない生徒もいた。

 先生に対してどうなのかと苦言を言われたりもしたが、ラステアがやんわり間に入ってくれた。

「授業を邪魔していたのはヴァルネリ様ですし、シウ殿にも執着してくる場合は跳ね除けて良いとお伝えしておりました。ご不快でしたら申し訳ありませんが、どうぞ、シウ殿にではなくわたくしにお願いいたします」

「……っ、わ、分かりました」

 文句を言った生徒も納得したようだった。

 その後は各自の解釈について討論したり、新たに考えたものがあれば発表したりで授業を終えた。


 授業後、またファビアンやオリヴェル達と教室で話をして、サロンにも誘われたが断った。これもファビアンが目配せしてくれて教えてくれたので助かった。

「折角のお誘いなんですけれど、僕にはやっぱり分不相応ですから」

 そんな風に言えば、皆、納得してくれる。

 オリヴェルだけは、心底残念そうな様子だったが、無理に誘うことはしなかった。

 ただ、

「その、もし迷惑でなければ、聖獣様とお会いする時にわたしもお邪魔してはいけないだろうか」

 とお願いされた。

「シュヴィに聞いてみます。明日あたり、行くつもりだったので」

 来週になるともうラトリシアにはいない予定なので、最後のおやつ係をするつもりだった。連絡も入れているのでと、そう教えたら、オリヴェルは嬉しげに笑った。

「明日はじゃあ1日空けているよ」

「あ、えっと、行くとしても午後です。シュヴィのおやつを作ってから行くので」

 オリヴェルは、分かったと頷いて足取り軽く教室を後にしていた。

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