357 ハルプクライスブフトの港市場




 芽生えの月の一番最初の日は、朝早くからバタバタと騒がしかった。

 リグドールとアントニーは学校があるので早起きしなくてはならなかったのだが、夜更かししたせいかしっかりしているアントニーまで一緒になって寝坊してしまったのだ。

 メイド達も起こしに行ったのだが、部屋の中へ入ることは失礼だろうと遠慮していたせいでギリギリになってしまった。

 結局、朝ご飯は食べられず、せめてもと料理人が食べやすいサンドイッチなどを作って持たせたらしい。

 シウが起きた頃は慌ただしくそうしたやりとりをしている最中で、玄関で見送ってから振り返ると、メイド達が心底疲れたようにぐったりしていた。


 アレストロとヴィクトルも普段は授業のある日だが、午前中なら大丈夫というので残っていた。シウならきっと喜ぶだろうと、また船に乗って対岸のハルプクライスブフトの街へ向かい、馬車を市場へと走らせてくれたのだ。

「小さい頃、遊びに来て以来だなあ。厨房のセバスと一緒に来てね、面白かったよ」

「へえ、そういうこともしてたんだね」

「6番目ともなれば、放任になっちゃうのかしらね。僕なんか別荘地では結構自由だったものだよ」

「おかげで、わたしは人探しが上手になりました」

 ヴィクトルがぼやく。ここの2人も、カスパルとダンのように幼い頃からの仲良しだから、主従関係と言っても雰囲気が柔らかい。こうして本人を前にして告げられるのも、関係が良好だからだ。

「おっと、そろそろ、ここからのようだ。シウ、それじゃあ、僕は市場の監督官と挨拶してから行くから、好きなように見て回ってね」

「うん。あ、でも、待ち合わせしないで大丈夫かな?」

「君の場合、ヴィクトルよりずっと簡単に見つけられると思うよ」

「本当に。俺も探すのがシウなら、良かったよ」

 アレストロとヴィクトルが互いに笑う。その視線の先にフェレスがいて、ようやくシウも、ああと気付いた。

「そだね。じゃあ、フェレスを目印に、ね」

 ばいばいと軽く手を振って別れた。

 シウにはソロルとリュカが一緒だ。2人は市場自体初めてだと言うので、楽しみにしていた。もらったお小遣いを使おうか、共に悩んでいるのが可愛らしかった。


 大型の港がある街だけあって、市場は新鮮な魚介類で溢れていた。

 目につくものすべてが美味しそうで、シウは味見をさせてもらって美味しかったら大量に買うといういつもの悪い癖を発揮していた。

 そうすると他所の店でも待ち構えており、味見を用意してくれる。本来そうしたことはしていないのだがと言いつつ、だ。

 ソロルとリュカにも「お付きかい? あんた達も食べな」と渡してくるので、2人とも味見だけでお腹いっぱいだと笑っていた。

 さすがにフェレスへ食べさせようとする者はおらず、拗ねる前にフェレスにも買ったものをその場で食べさせてあげた。

「あ、貝も美味しそうだね」

「うちのは小粒だけど、その分旨味が凝縮されていて美味しいよ!」

 串を刺して、差し出してきた。味見をするとシジミのようだったので、鑑定してみるとやはりシジミだ。他にも牡蠣らしきものもあって、嬉しくなった。見た目が気持ち悪いのか生で食べるのが怖かったからか、ソロルもリュカもその味見だけはしなかったが、シウはちゅるちゅるっと牡蠣を食べた。

「美味しい! 淡水なのに牡蠣がいるんだね」

「おや、詳しいね、あんた。これはハルハサン大河が流れ込む場所でのみ採れる牡蠣だよ。あのへんは塩っ気が強くてね、まるで海のようだという漁師もいたもんさ。これも全て恵みゆたかなハルハサンのおかげさね」

「へえ、そうなんだ。じゃあ貴重なんだろうね」

「そうとも。特にこの冬の寒い時期が美味しいんだ。芽生えの月の終わりには数も減ってくるから、買うんだったら今だよ」

 商売上手な女将に唆されて、シウは牡蠣を全部購入した。

 びっくりされたが、魔法袋に入れるのを見て、苦笑された。

「アイテムボックスをそんな使い方してる人、初めて見たよ! あんた、まだ欲しいんだったら、知り合いの店に頼んでやるけど、どうする?」

「それは嬉しいんだけど、1人で大量に買ってたら、他の人に迷惑じゃない?」

「そんなもの、毎日採れるんだ、大丈夫だよ。見たところ、旅行者だろ? 今日1日の分を買い占めたって誰も文句は言わないよ」

 豪快に笑い飛ばされてしまった。

 結局、女将が声を掛けて、牡蠣はほぼシウが買い占めることになった。

 他にもシジミなど沢山買ったので、女将には喜ばれた。

 ついでに、鮭やエビなどの美味しい店も教えてもらった。


 シウ達が干物売りのところで味見していると、アレストロ達が合流してきた。

「噂になってたよ? どこかのお忍びの若様が市場でものすごい買い方してるって」

「シウは普段質素なくせに、やるとなったら派手だよな」

 アレストロとヴィクトルに呆れられてしまった。

「いや、だって。滅多に来られない港の市場だよ? つい……」

 自分でもやりすぎた感はあるので、シウは頭を掻いた。

 その横で、フェレスが口を開けて待っている。干物を炙ったものをもらって、味見していたのだ。

「に」

「あ、ごめんごめん」

 慌ててフェレスに食べさせてあげる。リュカとソロルはもう無理と首を横に振っていた。

「アレストロとヴィクトルも食べる? はい」

 あーんと口の前に持っていったら、アレストロは条件反射なのかパッと口を開けて、放り込んだらもぐもぐと食べていた。護衛の数人はアッと声を上げていたものの、はあと溜息を吐いて諦めたようだ。ヴィクトルは唖然として口を開けていたのだが、慌てて閉じた。

「ばっ、ばか、か、こんな外でそんな、はしたない」

「……そんな乙女みたいなこと」

 思わずそう口にしたら、アレストロがもぐもぐ食べながら大笑いした。

「おっ、おと、乙女!! あははは、あは、ははははは!!」

「アレストロ様!」

「いや、だって、あはあ、は」

 お腹を抱えている。ツボに入ったらしく、暫く笑い続けていた。その間ヴィクトルは不満そうに口を尖らせていた。


 干物も新鮮なものを一夜干しにしたとかで、大変美味しかった。

 湖のものと言うが、意外と塩気もあって魚にも味がある。たんぱくな物ばかりかと思っていたが、ミネラル分豊富なのか栄養もあって良かった。

 シルラル湖には中央に行けば魔物系の魚や、魔獣もいるそうだが、それさえも味は良いのだそうだ。ただし大型なので引っ張り上げることが難しく、そう簡単には手に入らないとか。

「魔物系の魚がいたら、大型船と言えども航行に支障がないのかな」

「貴族の乗る船だと護衛船が付くし、そうでなくとも攻撃用の魔道具を備えているからね」

「専用の魔法使いも乗っているから、さほど怖い旅路でもないそうだぞ」

「そうなんだ。じゃ、馬車旅と同じぐらいの遭遇率なのかな」

「率。あ、数学の話か。うーん」

 ヴィクトルが頭を悩ませ始めたので、シウは笑って手を振った。

「ごめんごめん。ええとね、馬車旅で魔獣とかち合うのと同じぐらい、船旅でもかち合うのかなってこと」

「おお、そうか。そうだな、それは、うーん、どうだろ?」

 分からないようだ。うーんと唸っていると、店の人がおずおずと間に入って教えてくれた。

「南下するなら船旅の方が遥かに安全だと、冒険者の男達が言ってましたです」

「え、そうなんですか」

「へい。東側は王領がありますもんで、山も深いですし無理がありますで。湖の西側は逆に土地は広いんだけども、ハルハサン大河が交互にこう流れておりやすから、恵み豊かな分、魔獣も盗賊も多いんでさ」

「湿地も多そうだね」

「へえ、湿地と言いますと、こう泥水になってるとこですかいね?」

「そうそう。こーんな葦が生えてたりしませんか?」

「ああ! へい、見たことありやす。船が嵐に合って、あのへんに着いた時にゃあ、帰ってくるのにえろう難儀しましたです」

 今では漁師を止めたらしい主がいろいろと教えてくれた。

 面白くてついつい話し込んでいたら、アレストロに呼ばれた。

「僕等、この先のお店で休憩してるから。リュカとソロルも連れて行くよ」

「あ、ごめ、えっと」

 店を出ようとするシウを押しとどめて、アレストロは苦笑した。

「いいよいいよ。ゆっくりしておいで。リュカ、ソロル、一緒に行こう。ここで待ってるより店で待ってる方がシウもゆっくりできるし、君らも立ちっぱなしで疲れたろう?」

 ほらほらと、戸惑う2人を連れて、行ってしまった。

 フェレスは彼等に付いて行かなかったが、明らかにつまんないといった顔で大あくびだ。

「……ええと、すみません。僕、営業妨害してます、よね」

「いやいや、面白い話で学者さんみたいだった。坊ちゃんは学校で偉いこと習っておるんだな」

「うーん、そんなすごいことは習ってないんだけど。でもやっぱりその土地に根差した人の話は違いますね」

「そうかい」

「で、さっきのハルハサンの大河が氾濫する話は――」

 話を元に戻し、結局心置きなく店の主と話をした。だからというわけではないが、彼の息子が採ってきたらしい湖の底に生える薬草を全部買い取った。

 珍しいものが多くて、コルディス湖では見かけないものばかりだった。食用にもなるというので調理の方法などを聞いて、店を出た。

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