大いなる災い 星乃御子 其ノ六


『やがて日ノ本に国ができ、歴史が始まると妖は人間を襲うようになったのです』


 千年以上昔の日ノ本が部屋一面に映し出され、人間の暮らしの影に蔓延はびこる妖怪たちの姿が現れる。作物や家畜を奪い、時に人間そのものをさらうが誰にも気付かれない。普段人間には妖怪が見えないからだ。


『神々は妖から弱い人間たちを守るべく、様々な策をこうじた。だが数知れぬ妖怪を一々相手にしてはいられない。そこで人間たちへ妖に対抗する手段を与えたのだ』


 祈祷きとうや術、邪気をはらう武具、更にはそれらを専門に扱う職種まで生まれた。今日のケノ国における討伐者の始祖である。


「……それでも妖怪は居なくならなかった」

「それがあさぎのせいだってのか?」


『そうだ』


 正体を見破られた妖怪が、刀を差した武士や神職者に追われる像が映し出される。だが妖怪は必至に森へと逃げ込み、木のうろの中へと入ってしまった。妖怪を見失ってしまい右往左往する人間たち。


『居場所を追われた者をかくまうだけなら問題はない、むしろ評価すべき事だ。しかし末妹は弱い妖たちを匿っただけでなく、自らのしもべとしたのだ』


『妖たちに国造りは侵略行為であったと説き、日ノ本の神々が間違った存在であると吹き込んだのです』


 次に映し出されたのはあさぎの作った『宵闇町』の姿だ。日の当たらなかった暗い場所に妖怪が押し寄せ、瞬く間に巨大な国が出来上がってしまった。建物は日ノ本のものよりずっと大きく、闇の中どこまでも灯りが続いている。鯨より大きな化け物が泳ぐ黒い海の向こうには島まで存在していた。紛れもなく太古の神々の技術無しでは成せぬ所業である。


「でもなんで妖怪はあさぎについてっちまったんだ? 元々はあさぎも神様の仲間だって、みんな知んねがったんけ?」


「忘れたのかイロハ。あさぎは国造りには加わらなかったんだよ。それに弱い奴らにとって、同情してくれる強者ってのは魅力あるもんなのさ」


 あさぎの元に集まった妖怪は、日ノ本に住む人間よりも遥かに先へと進んだ文明を築き上げていく。海向こうの優れた文化も取り入れられ、様々な妖怪も行き交うようになった。だが争いは殆ど起こらない。何故なら太古の神々の星の記憶が先見せんけんめいとなり、問題や紛争を未然に防いでしまうからだ。


『本来ならば神々が少しずつ人間たちへ与えていく知恵。それを末妹は惜しげもなく妖たちへ与えてしまいました。そして恐るべき行動に出たのです……』



 暗かった辺りが徐々に明るくなり、そして眩い世界へと代わる。美しい山があり、黄金の混じって流れる川があり、どこまでも続くきらびやかな風景。至る所に四季折々の花が咲き乱れ、田園の木々には様々な果実がなり連ねている。空には鮮やかな翼を羽ばたかせて鳳凰ほうおうが優雅に舞い、地上には羽衣を纏った天人が楽器をかなで歌っているのだった。


「高天ヶ原だ」


(すげぇ……)


 その驚くべき光景から以前戦った妖怪の作り出した異空間、名前から八潮の里の高ヶ原たかがはら岳を連想するが、どちらも遠く及ばない。誰もが一度はこの地へと思いを馳せるのも納得せざるを得ない眺めであった。


 しかし次の瞬間、この桃源郷は炎に包まれた。


(あっ!)


 突如異形の者たちが波のように押し寄せ、破壊と略奪の限りを尽くす!

 外で歌っていた天人たちは片端から引き裂かれ、逃れた者たちは光り輝く宮殿へと籠城ろうじょうする。


 そこへと群がる妖怪たちの大集団!

 宮殿からは火の玉や矢が放たれ、たちまち高天ヶ原は戦場と化す!


「ひでぇ……!」


『……研ぎ澄ませた矛先は人間では無く、あろうことか神々へと向けられたのです。過去への復讐と称し、末妹は多くの妖を高天ヶ原へと送り込みました』


『何たる愚行か! これは我々兄弟たちに対する明らかな反逆! 他の誰よりも賢く、期待されていた末妹だけにその衝撃は大きかった! 末妹をここまで狂わせたのは何だったのか? 哀れに思い、たった一人の末妹をかばった我らは間違っていたのか? 幽閉された長い時の中で幾度もそれを考え続けた……!』



 やがて視点は高天ヶ原を離れ、人間の住む顕界けんかいへと移る。地上でもやはり合戦が、こちらでは人間同士で大きな戦が行われていた。『家』同士が互いに権力を主張し、血で血を洗う凄まじき争い。神々の世界で戦いが起これば人間の住む世界でも戦いが起こるのだ。


『妖の侵入を防ごうと様々な結界を張り強力な門を幾重にも築いた。しかしその度に末妹によって容易たやすく破られてしまったようだ』


「神様たちから妖怪を退治しには行かなかったのけ?」


『神々も宵闇町へと斥候せっこうを送りましたが、思う成果を上げることができませんでした。妖の気にあたり妖の仲間になってしまう者も居たそうです』


『この愚かな行為は百年程前までの長い間、幾度にも繰り返されました。高天ヶ原は何度も窮地へと追い込まれましたが、その度に妖を追い返し続けて来たのです』


(……ふむ)


 イロハと比紗瑚ひさごたちの話を黙って聞いていた莉緒。何やら一人難しい顔をして考え込んでいた。


(大体はあたしが高天ヶ原で聞いた話と同じだ。が、決定的に違う所がある)


 それは莉緒が高天ヶ原にいた頃の話だ。話好きで、莉緒に色々な事を教えてくれた天人がいた。妖怪たちが攻めて来た話になった時に、この天人が不可解な事を口走りずっと気になっていたことがあった。


 何でも神々が妖怪たちを退けたのではなく、戦が大詰めとなると妖怪たちは自ら去って行ったと言うのだ。


(もしこれが本当なら、何故あさぎや妖怪は高天ヶ原を攻めた? 話を聞く限り自ら神となって日ノ本を支配する事もできた筈だ……何か引っかかるね)


 歴史が流れても神と妖の戦いは続き、人間の戦は家同士の戦いから小さな国同士の戦いへと変わっていく。戦国時代へと移ったのだ。天下を取る権力者が現れては消えていく。

 やがて一人の人間が天下を取ると、幕府が開かれ大きな争いは止んでいった。


『延々と長く続く戦いに節目が付いた。ようやく末妹は高天ヶ原を諦めたとこの時は思っていた。しかし実際は水面下でもっと恐ろしい事をくわだてていたのだ』


 この時からだろう、あさぎが偶然日ノ本で『黒い鏡の欠片』を見つけたのは。


『妹が次に目を付けたのは、我々の倒すことが出来なかった黒い鏡でした。黒い鏡は私たちが押さえつけている以上、日ノ本に現れて手出しすることはできません』


『それを末妹は強引に呼び寄せ、禁忌を用い黒い鏡との戦いへ終止符を打とうと試みていたのだ』


 部屋一杯にあらゆる場面が目まぐるしく切り替わる。


 洋の東西、人妖を問わずかき集めて破片の研究に勤しむ様。


 ケノ国を結界で覆い、鏡を封じ込める罠を仕掛ける様。


 結界内の妖気が恐ろしく濃くなり、多くの命が落とされる様。


 最後に透明な水槽を囲むあさぎと数名の者たちが映し出された。



「……志乃……なのか……?」


 水槽の中に浮かぶ裸の童女。今より大分幼く見えるが確かにそれは志乃だった。


「……そんな……じゃあ志乃は……」


 にわかには信じられないイロハだったが、思い起こせば何もかもが辻褄つじつまの合うことばかりであった。


 年相応でない知識や力、人間離れした術に武具、何者にも恐れを知らぬ心……。


 イロハと志乃があさぎと初めて対面した時、あさぎはつい最近志乃を知ったような振りをしていた。今思えばそれは欺瞞ぎまん……ずっと演技を続けていたのだ。

 恐らくそうではないかとイロハが勘付き始めたのはつい最近、あさぎを隠者の里へ案内した時である。志乃が小幡から授かった錫杖を「黒い鏡を割る者のために自分が作らせた物だ」と言っていた。イロハは志乃が本格的に妖怪退治を始める前から錫杖を持っていたことを知っていたため、強い違和感を覚えたのだ。

 

(志乃は……志乃は黒い鏡を割るためだけに……あさぎに……)


 力無く座り込むイロハ。やがて辺りは元の薄暗い部屋へと戻り、比紗瑚たちは再び姿を現す。


『例え黒い鏡を割るためとはいえ、妹の凶行は決して許されるものではありません。度重なる日ノ本への接触、多くの命を犠牲にし、生命をもてあそんだ数々の禁忌……』


『だがこれでわかった。末妹は兄弟たちにできなかったことを成し遂げ、自らの力を誇示する意味で凶行を企ててきたのだ。それだけ兄弟たちからないがしろにされた傷が深かったということか……』


 イロハはこの言葉を聞き、握った拳の中で爪が刺さり血がにじむ。

 過去に傷つけられた自尊心のための復讐、それだけのために大勢の者たちが苦しむ結果となったのか? それだけのために志乃は翻弄ほんろうされる運命を辿って来たのか?


──また二人で一緒に旅すっぺ! 今度はオラたちのおかぁを探しに行く旅だ!


 かつて志乃と約束した自分の言葉がイロハを苦しめる。

 恐らく今、志乃があさぎと戦っている理由は志乃が全てを知ったからだ。 


 身勝手な意地のため自分に命を吹き込み、偽りの運命を与えた元凶を消すために。

 


「兄弟への当て付け? 復讐? 違うね、全然違う」


 一人ずっと考えていた莉緒が、突然声を上げた。


「……違う? 何がどう違うというのか?」


 皆、驚いて莉緒へと視線を向ける。


「あたしには神様の考えなんかわからないよ。でもこれだけは言える、あさぎは力の誇示なんかこれっぽっちも考えて無かったのさ。それどころか今まで日ノ本を守って来たんだ、居なくなった兄弟たちの分までね」


「何故そう思うのです?」


「神様たちの前で悪いがね、あんたたちの兄弟は人間と支配する神だけの事だけしか考えず、大部分の妖怪の事は殆ど考えなかっただろう? あさぎはそこまで視野に入れて日ノ本を管理していたんだよ」


 地霊や土地神にもなれず、日ノ本の影へと追いやられた妖怪たち。あさぎは彼らに同情し力を与えることで自信を持たせた。もし妖怪たちが負の感情を蓄積させ続けたところへ再び空からの脅威がやって来たら……。

 あさぎは妖怪たちを率い適度に高天ヶ原へ攻めさせた。こうすることで妖怪たちの恨みはある程度晴らされ、誰からも支配されぬ神へ危機感を持たせることができた。滅ばぬ程度に戦の繰り返された顕界は発展、新たな技術や文化が生まれ、人間たちは多くの教訓を学ぶことが出来たのだ。


 これは狂気から成せることではない、まるで神そのものの所業ではないか……。


「では黒い鏡は何だというのか? あれこそ不要の災いを招いた、我々へと当てつけではないか!」


「……あたしの思いついた理由は二つ。一つは己の招いた災いを自分の手でケリつけたかったってところじゃないかねぇ」


「ではもう一つは?」


「まだわからないか? 身代わりになったあんたらを解放するためだろ!」



 莉緒の声が響く中、ハッと顔を上げるイロハ。二柱は互いに見合わせ膝を付くと、男神は目を閉じて歯を食い縛り、女神は泣き声を上げた。


「……そうであったか……我らはどうして気付いてやれなんだか……」

「……あの子はたった一人……ずっと一人で戦っていたのに……」


 と、その時、後ろの壁に再び八潮が映し出される!

 空中で凄まじい爆発が起こり、金色の光は地に落ちていく!


(志乃! そうだ、志乃はまだ戦っている!)


 意を決すると立ち上がって前に出た。


「あさぎはあさぎの考えがあって日ノ本を守って来た。あさぎはオラにも想像付かない位に凄いことを成してきたってわかった」

 

 そして比紗瑚たちの前で脇差を掲げた。


「二人に水差す真似はしねぇ。でも、志乃があさぎにやられたら……その時はオラが志乃の仇を討つ! 相手が何者でも、誰が止めても必ずだ!!」


 この言葉に莉緒も膝を叩いて立ち上がる!


「友のために神を斬ると言うかっ!! よくぞ吠えたイロハよっ!! それでこそこの莉緒の娘!! 蒼牙の子よっ!!」


 自分も死ぬ気で助太刀すると言わんばかりにイロハを掴む。

 二人の言葉に比紗瑚たちは互いにうなずき合い、立ち上がる。


「貴女方の心はよくわかりました。妹のことは私たちも責があります」

「我らも協力致そう」


 二柱の思わぬ言葉にイロハは驚くも、頷く。そして壁を見据えた。


(……志乃、死なねぇでくろ! オラ志乃が何者でも死んで欲しくねぇ!)


 戦いの行く末を見届けるべく、じっと壁を睨み続けた。

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