合せ鏡 其ノ三


 イロハが集落へ戻ると、集会場に庭火にわび(神事につけられる火)がかれ人が集まっている。どうやら今晩、婚礼の儀が執り行われるらしい。

 婚礼の儀とはホコラサマに里の男女が夫婦となる許しを得るため行われる儀式だ。日ノ本で普通このような儀を行うのは公家や大名、一部の御大尽おだいじんくらいなものである。身分という境の無い隠者の里ならではの風習であった。

 里人の多くは老人だが、年の若い人間も少なくは無い。病にかかり捨てられた者、罪を犯し逃げてきた者、何らかの理由で日ノ本に居れなくなった者、様々だ。


「めでてぇ席に小汚ねぇ坊主はお呼びじゃねぇな」

「ほだごだねぇよ。焚火たきびもあったけぇし、ここさ居てくろ」


 典甚にそう言うイロハだが、今すぐにでも母の助太刀のために葦鹿あしかへと戻りたい。だが志乃のこともある。内心歯がゆく思うも気を静め、今はじっと待つのだった。


『イロハッ!』


 里人に混ざり見物していたところ、急に後ろから声が掛かりドキリとする。

 振り返ると見知った白と黒のいぬが二匹。


「あ、兄者!? それに御影みかげまでなしてここさに!?」


 イロハの従兄弟で屋敷を任せてきた月光とその部下の御影だった。

 参列していた他の山狗たちも集まって来る。


「お前こそ何故ここに居る!? 山を下りたのではなかったのか!?」

「オ、オラはこの里に用があって……」


 と、ここで典甚が月光を見るなり声を上げた。


「ややぁ、犬がしゃべってらっ!」

「なっ!? 余所者ではないかっ! イロハ! これはどういうことだっ!?」


(あちゃ~……)


 もう婚礼の儀どころではない。周りにいた全員が何事かとこちらを向いている。


「これっ! 大切な儀の最中だぞっ!」


 巫女婆が一喝するも騒ぎは収まらない。

 遂には騒ぎを聞きつけ、おしろいを付けた女まで走って来た。


『イロハさんっ!!』


…………


 今宵の儀で新たに夫婦となる女は、イロハの世話係のおかよであった。何とか儀も済ませ家に向かう筈であったが、水倉の家に積もる話があるからと頼み込むおかよ。夫も気のいい亭主で快くそれを許し、先に帰って行った。

 月光たち水倉の狗がここに居た理由、それは今まで長く仕えてくれたおかよを祝うためだったらしい。本来ならばイロハが来るべきだったが、月光が代理で向かおうとしたところ成り行きで大勢押し掛けてしまったらしい。

 

 イロハはここに自分がいる理由を一から皆に話して聞かせた。何とか誤解も解け、莉緒が生きていたことを伝えると皆度肝を抜かして驚くのだった。


 儀が終わって人もまばらとなり、残り火の前に集まって話をする。 


「……ほうだすか。小幡こばたの宮司様が……」


「志乃が出て行ってから間も無くだった。人間生きがい無くしちまうと長くねぇもんだ。……悪りぃな。暫く会って、しかもめでたい日にこんな話しちまってよ」


「いんえ。もし落ち着いて莉緒さんと会えた時、手を合わせに行かしてくだせぇ」


 まだ莉緒とおかよが星ノ宮神社にいた頃、典甚は二人の様子を見に度々神社を訪れていたのだった。特に犬猿の仲という訳ではないが、莉緒と典甚が怒鳴り声の喧嘩をすることがあり、その都度おかよが止めていたものだ。


「ほんでも典爺はオラをおかぁの子だってよく知ってたな」

「そりゃおめぇ、一目でピンときたさ。目元も声もそっくしで、無鉄砲なところまで似ていやがる。しかも御丁寧に神社に居ると来たもんだ、カッカッカッ!」


「ふむ……しかし解せぬ。何故貴殿はこうしてこの里に居る? イロハが連れて来たとはいえ、ホコラサマがそうそうお許し下さるとは思えん」


 本来隠者の里は行き場を失った者のみ入ることを許される。それ以外は余程の理由が無いと、里に余所者は入れないと月光は言っているのだ。


「……んー、それは俺にもよくわがんねぇきとも、もしかしたら一回ここさ来た事があったのかも知んねぇな。憶えちゃいねぇが偏屈者へんくつもの(へそまがり、変わり者)の俺の事だ、こっから出せと言ったのかも知れねぇ」


 ケノ国各地を旅し数百年生き続けている坊主はそういって頭を叩いた。世の中どこがどう繋がるかは神のみぞ知る。塞翁さいおうが馬とはよくいったものだ。


「典爺もここで暮らせばいいのに」

「坊主は仏様を拝むもんだ! ……あぁ前も同じこと言って出てきたのかもな。まぁおかよ、おめぇは末永く幸せにやりな。そのうち莉緒も帰ってくらぁ」

「へぇ、ありがとうごぜぇます」


 このやり取りを聞き、おかよの足元で寝そべっていた松五郎が溜息をつく。


「はぁ……これでおかよ姐さんの目のお役目も御免となったわけだ。終わってみると気が抜けちまって寂しいような気もしますわい」


 おかよの目は生まれつき悪かったため、ホコラサマの加護でも余り良くはならなかった。おかよを助けるためにずっと付きっきりだった老狗の松五郎が、寂しそうにポツリと漏らす。


「ほんに、今までありがとうごぜぇました。松五郎さんには感謝してもしきれねぇくらいです」

「いやいや、この老体にお役目が貰えただけでも幸いでござんした」


 と、ここで御影が話に割って入る。


哨戒しょうかいの組頭に空きがあるが、若造どもを鍛える役目は如何かな?」

「それは御免こうむろう。この老いぼれ、逆に探して貰う立場になったら組頭の面目が立たなくなる」


 松五郎の言葉に皆は大笑いした。

 

「はははは! ……あれ? ちょっと行って来る」

 

 

…………


 婚礼の儀が行われていた広場を、遠巻きからあさぎはじっと眺めていた。


(………)


 大昔ならさほど珍しくも無かった日常の光景、だが何故だろう。この時あさぎの目には庭火が一段とまぶしく見え、近づくこともできずに立っているしかなかった。

 己の悲願を叶える時が間近に迫る事への緊張か。遥か昔に己の失った物を、手に入れることが出来た者へのうらやみなのか……。庭火が小さくなり残り火となっても、まるで誰かを見送るかのようにじっと見つめていた。


 やがてイロハがあさぎの存在に気付き、こちらへ向かって来る。


「あさぎ、志乃は!?」

「大丈夫、ホコラサマが何とかしてくれるわ。でももう少しかかるかもね」

「ほっか、あぁえがったぁ! あさぎもこっちさ来て火に当たればいいべ」

「私はいいわ、こんな格好だし。大切な儀を汚す訳にもいかないでしょう」


 そう言うと血がべっとりと付いたドレスを見せる。


「誰も気にしねと思うきと……着るものなら借りれば」

「大丈夫、気にしないで。それよりイロハ、先に葦鹿へ戻るの?」

「あ、そだ! でも志乃は……」

「後は私だけで何とかなりそうだしいいわ。貴女の好きに決めなさい」

「うん……じゃあ戻る。おかぁとトラだけ戦わせる訳にはいかねぇ」


 そこへ巫女婆が血相を変えて走って来た。


「ここにおったか! ホコラサマが至急参れと! 何事かあったようだ!」

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