八溝、動乱 其ノ十三
皆、山姥の家の前で薬を貰い手当てが終わったところだった。一番容体が悪かったトラも霊水を貰い元気である。火傷は大したことはなかったが、後ろ足の傷が深く、暫くはまともに走れないかもしれない。
そんな中、集まった者たちを見て声を掛ける山姥。
「新米は甘やかさず殺さず育てるもんだ。後で光丸坊に言っといてくれ、荷物を早く取りに来い、とな」
「はい、お世話になりました」
(もー!こんな頭来る婆さんなんかほっときなよっ!)
五郎天狗が素直に礼を言うも、茜の方はさっさと
「新しい猫の
今度は那珂の里の猫たちを向く。
「あ、当たり前だ! 言われるまでもねぇ!」
「親分はあっしらで盛り立てて行きますぜ! なあみんな!」
『おうっ!』
山姥の威圧に押されぬよう、胸を張る烈風。それを八兵衛や猫たちが後押しする。新たに那珂の里を率いていく猫たちは、既に結束力は盤石だと言わんばかりに見せつけるのだった。
しかしただ一匹、山姥に対しそっぽを向いている大柄な猫がいた。いうまでもなくトラである。
「お前はもう
「うるせぇ婆ァ!」
「ん? おめぇは何しにここさ来た?」
最後に
「那珂川から参りました、香清と申します。偶然那珂の猫たちと居合わせここに居る次第。お許し願えればまた後日、改めてお伺いしとう存じます」
この言葉に山姥はふと思案した。山姥は香清が川姫の使いであることをとうに見抜いていたのだ。ここから那珂の川までは距離があり、
「ふん、それじゃ二度手間じゃないか。きっかり三日後、あたしゃ南の女人山にいると言え! 話ぐらいは聞いてやるが、必ず一人で『歩いて』来いともな!」
「は、はい! 必ずお伝えします!」
頭を下げながらも顔が
その時、丁度戸を開けて家から出て来たイロハに皆が釘付けとなる。大きな羽の付いた帽子、
「お、御嬢!…見違えましたぜ…」
「なんとハイカラな…」
「イロハばっかり! えこ
「…ふん」
「そ、そだに見ねぇでくろ…!」
いつも同義姿だったイロハが異国の服に身を包み、一同の的となる。思わず恥ずかしくなり、身を屈めてしまった。
「ほれ、これをおめぇにやる。昔、山ん中さ落ちてたから拾っといたんだ」
山姥はそう言って持っていた太刀をイロハに手渡した。二十年ほど前、
「これが、おかぁの刀……」
「うむ……、さて、皆よく聞くがええ。ここに居るイロハをたった今、あたしの後釜へすえることにした!」
『はぁ!?』
「な、なしてそうなんだ!?」
「那珂の山も三途の川の番も、少しづつ憶えればええ。
冗談ではない、自分は返事をしていないというのに! しかし既に服を貰い莉緒の刀も返して貰った。今更突っ返す訳にもいかないが、母の形見を手放したくはない。
「オ、オラ…」
「ん?」
「オラ山の番も三途の番も出来ねぇっ!! おかぁと志乃を探しに行かなきゃなんねぇんだ!!」
「な、なにぃ!?」
「よくぞ申したイロハよっ!!」
トラは喜び勇んでイロハを
「……」
「ご、御隠居ー!?」
「おめぇら! ボサッとしてねぇで追うぞっ!」
「あたしらも行こっか。はいみんな忘れ物ないねー?」
「あ、あぁ」
「ガネシャモ、べべ着タイ!」
「では瑠玖姫も待っていますので、私はこれで……」
「おめぇらっ!! 二度とここさ来んでねぇぇぇぇ────っ!!!!」
怒りを爆発させた山姥の叫び、山々に激震と天変地異を呼ぶ!
どこからともなく大岩が降ってくる中、皆逃げるようにして山を下りる。
「はぁ……。はて、
薄々イロハに後を継ぐ気が無い事を勘付いていたのだろう。諦め肩を落とし、東の空が明るみ出すのを見ながら家の中へと戻っていくのだった。
一方、
「……よくやってくれました、素晴らしい遺恨と悪意の塊。やはり600年もの間、積もり積もっただけはあります。やはり人間のそれとは比べ物にならない…」
「九尾狐の行方も追っておりますが、どういう訳か金毛の一本すら見付かりませぬ」
負の力を取り込みうっとりとする七宝業者に、宗次郎は部下からの報告を告げた。
「ケノ国から姿を消したのでしょう。ですがもはや無用、これだけの力があれば何もいりません、十分です」
方や佳枝は自分の立てた作戦が失敗し、
「裏で
ダンッ!
「そんな馬鹿な!? まだ城主は江戸から帰って来ていない筈!?」
「城内の混乱具合からして、織原は他国と手を組んでいるどころではない筈! この手際、忠真が間に入ったに違いない!
「な、なんだと!? 佳枝殿は拙者を疑っておるのか!?」
「およしなさい、仲間割れしている場合ではありません」
七宝業者が止める中、紗実と鬼怒丸はこのやり取りをニヤニヤ眺めている。
「けどよ、けじめってやつはつけて貰わねぇとなぁ? 俺たちはうっかりすると挟み撃ちになってたかもしれないんだぜ?」
「控えよ下郎っ! 失敗しておいてよくも抜け抜けとっ!」
「んだと?」
怒りで手当たり次第当たり散らす佳枝。宗次郎は七宝業者の方を見てニヤリとし、刀を抜いた。
「いや、その通りだ。けじめは必要でしょうな、七宝業者殿?」
「えぇ、必要でしょう」
「宗次郎殿……?」
振り向き、宗次郎の様子がおかしい事に気が付く佳枝。
その瞬間、素早い突きが襲った!
寸でのところで避け、思わず腕を押さえる佳枝!
「な、なにをっ!?」
「わからぬか? 用が済んだのだよ、貴殿は」
「乱心召されたか!? 七宝業者殿! この者やはり裏切りおったわ!!」
錯乱し助けを求めるも、七宝業者は無表情のままだ。
「裏切り? この場に裏切り者など居りませんよ?」
「え!?」
「宗次郎殿は私に力を貸してくれると約束して下さいました。幕府転覆だけでなく、この日ノ本を含む全ての世界の
「……何を言って……おられる……のだ?」
改めて宗次郎の顔を見て、佳枝は肝を潰した。もはやそれは人の顔では無く、よくよくに歪んだ狂気の表情を浮かべていたのだ。
「七宝業者殿は実に素晴らしい! 腐り切ったこの世を清浄に導いて下さろうとしている! しかし残念だ、おまえはここで死んで貰おう。まだ利用価値のあった芳賀の当主を亡き者にし、どこぞの山奥へ捨て去るとは少々やり過ぎた」
そう言って佳枝に迫る宗次郎。
「乱心の末、実の娘を殺害後、自害。そういう事にすれば、役人や
「あっさり身内を殺しちまう奴と手は組めねぇしなぁ、消えて貰うと助かるぜ」
鬼怒丸と紗実も迫り、囲まれる状況となった佳枝は思わず後ずさりする。
そして、この場に自分の味方がいないことに気付いた。
ガラッ!
逃げようとした
ボトッ ボトボトッ
「ひ……」
黒装束たちは、各自が佳枝の手下だった者の首を投げて寄越す。反対側の部屋へと逃げ込もうとするも、やはり襖は開き黒装束たちが現れる。一番前にはあの狐面の姿もあった。
完全に
「くっくっく、よい余興を思いついた。おい、顔を見せてやれ」
「……」
宗次郎に言われるまま、女は面をとり顔を見せる。
その顔は……。
「……鈴音……?」
「…………」
かつて自分が手に掛けようとした実の娘、鈴音だった。藤原の家から鈴音を
久しぶりに対面した母子。だが石の埋め込まれた鈴音の額を見るなり、佳枝の顔はみるみる青くなっていく。もうこの娘は、本当の意味で自分の子ではないと悟った。
「さあ親子で仲良く殺し合えっ! 遠慮はいらぬぞ鈴音よ、目の前に居るのはお前を絶望の淵へと追いやった仇だ。今度はお前が母を殺し、山へ捨ててくる番だ、ははははっ!!」
「……」
「……ケッ、下らねぇ」
「……」
硬直が続くと思われた両者だったが、意外にもすぐ動きがあった。
ガキンッ!
鈴音が佳枝の苦無を弾き飛ばし、刃の切っ先を佳枝へと向けたのだ。
半場放心状態の佳枝はこれに反応できなかった、その場に崩れ落ちる。
「……鈴音、今まで済まなかった……! お前には期待をしていたばっかりに、ついあんな仕打ちをしてしまった……!……どうか私を、母を許しておくれ……!」
「はっはっはっ! 芳賀佳枝とあろう者が無様なものだな! この
屈辱的な言葉を浴びせられる中、佳枝は鈴音の足に掴まり涙を流し謝罪した。
鈴音は始終無表情で佳枝を見ていたが、やがて苦無を放してしまったのだ。
「殺れというのが分らんのかっ!! この馬鹿親子がぁ──!!!」
堪り兼ねた宗次郎は刀を振り上げ、鈴音ごと佳枝を斬ろうとした!
ダァ──ンッ!!
ドサッ
突如響く銃声、佳枝がこめかみを貫かれ倒れる。振り向くと紗実が筒から昇る硝煙を吹き消しているところだった。余興を台無しにされ、宗次郎の顔が見る見る赤く染まっていく。
「……貴様!!」
「でかい声出すから、うっかり手が滑っちまったぜ」
詰め寄ろうとしたところで鬼怒丸が紗実を
「余興はここまでとしましょう。今度は巫女を連れて来なさい、生死は問いません」
七宝業者がそう言うと、各々が下がっていく。
一人、顔に返り血の付いた鈴音だけは黙って母の亡骸を見ていた。涙すら流さず、ただ見ていたのだ。目に光の無い眼が、動かなくなった母の姿を映していた。
そんな鈴音に七宝業者は近づくと額に手をやる。額の石が黒い光を放つと、ようやく鈴音はその場を離れ去って行った。
「……」
何を思ったのか、佳枝の亡骸の前で衣を解く七宝行者。本来なら裸体のある場所に広がっていたのは限りない闇。その闇へと佳枝の体が吸い込まれていく。
そして、七宝業者は佳枝の姿へと変わったではないか!
『ふふふ……はははははははははは………』
死んだ筈の女の声が、まだ暗い屋敷の中を木霊するのだった。
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