篭め 篭め 下章 其ノ三
蒼牙の葬式があった数日後、トラがひょっこりと星ノ宮神社に戻ってきた。
(志乃の奴、もう大丈夫だろうか)
草むらからじっと社の様子を伺う。
いた! 何事もなかったかの様に境内の掃き掃除をしている。安心して出ていこうと思った時、石段から誰か上がってくる気配を感じる。
(む、人間か。…見かけぬ奴だな?)
参拝客の様だがどこか様子が変だ。きょろきょろと辺りを見渡したかと思うと、社に近づき中を覗こうとする。流石に見かねた志乃がその男に話しかけた。
トラも草むらから聞き耳を立てる。
「ご参拝でしょうか? 祭り事でしたら小幡か
「あ、いやぁ。あたしは最近こっちに移り住んできたモンでして……。しかし立派なお社ですなぁ! 少し中を見せて頂けませんかねぇ?」
扉を開けないという条件で本殿を覗かせる志乃。その後もこの男は祭神は何だとか御神体は何だとか、根掘り葉掘り聞くのだった。
(妙な奴だ。さては物盗りか?)
いっそ飛び出して追い払うか? そう考えていると男はペコペコ頭を下げて帰っていった。その様子を見届けた志乃が、離れの中へと入っていく。
(一体何だったんじゃ?)
「おかえりトラ。いいものあるけど、食べる?」
「なっ!?」
離れに入った筈の志乃が、気付けば自分の目の前にいた。完全に気配を消して隠れていたのに見破られ、気配も感じさせないとは! 驚きながら草むらから顔を出すと、目の前に器が置かれる。
「こ、これは
鱶とは
「今朝お店で売ってたの。最近は色んな物が売られているわ。毒は無いみたいだから安心して」
「どういう意味だ?」
すると志乃は真剣な面持ちで問いかける。
「さっきの人、トラにはどう見えた?」
先程の参拝客の男のことだ。
「おかしな人間だったな。流れ者のようだが盗人ではあるまい?」
「他に何も感じなかった?」
「??」
「そっか、トラでもわかんなかったか。…ううん、いいの」
腑に落ちないトラだったが、勧められるまま鱶の子にかぶりつく。トラが夢中で鱶の子を食べている間、志乃はその様子をじっと見ていた。そしてうまそうに食べているのを確認すると境内に腰掛ける。空を見上げると幼子の様に足をぶらつかせた。
もしかするとまだおかしいのではないだろうか?
空になった器を
「あー…志乃よ」
「何?」
「最近どこかおかしいぞ」となどと切り出そうとして言葉が詰まった。この年頃の娘はかなり微妙だ。下手に聞き方を間違えると機嫌を損ねるだろう。
「そういえばトラは最近どうしてたの?」
「なに、そこいらをボチボチとな。新米も増えたようでこっちは喧騒が絶えぬわ」
蒼牙が死んだことはもう少し後で話した方がいいだろう。葬儀に呼ばれなかったことを怒るかもしれない。
「そう。私、これから小幡神社までいかないと」
「のう、志乃よ」
これはいけない! ここぞとばかりに志乃を見上げ、話を切り出す。
「お前さん……その、なんだ。ここ最近無理をし過ぎてはおらんか?」
「してる」
「そうか……あっ!? いや、駄目だ駄目だ!」
「ごめんね、お迎えが来ちゃった。私行かないと」
志乃はひょいと飛び降りると、小脇に包を抱えて石段を降りようとする。
「志乃…」
「トラは今晩も帰ってくるでしょ? その時に話すわ。色々と、ね」
そう言ってトラの頭をくしゃくしゃ撫でると石段を降りていく。下では丁度典甚が上がってくるところだった。
(……)
一匹残されたトラは心配そうに見送る。話している間、志乃は一切の表情を見せなかった。
トラは何処へ行く気も失せ、境内に上がると腰を下ろして目を閉じるのだった。
最近の志乃は頻繁に小幡神社へ出入りし、典甚と会って話をしているようだった。
「ところで志乃、おめぇ」
(しっ、つけられてるわ)
(わかっとる)
後ろから微かに何者かの気配。かなりの手練による尾行だったが、志乃と典甚はそれに気づいていた。
「今度葦鹿からおめぇに客が来るみてぇだきとよ、支度できてんのか?」
「ええ、大丈夫よ。ところで私の謹慎はいつとけるの?」
「んー、向こう様の都合あっからもう暫くだんべな」
業と辺りに聞こえるように会話する。
小幡神社が近づくと気配は消えた。
(付けるのが下手だな)
(神社の中まで入ってこないでしょうね?)
(ダイジだ。天井裏から縁の下に至るまで、蟻の子一匹入れねぇよ)
念の為に辺りを警戒する振りをして、二人は石段を上がっていった。
夕方、志乃が星ノ宮神社に戻るとトラが境内で待っていた。
「今日一日そこに居たの?」
「ん、そういう訳では無いが」
「誰か来なかった?」
「いや、気配すらせんかったな」
志乃は社のまわりを見渡す。誰の気配も感じないのを確認すると離れに入る。
「少し早いけど
夕餉を簡素に済ませ、祈祷を行うとさっさと横になってしまった。
その夜、トラは寝付けないでいた。
(なんじゃい、帰ってきたら話すとか言っておいて寝ちまうとは…)
心配していた自分が馬鹿みたいだと思っていると、声がする。
「寝れない?」
「寝すぎて眠れん! それより志乃、何があったか話してくれてもよかろう!」
やや苛立ちも交えてトラが答えると、志乃はトラを抱えて枕元に寄せ、小声で話し始めた。
「トラ……もし私が人間じゃなくて、妖怪だったらどうする?」
「なんだと?」
「かあさんの日誌読んだの………私のかあさんね、人間じゃなくて妖だった……それだけじゃない。私ね、拾っ子だったみたい。そう書いてあったわ」
「日誌だと? あの女から貰ったものか! そんなもの真に受けてどうする!?」
「勿論、本当にかあさんが書いたものかはわからない。だからもしもの話……。日誌が本物じゃないかもしれないけど………でも……」
驚いたトラだったが、少し考えると落ち着いてこう話した。
「……お前の言わんとすることはこうだろう? 『今まで己が妖とは知らず妖狩りを行っていた、周りから見ればさぞかし滑稽だろう』とな。だがな、志乃よ。人間でも妖でも猫でも、気に入らん奴はぶっ叩く、それが理ではないか? それにお主はどう見ても人間だろう。いくら年寄りでも人間と妖を見間違えるほど
「昼間来た人、あれ妖の仲間よ」
「な、な、なんだと!?」
衝撃の言葉に飛び上がるトラ。
そんな馬鹿な!? 妖気の欠片すら感じなかった筈!
そもそもこの神社には妖除けの呪いがしてある筈ではなかったのか!?
「典爺が言うにはね、妖の血が混じった人間が町に大勢いるらしいの。術具を使えば完全に妖気を消せて、普通の人間と見分けつかなくなるみたいね」
「………」
三十年以上生きてきたトラも、この話は初耳だった。
「今の話、誰にも話さないでね。たとえ同じ猫同士でも」
「うむむ……。む? 待て!? 志乃よ、まさかここらの人里は……!?」
「ええ、その通りよ」
「今、八潮の里は半妖人の巣窟になってる」
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