狙われた里 上章 其ノ二


 弁天入り、神社の傍にある森の入り口である。始めはイライラしながら歩いていた志乃も、簪の力で頭がすっきりしていく感覚を受ける。


(なにこいつ? 私の機嫌を取ってるつもり?)


 足取りが軽くなる頃には森に入り、辺りは薄暗くなる。ここへはできるだけ来たくは無い。薄気味悪いだけでなく危険な場所だからである。思えばイロハはよくこんなところに住み着いていたものだ。


(あれね)


 ふと見た二本の木に不自然な違和感を感じた。

 間違いない、あの向こうにあさぎが待ってる。慎重に獣道から外れ、志乃は木の間へと歩いて行った。


…………


 この前と同じ、暗くて何も見えない道を手探りで歩く志乃。いくばも歩かないうちに、見えない壁にぶつかった。

 錫杖しゃくじょうで突くと確かに壁だ。試しに両手で押したその時、


ギイィィィィィィ……


 壁が観音扉の様に開き、恐ろしく広い部屋に出た。


『いらっしゃい。歓迎するわ』


 薄暗い部屋にあさぎの声が響く。そして辺りが徐々に明るくなっていくのがわかった。ごちゃごちゃと物が置かれた部屋の中央に、あさぎと従者の花梨かりんがいた。


「ようこそ宵闇町の最高峰へ」


………



カチカチカチ……


 ぼんやりとした部屋の中、奇妙なカラクリの音だけが響く。この部屋の光は蝋燭では無く、発光しながら浮遊している小さな妖怪らしい。椅子に座るように促されると花梨に錫杖を預けるよう言われた。仕方なく預けると、代わりに花梨は器を持ってくる。器には熱そうな黒い液体が注がれた。


「いい香りでしょ? 召し上がれ」


 嗅ぐと確かに甘く、よい匂いがする……。


(毒?)


 飲むと口に甘い香りが広がる。

 そして同時に強烈な酸味が襲った。


「ゲホッ!」

「いい味でしょ? 身体にいいのよ」


 にこにこと笑うあさぎに怒りを覚える志乃。


「……さっさと用を言ったら?」

「どうせ暇でしょ? 烏頭目宮守うずめのみやのかみがケノ国に戻ってくるまで、貴女は謹慎中らしいじゃない」

「何を言っているの?」

「聞いてないの? 典甚てんじんとかいうお坊さんが、貴女とケノ国藩主を引き合わせようとしてることも?」

「!?」

「詳しくはそのお坊さんから聞きなさいな。今の江戸の状況からすれば早くて年明け。それまでなまっていなければよいわね」


 この女、江戸での情報まで耳に入ってくるというのだろうか? それにしても一々と突っかかるような言い方をしてくる、こいつはそういう女だ。上手く調子に乗られてはいけない!


「私にとってはどうでも宜しい事ですわ。それより志乃、私に聞きたいことは沢山ある筈よ。そのためにここへ呼んで差し上げたのだから」

「あんた人間の子供を使いに寄越したわね? 人間に手を出すならどうなるかわかってるんでしょうね!?」

「あぁ、そんなこと」


ちりんちりん……


 あさぎが退屈そうに呼び鈴を鳴らすと、誰かがこちらに歩いてくる。


「おねぇちゃん、さっきはありがとう」


「!?」


 呼ばれて姿を見せたのは、先程神社に来た童女だった!


「この子には妖の血も混じってるの。護符やお祓いも平気だし、夜目も利く、とても優秀な下邊しもべよ。噂に名高い八潮の巫女も流石に見抜けなかったようね」


 皮肉を利かせると、童女に下がるように言った。

 半妖怪人間。以前志乃は典甚から聞いてはいたがあくまでイロハの様な特例だけで、そう何人もいるとは思っていなかったのだ。


「ああいった子は世界中、勿論ケノ国にも沢山いるわ。今後も適切な居場所を作ってあげられるかが課題ね。……それよりも貴女、あの子を見て何も思わなかったのかしら?」

「な、なによ」

「八潮は小さな里なのでしょう? 八百万やおよろずの神の名は憶えられなくても自分の居る里の住人くらいは憶えきれる筈では無くて? もしあの子が何者かの刺客なら、貴女は殺されていたかも知れなくてよ?」


 確かにその通りだ、志乃はぐぅの字も出ない。

 軽蔑するような視線を送るあさぎは尚も続ける。


「折角御身内が気を利かせてくれているのに……もう少し自分の立場というものを自覚するべきですわ。貴女、里の人間と上手くやれて無いのではなくて?」


 止めを刺す鋭い一言!


 普段の志乃ならここで心折られてしまっていただろう。

 簪の効果だろうか、一呼吸置いて冷静に言い返す!


「……確かに私は甘かったかもしれないわ。里の人間全ての顔くらいは把握しておくべきかもしれない。あんたの陰湿な助平根性を少しは見習うべきなのかしら」


「……」


 志乃に向けられた刃が跳ね返り、あさぎに返ってきた。

 隣で聞いていた花梨は一瞬納得してしまうが、この空気はまずいと気付く。


「御二人方! 少し冷静に!」

「……花梨、大福屋でカステラを買ってきて頂戴」

「今からあそこまでですか!?」

「そうよ。買って来るまで帰って来ないで頂戴」


 にこにこしながら金を渡すあさぎだが目が笑っていない。

 殺気を感じた花梨は逃げるように部屋から出て行った。


 残された二人の間に微妙な空気が漂う……。


「……」

「……」


「……」

「……他に何か聞くべきことがあるでしょう?」

「無いわ」


 あっさりとした返答に、茶を吹き出しそうになって志乃を睨む。


「意地悪ね! ちゆりの日誌を読んだのならもう少し私を信頼してくれてもいいと思うわ!」

「日誌? 読んでないわよ。あんな白紙の日誌どうやって読むのよ!」


 あさぎは驚き、思わず志乃を二度見した!

 そんな筈はない、と。


「何を言っているの? ここに来れたなら読めた筈よ? 貴女に渡した手紙も同じ術を施したのですもの。そんなに難しいことも書いていなかったでしょう?」

「だから何も書いてなかったって言ってるでしょ! イロハにも……」


 イロハにも見せた、そう言いかけて志乃は口をつぐむ。


 しまった!


ガタンッ!!


 テーブルを叩くと志乃を睨みつけ立ち上がる!


「イロハに見せたの!? 誰にも見せるなと言ったのに! 他には誰に見せたの!?」

「……珠妃とさくら。で、でも仕方ないじゃない! 珠妃の場合は強引に……」

「その二人は日誌を読めたの!? まだ貴女の手元にあるんでしょうね!?」


 怒りというより動揺している。

 そんなに見られてはまずいものだったのだろうか?


「さくらは読めたみたいだけど、珠妃は簡単にめくっただけよ。それにまだ日誌は私が持ってるけど……」


ちりんちりんっ!


「九尾の狐は一瞬でも目に写った物を憶えてしまうわ! ……ああ、来たわね、急いで花梨を呼び戻して! こうしてはいられないわ、口止めしないと………ああもうっ! 予定がズレちゃうじゃない!」


 こんなに慌てているあさぎを見るのは初めてだ。先程の童子を呼び出したり、小さな帳面をめくったりと大忙しである。帳面を見ながら何やらぶつぶつと文句を言っていたが、冷めた茶を一気に飲み干し、落ち着きを取り戻した。


「で、『さくら』というのは? 」

「……もういない。何処にもね」


 誰にも話したくないし話せない。

 もう思い出したくもない。


 しかし、一瞬暗い表情を見せてしまった志乃をあさぎは見逃さなかった! 

 目の前に指で窓を作ると、その中に志乃を収める。


「さくらに初めて会ったのは何時? 一緒にどんなことをしたの?」


「っ!? やめてっ!!」


 あさぎはカマを掛けただけだが、志乃が一瞬さくらを思い浮かべてしまうには十分だった。立ち待ち推し閉めていた扉が開かれ、あさぎの指の間から様々な事柄が映し出される。


 汐鎌しおかま神社で出会った幽霊の事……

 不思議と意気投合し、仲良くなったこと……

 ちゆりの日誌を持ち出し、自分が敵であることを打ち明けてきたこと……

 最後に志乃に討たれ、石となって消えてしまったこと……


(…………そう、これなら)


パシッ!!


 突如、死角から頬へ痛みが走る。

 反射的に掴んだそれは志乃の右腕であった。


ガシャン


「…………最低な女」

「こうしないと話さなかったでしょ」

「今度同じことしてみなさいよ! 確実にあんたを殺すわ!!」

「その前に顔をお拭きなさいな」


 懐からハンカチを取り出し志乃に差し出す。

 だが志乃は受け取らず、袖で顔を拭う。


「必要以上のことは覗かなかったわ。今ので約束を破った事は御相子、お互いそういうことにしましょ。でないと貴女に大切なことを話せない」


 倒れたテーブルを何事も無かったかのように戻すと椅子に腰かけ、志乃も座るように促す。勝手なことを、と思うも一理あるだけに忌々しい。ゆっくりと志乃が席に着くのを見て、あさぎは再び鈴を鳴らした。


 今度は先程と別の童女がやって来た。


「保管室からあれを持ってきて頂戴。扱いには気を付けてね」


 そう告げると再び志乃の方を向く。

 志乃は嫌がるように視線を逸らした。


「収穫はあったわ。私と貴女、利害が一致するかもしれない。……さくらの仇、討ちたいとは思わない?」


 志乃の視線に合わせ、自分もテーブルに突っ伏して顔を近づける。


「今から話すことは貴女を呼んだ理由と私の本当の目的。全て打ち明けるわ」


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