星ノ巫女番外編 あさぎと珠妃


 暗い昼と闇より深い夜がある妖怪の国「宵闇町よいやみまち」。妖の、妖による、妖の為のこの場所に一際高い塔がそびえ立つ。その塔こそが象徴であり、中枢であり、そして統治者であるあさぎの居城であった。


 その居城に招かれた大妖怪が一人、白面金毛の妖狐「珠妃」だった。


 あさぎと珠妃、両者は様々な果物の置かれたテーブルを挟み、向かい合っている。あさぎはじっと珠妃の顔を見つめているが、珠妃の方は明後日の方を向いて澄ましていた。


「……」


 何も興味無し、そんな表情だが内心はらわたが煮えたぎっている。自分なりに自重し、人里で騒ぎを起こさずに過ごし、することも限られ冬眠でもしようかと考えていた矢先に呼び出されたのだ。

 大陸にいた頃なら自分を呼び出すなど考えられぬことだったろう。しかし、流石の珠妃も身の上をわきまえていたのか渋々応じたという訳だ。


「中々良い所でしょう? どこか気に入らないの?」


 以前、あさぎは珠妃を宵闇町へ誘ったことがある。だが肝心の珠妃はそれを拒み、やむなく那須野の人里に隠れ住ませていた。


「全部じゃ」


 あっさりとそう言い切る。


「このようなの国のどこが良い物か。妖共を集めて人間の暮らしを真似させるなど虫唾むしずが走る」


 悪態をつき、ちらりとあさぎを見た。睨むなり怒鳴るなりするかと思っていたが、あさぎは意外にも首を傾げ微笑んでいる。何故なら彼女にはこの国への自信と誇りに満ちていたからである。生活水準、文化、技術、住んでいる妖怪の満足度に至るまで遥かに人間社会のそれを越えている。


 だからこそ珠妃はそれが気に入らず、嫉妬していたのである。


「この国に興味はない。わらわは忙しい身じゃ、用があるならさっさと申せ」


 苛立つ珠妃に対し、あさぎは肘をテーブルに置くと組んだ手に顔を乗せた。


「宵闇町に住まないのなら、ケノ国から出て行って貰いたいの」

「ほう! ……それは願っても無いことじゃが、那須野の狛狗や日ノ本の神がどう思うかのぅ。ケノ国を出た妾が何を仕出かすか、わからぬ訳では無かろ?」


「散らばった殺生石を集めて今度は幕府徳川に盾突く、そんなところかしら? でも貴女の方こそ、何度も同じことを繰り返すお馬鹿さんでは無いでしょう?」


ゴトッ!


 突然テーブルの上の瓜が真っ二つとなり、下に落ちた。


「貴公は妾を怒らせるために態々呼ばったのかえ? 望むならこの国ごと滅ぼしてやってもよいのじゃぞ。妾に物を頼むにしても、礼を尽くすのが筋ではないかぇ?」


「この国を滅ぼす? それは穏やかでは無いわね。でも礼を尽くせと言っても貴女が何を欲しているかなんて思いつきもしないけど。あ、この宵闇町は駄目よ」


 この言葉に珠妃はニヤリとした。


「ふむ、確かにその通りよな。そうじゃな、ここで裸踊りでもしてもらおう」


(……こいつ!)


 部屋の隅で控えていた花梨かりんが僅かに反応した。流石に鯉口を抜き、刀を構えるような真似はできない。なんせ相手はあの九尾の狐なのだから……。


「すれば言う事を聞いてくれるのかしら?」

「考えてやろうぞ、妾が気に入ればな」


(……女狐めっ!!)


 目の前で主をコケにされ、流石の花梨も怒りで手が震える。

 当のあさぎは澄ました顔で立ち上がった。


「今の言葉、聞いたわよ。……花梨、部屋の明かりを消して頂戴」


 あろうことかあさぎは後ろを向き、着物の帯へ手を掛け始める。

 花梨は始め信じられないという様子だったが、主の醜態をこれ以上晒させないためにも部屋の明かりを消すのだった。


(ふふふ、無駄じゃ)


 一方珠妃はニヤニヤしながらこのやり取りを見ていた。大方着物を脱ぐ振りをして情けを乞うってくるとみた。そうはいくか。闇夜でも珠妃の目は昼間同様に見通せる。もし腰巻一枚残す様なら野次を飛ばし、罵ってくれようとあさぎを見ていた。

 

 暗闇の中、あさぎは後姿で帯を解き、唐衣からぎぬ(上着)の中で衣類を脱ぎ始めた。一体どこまで脱ぐのかと眺めていたが、全ての下着を床に落とすと唐衣に手を掛け、こちらを向いた。


 そして、振り返ったあさぎを珠妃は見た。


「…………」



 唐衣の下にあったのは限りなく深い闇だった。

 その闇の中、無数の光の点が輝いている。

 光の点一つ一つが突き刺さるような眩さを放っていた。


──これが私よ。よく見えて?


 珠妃の頭に声が響く。

 一体どこから出したのか、例えようの無い響きの声。 


 気がつけば珠妃は額から……いや、体の至る所から脂汗をかいていた。

 この世に生まれ数千年、自分よりひいでている者などいないと考えていた。

 だが一度、たった一度だけ、自分が心から畏怖いふした存在を思い出したのである。


 まさかこの者は……!?


「……もうよい! わかった!」


──ご堪能頂けたかしら?


 声が響き、再び部屋は明るくなる。汗を拭い、珠妃が顔を上げると着物を身に着けたあさぎが澄ました顔で座っていた。


「私の言う事に応じてくれたと受け取っていいわね? 手筈はこちらで整えておくから、準備ができたら今年中に奥州おうしゅう(現在の東北地方)へ向かって頂戴」


「……」


「あら不服? 奥州は元々貴女の向かう筈だった場所、そこに殺生石の塊もある筈。一度自分と向き合ってみるのに良い機会かもしれないわ」


「……今年中でよいのじゃな」

「よかったわ、貴女が長寿な上に博識で。私も脱いだ甲斐がありましてよ」


 僅かに口元を緩めるあさぎの顔を見ずに、珠妃は立ち上がると部屋を後にした。



チリン…  チリン…


 宵闇町の大通り、いつもは妖怪たちの喧噪で溢れかえるこの場所も今日は違った。大妖怪九尾の狐が来ていると知り、どの店も仕舞い戸の隙間から様子を伺っていた。凶悪な大妖怪、関わるのは御免だが一目見てみたい、皆そんな思いだったのだろう。


ポッ ポッ ポッ


 どこからともなく聞こえる鈴の音と共に、珠妃が歩くにつれて狐火が灯る。そして珠妃の前、後ろに法被はっぴを着た狐の妖たちが現れた。その様子は狐の嫁入りというよりは、花魁道中おいらんどうちゅうさながらである。


 この狐たちは珠妃が呼び寄せた訳では無い。宵闇町に珠妃が来ると知って、日ノ本中に居た狐の妖怪たちが勝手に集まって来たのだ。どの狐も珠妃を自分たちの女王であるかのように囲い、舞い、後に続き、灯した提灯を高く掲げ、狐火を飛ばした。


 やがて一行は宵闇町と人間界の境に着く。すると今までついて来た狐たちが一斉に珠妃へ声を掛け始めた。


『お珠様!』

『お珠様! 今こそ日ノ本の狐一同、決起の時にござる!』

『お珠殿、私は今こそ稲荷大明神として祠を預かる身ですが、お声が掛かればいつでも馳せ参じる所存です! どうかご決断を!』

『お珠殿、私は名のある山の主でしたが、勝手な言い掛かりから日ノ本の王に一族を根絶やしにされました……どうか愚かな人間に裁きを……!』


 だが珠妃はこれらの声に見向きもせず、黙って歩いて行ってしまった。


 甘い顔を見せればやがて牙となって返す狐の習性。それを一番自分が知っていたというのもあるが、今自分の置かれている立場を思い、決起どころではなかったのだ。


 日ノ本、恐るべき小国である。顕界けんかいへと戻った九尾の妖怪は、那須野の里を眼下に収め、静かに瞼を閉じるのだった。


星ノ巫女番外編  ─あさぎと珠妃─  完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る