白昼蝶夢の章 其ノ三「竈食」



 左之助は二刀の構えをとり身構える。女と言えこの者も人外の者に違いない、一体どんな真似を仕出かしてくるか想像もつかないのだ。

 鬼気迫る左之助の形相と対照的に、女は口元に手を当て笑っている。


『騒ぎを聞いて来てみれば人間が一人だけ? 大山鳴動して鼠一匹とはこの事ね』


 女がそう言いながら周囲を見回すと、佐之助を囲んでいた妖怪たちは視線を逸らすかのように明後日の方を向き始める。


(なぁるほど。この女が妖怪共の大将ってわけか)


『で、そこの貴方。ここへは何をしに来たのかしら?人間が【宵闇町よいやみまち】に一人で来るなんて身投げに等しいわ』


(宵闇町だと?)


 そんな場所は聞いた事も無い。


『宵闇町は人外の住まう里。私の築いた都であり、私の築いた国そのもの』


 にこりとする女とは対照的に、佐之助は心の臓が止まりかけた。

 この女、覚りの化け物か何かか!?

 自分の思ったことを即座に回答され、そんな錯覚に囚われた。


(ぐっ……)


 はったりでもいい。何か言い返しこの場をやり過ごさねば。弱気を見せればそれに付け込んでくるのが妖。冷や汗を拭うと、佐之助は真っ直ぐ女を睨んだ。


『俺の名は佐之助! 身内の仇を追ってここまで来た! 用があるのは身内の仇のみ、かくまうならこの場にいる者共と刺し違えるだけの事っ!!』


 この言葉に両脇に控えていた童子らが女を庇う。

 周囲の妖怪たちも明らかに目の色が変わった。


『お待ちなさいな。それでは余りにも詰まらないでしょ』


 女は童子の片方に『連れて来なさい』と告げる。

 言われた通りすぐさま闇の中へと消える童子。


 不思議そうな顔をする佐之助。


『仇討ちをしたいのでしょう? させてあげるわ。但し条件があるけれどね』

『条件、だと?』

『だってそうでしょう? 人間が勝手に踏み入りこの地を汚したのよ、生きて帰る為の代償が必要な筈よ』


 疑心拭えぬ女の言葉も今の佐之助にはどうでもよいことに聞こえた。


 生きて帰れる? 違う、仇を取らねばならぬのだ。

 今の自分にはそれしかないのだ!

 条件など知ったことか!


 ………周囲がざわめき始めた。


 ズシン…  ズシン…


 地響きと共に女の後ろから大きな影が浮かび上がる。先程の童子が大男を連れて戻って来た。大男は小脇に抱えていた物を佐之助の前に投げ捨てる。


『そしてこの者はここで暮らす条件が必要。人の世とのしがらみを断ち切れず、そのままここへと逃げ込んで来たのですもの』


 投げられてきた物がゆっくりと動き出し、二つの大きな光る眼を見せる!

 それは佐之助が追っていた仇の妖怪だった!


『貴様ぁぁぁ!! 三郎太の仇っ!!!』


 もう誰の言葉も佐之助の耳には届かない!

 渾身の一振りが、仇もろとも地面に振り下ろされていた!



チリン… チリン…


 人気のない弁天入りの山林の中、静かに鈴の音が響いていた。妖怪相手に商売をする「闇屋」の呼び鈴である。一見、僧侶にも見える闇屋と向かい合っているのは典甚てんじんであった。


 典甚は二、三言葉を掛け闇屋から何かを受け取る。

 そして帰ろうとしたその時、後ろから声が追ってきた。


『……まだ生きていたか。余程閻魔に嫌われていると見える。いや、そうして現世を彷徨う事こそ地獄なのか』


 顔を布で隠した闇屋にハッとして振り返る典甚。

 そして布の下から覗く顔! 見覚えがあった!


「誰かと思えば畜生以下の糞坊主か。化け物の仲間になっちまうとは益々見下げ果てた野郎だ」

「くっくっく……畜生以下、か。お前の口からそんな言葉が出るとはな。人にて人にあらず、妖にて妖に非ず。お前もいつか俺のようになるさ」


 気に障ったのか、典甚は杖を構え闇屋権蔵を睨みつけた。


「二度とこの辺うろつくんじゃねぇ!てめぇの面見る度、反吐が出る!」

「そうはいかん、こっちの事情もあるからな。それよりもお前にとって耳寄りな話があるが買うか?」

「てめぇから買うモンはもう無ぇ!」


 余程この男に恨みでもあるのか、典甚はそう言い捨てると帰ろうとする。


「お前の身内と因縁浅からぬ芳賀家が妖怪と手を組んだ、としたら?」


 ……馬鹿馬鹿しい!


 『芳賀家』という言葉が気がかりだったが、元より信用できない者の話。相手にしようとはせず、その場を後にしようとしたその時!


「おめぇんとこの巫女、九尾とやり合ったそうじゃねぇか。もう芳賀家の耳に入ってるかもしれねぇぞ?」


 権蔵の口からとんでもない言葉が出た!

 一瞬ドキリとするも、そこは典甚。


「はっ!てめぇの耳も腐ってやがるな。そんな下らねぇ噂持ってくるなんざ! あいつならずっと神社にいらぁ!」

「強情な野郎だ、特別に只で教えてやる。『地擦ちずり組』お前も知っている筈だ。数は知らんが数ヶ月前に葦鹿の芳賀家が雇っていたらしい。芳賀家の佳枝という女、余程の狂人らしいな。何を相手にしているのかは知らんが人の手を借りるだけでは足りぬらしい。用心することだ……くっくっく……」


 勝手に喋り、不敵な笑いを残すと去っていった。


(……胸糞悪い野郎だ!)


 『地擦り組』とは、人と妖の血が混じった暗殺集団のことである。忌み嫌われている者への蔑称の意味合いもあり、妖怪の間でそう呼ばれるようになっていた。

 彼らは特別誰かに仕えているわけでも組織されているわけでもないが、ケノ国で起きた重要人物の突然死など、その背後関係に彼らの姿があったのだ。悪人や妖怪の起こす事件に紛れてしまい誰も気が付くことができない、そもそも存在すら人間たちの間では知られていないのだ。妖の力を備え、なおかつ対妖怪用の術が通じないという恐ろしい者たちだったのだ。


(……)


 権蔵の言ったことを鵜呑みにはできないがあながち嘘とも言い切れない。闇屋は妖怪と繋がっており、あらゆる情報が飛び交う。

 そして芳賀家。もし妖怪と繋がりがあるなら志乃と九尾の件を知っていてもおかしくない。演舞祭の頃から少なからず志乃を敵視している、何を仕掛けてくるかわかったものではない。


 ふと空を見上げると、木々の隙間から雲に隠されようとしている月が見えた。


(ぼやぼやしてる暇はねぇな。こいつは烏頭目宮うずめのみやの力を借りるとするか……今は城におらず江戸に出払っていると聞くが果たして……)


 思案すると一人闇夜へと消えていくのだった。

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