白面九尾の復活 下章 其ノ五


莉緒りおが生きているだと!? それは本当か!」


 蒼牙から衝撃の事実を聞き、トラは思わず声を張り上げた。黙って蒼牙は頷くと、後ろの引き戸を開け桐の箱を取り出す。箱に入っていたそれは大切な物なのか紙に包まれていた。


「これは莉緒がここを出て行く時に残していった物だ」


 ゆっくりと紙を広げると、そこにあったのは人間の髪の毛だった。長く黒い髪が、鈴の付いた髪留めで束ねてあったのだ。


「この鈴はワシが莉緒に預けた……」

「何処に行くにも付けていた……ここに来て苦難の連続だったが、莉緒は辛い顔一つ見せず日々精一杯だった。…やがてイロハを授かり私たちは涙を流して喜んだ。それからもずっと一緒だと思っていた……だが」


 遠い目をし、天井を見上げながら語っていた蒼牙。下を向き小声になった。


「……あれはイロハが三つの時だったか、突然高熱を出し倒れた。医者を呼んでも原因が判らんと言う。その日の夕方、莉緒は私の部屋に来た」


『イロハのあの熱、恐らく私が原因だろう。蒼牙……私は行かなくてはならない。 ……今まで……ありがとう』


「…自分が出て行けばイロハが助かるのだと言う、これはイロハを産んだけじめなのだと。理解に苦しむ私の目の前で髪を切り、涙を流した」

「何故だ、何故そのような?! それからどうなったのだ?!」


 身を乗り出すようにトラが前に出る。


「出て行かないでくれと私は必死に懇願こんがんした! 他に何か方法がある筈だ、と! ……だが莉緒は黙って首を振った……あの顔は生涯忘れん……。部屋を出ると一目散にイロハの寝ている部屋に行き、イロハを抱いて泣いていた。長年連れ添った夫婦だ、どうにもならない事だと悟った私は遂に引き止められなくなった……」


「蒼牙……」


 何時しか畳に雫がこぼれ染みを作っていた。蒼牙の堪えていた涙が珠の様に落ちていった。


「……皆には自分は死んだことにしてくれと、出来ればおかよをこれからも屋敷へ置いてやってくれと言い残し出て行った。……間もなくしてイロハは全快したが母が居なくなった事に気づき、暫く毎日のように泣いて過ごしていた……私は駄目な父かも知れぬ……こんなに長く生きるなら……あの時無理にでも……」


「……そうであったか」


 トラはそれ以上何も聞かなかった。狛狗は人間と比べ短命と聞く。もしかしたら、莉緒より先に老い死んでいく自分の姿を見られたくなかった、という気持ちもあったのかも知れない。


(莉緒……今何処で何をしておる? 居るべき場所はここ以外にありえんだろう?)


 じっと髪を束ねている髪留めを見つめた。錆びて赤茶けた鈴から今にも音が鳴りそうに見えた。



 その夜、客間では志乃とイロハが布団を並べて横になっていた。


「……志乃、まだ起きてる?」

「何?」


 志乃が目を開け横を見ると、イロハが布団から出て寝そべっている。

 枕元を指さすと


「そのかんざし、ちっと貸してくんろ」


 起き上がりそう志乃にせがんだ。

 言われるまま簪をとり、イロハの頭につけてやる。


「髪、随分伸びたのね。ほら覧なさい」


 鏡を取り出し見せてやるとがっかりした表情。


「……うーん。なんか思ったより似合わねぇや」

「そう? 私より似合ってない? 私なんかこんな色だし」


 赤茶けた自分の髪を差しながら言うと、イロハは途端に嬉しそうな顔をする。


「ほんじゃこれ貰ってもいいか?!」

「え?! それは……困るわ」


 勿論、駄目! と言おうとしたが、これはイロハにとって母の形見でもある。

 やんわりと断ろうとする志乃。


「冗談だ……ありがと、もういいや」


 簪を返すとすぐ布団に入った。


「……つけたらおかぁのこと判るような気がしてさ。少ししか一緒に居なかったのにおかぁの事はよく憶えてるんだ。……ほっか、おかぁは生きてんのか……」


 イロハは母との思い出を志乃に聞かせ始めた。


 一緒に何処かへ行ったこと。

 自分を担ぎながら他の妖怪と戦ったこと。

 初めて刀を持たせてくれた時のこと。


 話しながらイロハは、疲れもあって寝てしまった。


(……かあさん、か)


 イロハが寝たのを確認するとそっと行燈あんどんの灯りを消し、自分も横になった。



 その夜、イロハは夢を見た。


 どこか見慣れない屋敷の中だ……水倉の家ではない他所の家。

 憶えは全く無い。


 耳を澄ますと縁側の方で女の笑い声が聞こえる。


(誰だ……あっ!!)


 そこには莉緒が居た。


 赤い巫女装束を纏い、煙管を吹かしながら誰かと談笑している。隣には見覚えの無い人間の女性が居た。イロハは近づこうとするが動けず、声すら出ない。

 だが話し声だけは何とか聞こえてきた。


『──あーあ、可笑しい。あんた男に生まれれば良かったのにな』

『あんたこそ今から男になりゃいいじゃん! ああそうだ、あんたに子供ができたら婿に貰おう』

『あははは! 私みたいな女、めとる物好きなんかいやしないよ。それに私は神に仕える巫女だぞ?』

『お前の様な巫女が何処の国さいる!』


(誰だ? オラの知らない人間だ)


 母の友であろうか、見るからに仲は良さそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る