白面九尾の復活 上章 其ノ四


 光丸坊が水倉の屋敷を訪れて一週間後、イロハは山の中で一人刀を振っていた。


ヒュン!ヒュン!


 無心で縦に横に、刀を振り下ろし払う。


ヒュン!


 そして、刀を鞘に収めると目を瞑った。



サァァァァァ……。


 紅葉を迎えつつある那須山の森に風が吹く。辺りには誰もらず、感じるのは静けさと限りない孤独感。

 だがイロハはこの時受ける感じが好きだった。誰にも干渉されない自分だけの時間と空間が得られるのだ。


パチッ!


 おもむろに抜刀し、空を斬りつける。目を開けると飛んできた木の葉が真っ二つになって落ちていた。


(駄目だ、雑念がある)


 水倉の家に帰ってきて二ヶ月以上は経ったか。

 いつの間にかイロハは家に帰って来た時のことを思い出していた。


…………



 御影たちと屋敷に戻ったイロハ、すぐ様蒼牙のいる部屋へと通された。屋敷の中は静かで他の野狗たちは隠れているのか出てこない。御影もイロハを蒼牙の部屋まで連れて来ると、すぐ何処かへ行ってしまった。


 部屋に居るのはイロハと蒼牙、そして蒼牙の世話をしていた月光となった。


 気まずく重い空気が漂う……。

 それを断ち切るかのように先に口を開いたのはイロハだった。


「只今戻りました。黙って山を下り、申し訳ありません」


 正座し、蒼牙と月光に向かって頭を下げた。当主の許可無く山を下りるのは一族の禁忌、咎めを覚悟した。その様子を見て月光が低く唸る。


グルルルゥ…


「よくもおめおめと顔を出せたな! 叔父御がどれ程心配していたかお前にわかるか?!俺とおかよが頭を下げなければお前は山にも入れなかったのだぞ?!」


(……兄者)


 普段は厳格だが、イロハの事になると気を許す月光もこの時ばかりは違った。実の兄の様に慕っていた月光からきつい言葉を受け、イロハは顔を強張らせた。


「イロハと二人だけにしてくれ」


 月光を下がらせ、部屋にはイロハと蒼牙だけとなった。

 イロハは頭を下げたままである。


 幼少から「おとう」と呼びじゃれ合うことさえあったが、いつの間にか「父上」と呼び、姫としてのしつけを受けているうちに二人の間には言い様の無い壁ができていた。無断で山を出て戻ってきたイロハには今の蒼牙が別の何かに思えた。とてつもなく威厳を持った大きく硬い絶壁、もはやイロハにとって父では無かった。


「顔を上げろ」

「……」

「その首はどうした?」

「……不覚をとりました」


 正直に答えることにより誠意を見せたつもりだった。


「呆れたものだな、イロハよ。自分の身が自分だけのもので無いことくらいは心得ていると思っていたが」

「……」

「月光もおかよも、お前が居無くなってから人里に探しに行く為何度頼んできたことか……二人に迷惑がかかること、知らなかったわけではあるまい」

「……」


 かたくなに口を結び、黙って目線を落とし叱責を受けるイロハ。物静かに語っている筈の父の言葉が一つ一つ、ずしりと重くイロハの心に圧し掛かってくる。


 蒼牙は改めてイロハを見た。首の傷といい、人里で何かあり相当堪えたように見える。長々と話をするつもりも無かったので切り上げることにした。


「何か言うことはあるか?」

「……父上は御病気だと聞きましたが」

「今はさほど悪く無いが、もう長く無いだろう。遅くとも今年中……いや、神無月かみなづき(現在の十月頃)までに次の当主を決めなくてはならぬ。自分が無関係で無い事くらいは肝に銘じておけ」

「はい」

「それまでよく己と向き直しておくのだな。次に同じ様なことがあれば、お前はもう私の娘ではない、よいな?」

「……はい」


 一礼するとイロハは部屋を後にする。

 屋敷を出ると一目散に山奥へと走った。

 誰かに声をかけられた気がしたが構わず走った。


 走って、何処までも走って……

 山奥で一人になると声を出して泣いた。


…………



ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!


 あの時の記憶を振り払うかのように刀を振り回す。


ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン! …………


「……はぁ……はぁ……」


 何度も何度も刀を振り、上がった息を落ち着かせると再び目を閉じた。


 ゆっくりと息を吸い、時間をかけて吐く。感じるのは自分の脈動だけ。

 やがてそれも感じなくなり、辺りの静けさだけになった頃、再びイロハの背に風があたる。


サァァァ……


 何かを背後から感じ、とっさに斬りつけた!!


パラッ


 足元を見ると真っ二つになったクヌギの実が落ちている。


「誰だ?!」


 誰も居ない筈の山奥の森。しかしイロハは何者かが投げつけた物だと確信した!

 背後にあった木の影を睨む!


「出て来い!」


『オラだす』


「おかよ……!」


 木の影から屋敷に仕えているのおかよが姿を現した。

 おかよは水倉の屋敷に住んでいる唯一の人間である。イロハの母と共に那須山へとやってきた。母が姿を消した後もイロハの目付けとしてそのまま屋敷に残っていた。


「使いの途中だす……イロハさんが近頃屋敷にいねぇんで様子見に来てみたんだす」

「よくここがわかったな。危ねぇからすぐ帰ってくろ」


 那須山は広く、水倉家の縄張りでない場所も数多く存在する。

 イロハたちの今居るこの場所も、そういった付近だった。


「そんつもりだす。何べんも言うようですが、今晩は早ぐ帰ってきてくだせ。隠れ里から帰ってきたらお渡しする物もありますんで」

「わかってるよ」

「その傷、もう消えてもおかしくねぇんですがまだ痛みますけ?」


 神社の前であさぎに付けられた傷は二ヶ月以上経った今でも残っていた。

 隠者の里に腕利きの薬師がいたが、その者の薬でも傷は癒えなかった。


「何あったかまだ教えてくれねんですか? イロハさんに何かあったらオラ莉……」

「おかぁのことは関係ねぇだろ! オラはオラだ!」

「……」

「…ごめん」


 心配してくれているのはありがたいが、何かと母のことを口に出してくるおかよに苛立ってしまった。元はと言えば自分が悪いのだと気が付き、ばつが悪くなる。


「……ほだすな、イロハさんはイロハさんだすな」


ガサガサ


『姐さんひとりで歩かんで下さいよ。や! 姫さんもいらっしゃる!』


 ひとり歩きしていたおかよを探しに、小間使いの松五郎が来た。


「早く行かないと帰るのが遅くなりますぜ。えと……姫さんは」

「オラはもう少しここに居る」

「ほだすか、ほんじゃ用足ししてきます。怪我だけしねどいでくだせ」


 そう言うとおかよは松五郎と歩いて行こうとした。

 イロハがはっと思い出し声をかける。


「さっきの実、おかよが投げたんか?」

「ほだす。お見事でしたが」

「……ううん、何かしっくりきたから」

「ほですか」


 にこりとするとおかよは山の更に奥へ歩いていった。


「姫さんあんなとこで刀振ってたんですな」


 一人で刀を振らず。父に稽古をつけて貰えばよいのに。そう思うも最近の親子仲を見るに、到底無理だろうと思う松五郎。


「母君に似でイロハさんは負けず嫌いだがら。自分なり思うもんもあるんだべなぁ」

「そういやさっき何か大声聞けましたけど何か?」

「いや、何でもね」


 聞かれて嬉しそうにふふっと笑うおかよ。よく見えぬおかよの目に、先程のイロハがイロハの母と重なって見えた。いつも怒鳴られていた日々を思い出し、つい懐かしく顔がほころんだのであった。

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