黒き鏡編

白面九尾の復活 上章

白面九尾の復活 上章 其ノ一


 長月(現在の九月)、残暑が厳しい中、ケノ国北部にある八潮の里は秋を迎えようとしていた。収穫の時期が訪れ百姓らは忙しい盛りだ。


 星ノ宮神社の巫女「志乃」も例外無く忙しい。とは言っても別に稲刈りを手伝っているわけではない。この巫女の仕事は妖怪討伐なのである。

 志乃はお盆(この地域の盆は現在の日付で八月中旬頃を指す)の少し前から急激に妖怪に関する依頼が舞い込んでくるようになり、仕事に追われていたのだった。多い日は一度に五件依頼が来たこともある。

 作物の収穫時期となった今もそれは続いている。妖怪たちが収穫した作物を狙い、人里へと下りてくるからだ。


 残念なことに依頼が来る時には手遅れになっているものもあった。そうならないよう民家をまわって注意を呼びかけ、その場所に合った対処法を村人に伝授するという、所謂いわゆる「仕事を増やさない為の仕事」をこなす日々が暫く続いた。


 さて、あくる日の夕方。稲穂の実る水田の一角で、志乃は村人らに見守られながら一体の地蔵の前でおはらい棒を振っていた。

 この地蔵は「首切り地蔵」と呼ばれており、多くの罪人(落ち武者を含む)が昔ここで首をねられ、その慰霊に立てられたものだ。最近ここで幽霊や人魂を見たという目撃談が相次いだので、志乃の出番となったのだ。

 そう、今日の志乃はお祓いの依頼を受けていたのである。神社の巫女が仏地蔵にお祓いするのか、と疑問に思うだろう。だが神仏融合化され、陰陽道を幕府が推奨しているこの時代ではごく普通と扱われていた。


 志乃は巫女でありながら悪霊の祓い方をよく知らなかった。いくらなんでもこれはまずいだろうと思い、よく神社を訪れる僧侶「典甚」から悪霊の祓い方を教わった。


…………


「──幽霊だ亡霊だってのは他の妖怪とはちと違う。妖怪ってのはこれと言った理由が無くても襲ってくるが、幽霊や亡霊が襲ってくるのは大概何かの理由がある。そいつを押さえちまえばいいってわけだ。しかし状況がよくわかってねぇとそれを見抜くのが結構骨なんだ。だからっつって殴りつけても奴らは動じねぇ。実体を持ってないのが多いからな」


「だから祈祷きとうとかまじないがあるんじゃないの?」


「それで大人しくなる奴らも居る。だが一時的にしか効かねぇ奴らもいんだ。奴らは無理矢理力で押さえ込んでも理由がある限りまた出てくる。んで、その理由ってのは大概人間側にあるんだよな。因果応報いんがおうほうってのはよく言ったもんだ」


…………


 思えば今回の依頼も典甚が気を利かせてまわしたのかもしれない。瞑想し、お祓い棒を振る志乃。典甚曰く、霊魂は専門家に心を開く者も多いのだと言う。


(──理由、ここに現れる理由は何?)


 霊に引き込まれないよう精神を強く持ち、なおかつ静かにやんわりと問いかける。

 すると地蔵の頭辺りで青黒い影がゆらめくのが見えた。後ろで頭を下げながら志乃を見守っている村人たちは、それに気が付かないのか見えないのか、何の反応もない。


(これが理由? この地蔵に何か…?)


 そう思い志乃は地蔵に近づき触ろうとした。


ゴロッ


「きゃあ!」


「ひぃぃぃぃっ!」

「な、何ですかぁ?!」


 志乃が少し地蔵に触ると、あっけなく首が取れてしまったのだった。


「そういやぁこの間、お地蔵さん倒れてで首もげちまってたでさぁ。とりあえずのっげでみたんでながったげ?」

「あー、ほだったげ?」


「……あーびっくりした。でもこれで理由がわかりました。きっとお地蔵様をちゃんと直すようにと現れていたのでしょう。よく相談の上、しっかりと修繕して下さい」


 きっと農作業に忙しく、誰も気に留めていなかったのだろう。だが首切り地蔵の首が取れてしまったのでは洒落にならない。


「へっへい。ありがとうござんした」

「流石星ノ宮の巫女さんだべ」


 今ひとつ仕事を終えた感が沸かなかったが、お払いの初級とだと思えばまぁこんなものなのだろうか。そう志乃は思い、村人たちと別れ神社へ戻ることにした。


 夕暮れの田舎道、戻る途中で仕事から帰る百姓らとすれ違う。顔馴染みであり、お互い挨拶を交わしねぎらいの言葉をかける。思えば大分馴染みが増えた気がする。忙しいとはいえ、その分村人たちと触れ合う機会が以前より増した。これは良いことなのかもしれない。


「あっ、きじだ」


 志乃の目の前を雉が横切り、ススキの生えた草むらに入っていった。この近くに巣があるのだろうか。


(そういえば、今日は十五夜ね)


 ふと思い出して何本かススキを摘む。うっかり忘れるところであった。

 何気無い事ひとつひとつが充実して思えた。


 いや、自分がそう思い込もうとしていただけなのかもしれない。日々の疲れからか、ふと、そんな気がよぎってしまったのだ。

 気分を害し、志乃は何も考えないよう雑念を振り払った。



──志乃 お帰り 小幡の使い来てる


 神社の石段を登るなりいつもの声が聞こえてきた。丁度いい、今終わった仕事も含め依頼の報告を渡してしまおう。

 石段を登りきると本殿の沓巻くつまき(階段の一番下)で、見たことの無い若い男が居眠りをしていた。


(うわ、ふてぶてしい)


 社に仕える者にしては行儀が悪い。


「大分お疲れのようですね」


 皮肉も込めてこう話しかけた。自分はえん(社の縁側 高欄こうらんはその手すり)に腰掛け昼寝をすることもあるというのに。


「……ん…あ、お待ちしてました。小幡様から手紙……じゃなくて依頼を預かって来ました……それとこれを」


 志乃に気が付くと一度に色々な物を手渡す。

 風呂敷に包まれた重箱の様な物を渡された。


「今宵は十五夜様ですので。団子のおすそ分けです」

「ありがとうございます。少し待ってくださいね」


 急いで依頼の結果をしるした書を男に預ける。


「はい、確かに。ではこれで」


 男はすぐ帰ろうと石段を降りようとした……が、いきなりその場で立ち止まると妙な仕草を始める。


「うわ! 忘れるところだった! 危ない危ない。これ、貴女宛ての便りです」


 そう言って懐から手紙を渡すと今度こそ帰っていった。

 若い男に呆れるもおかしくて笑ってしまった。


 夜、志乃はお月見の準備をすると、本殿の縁に腰掛け、酒を飲みながらトラと空を眺めていた。やや雲が出ているがそれでも名月を拝むことができた。


「よく晴れたものだ。十五夜の日は四年に一度くらいしか晴れないものを」


──盆去りて 光陰去りての名月や 笑う顔にも雲がかからむ


 盆が過ぎても忙しい日々が続き、十五夜となったが運良く名月が拝めた。笑いかけるように天は晴れたが、その月の顔にも雲がかかっていた。苦労している自分の顔を映しているような気がした。


「もしかしたらお月さんも何かしら苦労しているのかも知れんな」


 川柳の様なその歌を聞くとトラは笑いながら言った。


 静まり返った神社、近くで虫の鳴き声が聞こえる。聞こえるのはその音だけで、より静けさが増す。


 そして、わびしさに気が緩んだか、ふとこう呟いた。


「……あいつも……他の皆も苦労してるのかしら……」


 イロハと別れて二月が過ぎようとしている。人里を見回ったり、妖怪を追ったりと多忙でごまかしてはいたが、それでも暫くはぽっかりと心に穴が開いた心地で居た。今はそれほどでも無いが、一緒に過ごしていた日々が頭から離れなかったのだ。


「トラはどうしてイロハと一緒に行かなかったの? あんなに気にかけていたのに」

「何故ワシが那須山に行く必要がある。イロハは自分で決め山に帰っていったのだ、あれこれ心配する必要は無い。それに言ったであろう、ワシらは家族なのだろう?」


 そう言うと寂しげにしている志乃の膝に乗ろうとするトラ。

 が、警戒されていた為サッとかわされると逆に掴まれた!


「?!」


 志乃は両手でトラを捕まえると抱きかかえ


「…ありがとう、トラ」


 そう言ってギュッと抱きしめた。



(……これ以上無理が来なければよいがな。志乃、イロハ……ワシとてお前たちを全く心配して無いわけではないのだ……)


 空を見るといつの間にか月は雲にすっかり隠れてしまい、ポツポツと雨が降り始めてきたので、お月見はここまでとなった。

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