幽霊の掛け軸 下章 其ノ四


 法願寺は今まさに混乱を極めていた。桜を中心に赤黒い炎が燃え上がり、至る場所に飛び火している。僧侶たちは懸命に井戸水を汲み火を消そうと試みるも、何故か火は全く消えない。

 外へは出られない、門を開ければ妖怪が外へ出て行ってしまうからだ。


「哲寛様! このままでは寺全体に火が……」

(……ぐっ)


 寺の上空を燃え盛りながら飛び回り、巨大な火の玉と化している化け物に向けて、哲寛は憤慨ふんがいした。


「まだ日は登りきっていない! お前の目的は掛軸の筈! 騙したか化け物!!」


 そう叫び、指を指した先には炎に包まれた早川和尚が!

 身動きをしなくなって尚も燃え続けている。


『ソウダ、掛軸ダ!! 早ク持ッテコナイト皆死ヌゾ!』


 化け物はニヤリと笑うと震えて立ち尽くしている安念の方を振り返った。主である早川和尚を火達磨にされ、動揺していたところへ目が合う。


「ひっ!?」


ガシャ! ガタガタッ!


 安念の風呂敷から落ちた物の中に見覚えのある物が出てきた。それは「魂」と書かれた壺、寺に飾られていた壺ではないか! 安念に詰め寄る虎丸!


「……どういうことだこいつは? 坊主が火事場泥棒を働くとはな……。お前ら様子がおかしいと思ったらこういうことかよ!」

「わ、私は知りません! おっ和尚様が持って行けと!」


 そう言い終わらないうちに、妖怪は安念目掛けて炎の息を吹きかけた!


「ぐおっ?!」


 叫ぶ間も無く安念は炎に包まれ地面に転げ回った。慌てて虎丸が消そうとするも、やはり火は消えない。遂には安念も火に包まれ動かなくなった。


「貴様……!」


 犠牲者がまた一人出てしまい、哲寛は化け物を睨む。


(あの娘が帰ってくると信じとったが、もはやこれまでか)


 厳顔和尚はいつの間にか目を覚まし、怒りと恐れが満ち溢れる中で一人落胆を浮かべている。怒りは僧兵に矢をつがえさせ、一斉に妖怪へと向けられた。寺で犠牲者が出てしまった、もうこの妖怪を信用することはできない。ならば寺の面子に掛けて刺し違えるまで……!


『お待ちなさい!!』


 一同の視線が本堂の屋根の上へと集まる。


 佐夜香だ!


「佐夜香様!」

「おぉっ!?」

「まさか本当に持ってきたってのか?!」


「約束の掛軸はここよ! 今すぐ火を消し、法願和尚たちを解放しなさい!」


 すると化け物は今まで出したことのない唸り声を上げた!


『掛軸!! ソノ掛軸!! ヨコセェェェェェェェェ!!!』


(こちらに来た!今だ!!)


 次の瞬間、佐夜香は持っていた桐の箱を明後日の方向へ放り投げた。

 投げられた桐の箱を追う妖怪、だが!


パラパラパラ……!


 空中で箱の蓋が開き、中から出てきたのは大量の札!

 悪霊封じの札が大量に降り注がれ、空中で妖怪の動きが止まった!


「今だ!放て!」

「待って下さい! まだ人質が!」


 佐夜香はこちらの立場を優位にさせ、化け物に人質へ掛けられた呪いを解かせようとしたのだ。だが哲寛はもはや妖怪討伐を優先に切り替えていた。

 一斉に化け物目掛けて矢が放たれる!


『ガッ?! ウゴォォァァァァッッッ!』


 一斉に放たれた矢は幾度も化け物を貫く!

 矢の当たる度にうめき声を上げ、煙の化け物は消えてしまった……。

 悪霊封じの札だけが虚しくひらひらと舞い落ちる。


「やったか?!」


「さよちゃん! 後ろだ!!」

「はっ?!」


 慌てて振り返ると、そこには中へ浮く掛軸の姿が!


『ハハハハハ!! 掛軸! 幽霊ノ掛軸ダ!! 手二入レタゾ!! ハハハハハ!!』


 屋根の裏に隠した本物の掛軸を、いとも容易く見つけられてしまったのだ。分銅鎖を伸ばして絡め取ろうとするも掛軸は急に素早い動きでそれをかわし、届かない所まで行ってしまった。


「いかん!」


「この寺からは逃げれぬ筈! 矢を放て!」

「いけません! 輪宗寺の掛軸に傷が付きます!」


 掛軸は紐解かれ、まるで皆をからかうかのようにひらひらと宙を舞い始めた。


(掛軸を手に入れて喜んでいる……だけ? 寺から逃げられぬ筈なのに……? 一体この妖怪の目的は……?)


 もしやこの化け物は掛軸を欲しているわけでは無いのでは……?


 いや、そんな筈はない!

 あくまで目的は掛軸の筈だ!


『ハハハハハ!! オォ、コレガ幽霊ノ掛軸……ハッハッハッハッ!!!』


 姿は見えずとも、得意げに掛軸をひらひらとさせる。まるで珍しい物を手に入れた子供の様にはしゃぐ……本当にこの妖怪は何を考えているのだろう?


 そう思っていた時、微かに第三者の声が佐夜香の耳に入った!


(ニャァー! 早くこっち投げろ! 矢で穴が空いたら売れなくなっちゃうよぉぉ!)


「この声!」


 寺の外、一際高い木の上から聞こえてきた。

 佐夜香は声の主と目が合う。見鬼の力が黒猫の姿を見破ったのだ!


「ニャへッ!? 見つかったぁぁ!! はっ早く投げろー!」


 驚いた句瑠璃は慌てて木から降りようとする。

 だが高い木の上、登るのは容易かったが中々降りれない!


「虎丸さんっ! あの高い木の上!」

「あっ?! おい皆! あの木の上の方に矢を放ちまくれ! 早くっ!!」


 姿は見えないが、皆一斉に矢を放つ!


「ギャァァァァァァ───!!!!!!」


……ドサッ!


 句瑠璃の断末魔と地面に落ちる音が聞こえた。


「片棒は打ち取りました! 今すぐ人質の呪いを解きなさい!」


 キッと宙を舞う掛軸を睨み、化け物へ向けて叫ぶ。だが化け物は佐夜香の言う事など耳も貸さず笑い続けた。


「ハハハッ! 遂二手二入レタ! 誰ニモ渡スモノカ! ハハハハハハハ!!!」


 そして、最悪の事態が起きた──。


 借用した輪宗寺の掛軸は空中でバラバラに引き裂かれてしまったのだ!


『ハハハハハハハ!!! ハハハハハハハハハハ………!!!』


 引き裂かれて舞い落ちる掛軸、次第に遠のく笑い声。地に落ちた紙くず一枚一枚が火に包まれ灰となった。


「……何ということだ」


 一同は宙を見上げ暫く動けなかった。


「……おぉ? 皆の衆! 火が消えたぞい!」


 辺を見渡すと嘘の様に火は消えていた。燃え跡すら見当たらない。火は妖怪の作り出した幻術だったのだろうか? 火柱を上げていた桜も花は咲いておらず、どこにでもある葉桜へと変わっていたのだ。

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