幽霊の掛け軸 下章

幽霊の掛け軸 下章 其ノ一


ドンドンドン! ドンドンドン!


 佐夜香は小屋の戸を叩く音で目が覚める。


『佐夜香様、まだいらっしゃいますか?』


 哲寛の声である。うっかり寝過ごしてしまっただろうか?!

 急いで戸を開けるとやはり哲寛だった。外はようやく明るくなり始めた頃である。哲寛は佐夜香の姿を見るなりほっとした様子だった。


「よかった! まだいらっしゃった!」

「どうかなさったのですか? まさかもう六つですか?」

「いえ? まだ六つ前です。すみません、これをお渡ししようと」


 そう言って懐から取り出したのは輪宗寺りんそうじ宛の願書。

 だがおかしい、昨日預かった筈だが?


「先程急に兼井殿から預かりまして、輪宗寺に行くのなら自分も願書を出すと仰られ預かったのです」

「兼井様が? それで兼井様は今どちらに?」

「既に寺を立たれました。空けられぬ用事があるとのことでして、このまま帰るのも心残りと置いていかれたのです。門前払いされたら焼いて処分してくれ、とのことですが、誠に有難いことです」

「承知しました。他所の願書もあればより心強いですね。では早速行って参ります」


 哲寛と別れ準備を整えると、人目につかぬように門からは出ず、塀を飛び越えて寺を後にした。輪宗寺まではここから二里(約八キロ)程、今からならかなり余裕を持って六つの正刻(六時丁度辺り)に間に合うだろう。


 塀を飛び越え小道に出た佐夜香は思わず驚いた。


(すごい霧……流石霧の里と呼ばれる織原のことだけはありますね)


 視界を遮るほどの濃霧の中、少々肌寒く人気ひとけの無い道を一人、輪宗寺へと向かう。


 佐夜香が寺を後にして暫くのこと……。境内に灯されていた篝火かがりびはすっかり消え、他の僧侶は交代で朝の勤めをしている。

 虎丸は二回目の交代の時間になり、再び見張りに付く。かなり疲れている様子で六角杖を肩に掛け、胡座あぐらをかいた形で座っていた。目にはくまができている。


(ちっくしょぉ、兼井は途中で帰っちまうしこの爺さんは一晩中寝てるしよぉ……。三人の中で結局俺一人だけが見張ってたようなもんじゃねぇか)


 見ると厳顔は隣でいびきをかいている。

 顔が赤いところを見ると自前の般若でも飲んでいたのだろう。


 そんな中、寺の脇から見覚えのある二人が出てくるのが見えた。


(ありゃ早川と小僧じゃねぇか! あんなに大層荷物抱えて何しに来たんだかよぉ! とっとと失せろってんだ、ケッ!)


 頭にきた虎丸は、手元にあった小石をやけくそに投げた。


コツン


 小石は桜の木に当たった。


……パチッ


「安念、早くせい!」

「待ってくださいよぉ」


 二人とも、特に安念の方は大きな風呂敷包みを背負っている。大方妖怪退治の術具でも持参してきたのだろうか、歩くことすらままならないようだ。何とか桜の木を通り過ぎる。


パチッ!

パチパチッ!


「…何だ?」


 栗の弾けるような、妙な物音に気がつき目を開く。


パチパチパチパチッ……ゴォォォォォォ──!


「皆戻ってこいっ!! 桜が燃えてるぞぉー!! おい!爺さんも起きろっ!!」


 あっという間の出来事だった。根元から桜の木を包むかのように炎が吹き上がり、赤黒い炎をたぎらせ始めたのだ。そして木の上にいた妖怪はその場でぐるぐる回り始めると、人の顔の形を作り始める!


『ウウウ……』


「ひ! お、和尚様!!!」

「走れ安念! 構うな!!」


 逃げるようにその場を後にし、門へと急ぐ二人。

 そんな二人を妖怪の顔はぎらりと睨む。


『逃ゲルナ! 置イテイケェ!!』


ゴォォォ─────ッ!!


 早川の体が炎に包まれた。

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