星ノ巫女番外編 其の名は、織姫


 森の奥深く、大きな杉の木の根元で一人の少女は泣いていた。


 少女は父に叱られるとよくこの杉の木へと足を運んだ。屋敷の敷地から離れた危険な場所、誰も足を運ぶことは無い。一人になりたい時はいつもここへ来た。いつもなら母がここへ迎えに来て、その後で父との仲を取り持ってくれた。


 だがその母はもういない。つい先日、闘病の末この世を去った。


 優しい母がいなくなりこの先どう生きて行けばいいのか。まだ十にも満たない少女にとっては余りに辛く、重すぎる現実だった。



──ガサガサッ


「……お母さま?」


 誰も来ない筈の場所、まさか母が迎えに来たのか?


 しかし、振り返るとそこにいたのは一匹の小犬だった。数年前に少女が拾ってきた犬で、父の反対を押し切り飼うことを許された。母の口添えが無ければ再び捨てられてしまっていただろう。とうに御犬様の時代は終わっていたのだ。

 主人を想って迎えに来たのだろうか。涙を流しつくし、目を真っ赤にはらした少女に寄り添い同情するかのように鳴いた。


「ギン……私、これからどうしよう。お母さまがいないと何もわからない……。誰も助けてくれないの……どうしよう……ぅぅ……」


 すがるようにして抱き付くも、ギンは何も答えない。弱々しくむせび泣く主人の姿にどうすることもできず、唯々うつむいているしか術が無かった。



『……グルルルゥゥゥ……!』

「ギン? どうしたの? 」


 少女の腕の中、突然ギンは唸り声をあげた。何者かの気配に気が付き振り向くと、そこには毛が抜け肉が剥がれ落ちた異形の者が二人立っていた。

 少女は知らなかったが、この山は古くから子捨て山として有名であり、賊や罪人の隠れ場でもあったのだ。人知れず殺された屍が妖怪化し、生ある者の命を奪おうと徘徊していることもあったのだ。


「ひっ…!!」


 まるで地獄から這い出た亡者のような風貌を目の当たりにし、逃げようにも足がすくみ腰を抜かしてしまう。


『グルルル……ギャン!』


 動けぬ主人に代わり、ギンは亡者へと飛び掛って行った。だが小さな身体はすぐに振り払われ地に叩きつけられる。だが主を守ろうと尚も立ち上り向かって行く。


「ギン!? だ、駄目っ!」


 無謀ともいえるギンの行動に、遂に少女は立ち上がり声を上げた。

 あぁ、何ということだろう。父の言いつけを守りもっと学問に励むべきであった。さすれば今この場で亡者を退けることはできなくとも、目をくらませ逃げることくらいはできたであろうに……。


「誰かっ! 誰か助けて──!!!」



 程無くして、少女は助かった。姿が見えず心配して探していた屋敷の者が声を聞きつけたのである。その晩、少女は悪夢にうなされながらも屋敷の床の間で横になる事ができた。


「御嬢様はようやくお休みになられました」


 先日死んだ妻の世話をしていた者からの報告を聞き、男はそうか、とだけ返事をした。まさか子捨て山におり、化け物に襲われていたなどと夢にも思っていなかった。妻に先立たれ一人娘にまで死なれては、流石にどうかなってしまいそうだ。


 気を静める為に、男は一人屋敷の外へと赴いた。


 外へ出ると屋敷の裏手から唸り声のようなものが聞こえる。

 足を運ぶとそこにいたのは瀕死のギンの姿だった。傷だらけで背骨を折られていた、できうる限りの手当はしたが恐らく明日まで持つまい。痛々しいギンの姿を見下ろすかのように男は屈んだ。


 そして、何かに気づくとギンに語り掛けるように呟く。


(……お前は……自分の死より娘のことを案じているのか?)


 この屋敷の者は人並離れた力を持って生まれてくることが多々あった。男は生まれながらにして言葉の話せない生き物の心情を理解する術を持っていたのだ。娘が犬を飼うことに反対したのは、その死に際の寂しさが人一倍強く感じることへの恐怖からだった。

 ギンにしてみれば、娘は命の恩人で、ひと時も離れずにいた主。自らのことよりも主を思う献身さに、男は思わず胸を打たれた。


「……このままちるのは惜しかろう。死しても主に仕える意思はあるか?」


 戯れともとれる男の言葉。

 ギンは答える代わりに目を見開き、唸り声を止めた。


「元より男は短命の家系、私も長く娘とはいられまい……。この命を糧とし、私の代わりに娘を守ってやってくれ」


 男は懐から小刀を取り出し──。



 数年後、男は再婚したが、徐々に衰弱しこの世を去った。遺産と屋敷は再婚相手の「佳枝」が全て手中に収め、一族を支配しつつあった。佳枝は血の繋がらない娘には何も与えず、代わりに癒えぬ傷とあざを与えた。


 少女が十四になった夏、父のなじみだった小木原おぎはらから声を掛けられた。


「先代からの遺言です。お嬢さんが十四になったらこれを渡せと」


 そう言って見せられた、厳重に封のされた箱。義母ですら目の届かない場所に保管されていたのだろう。小木原に感謝しつつ箱を開けると封書が出てきた。


 封書に書いてあった通り少女は一人あの杉の木へと赴いた。嫌な思い出しかなく、もう二度と来ないと誓っていた場所。封書にあった通り、したためた符をかざすと印を切った。


 突然、木の前に青白い炎が燃え上がる。やがて炎は燃えながら獣の形を作り出した。耳の長い兔とも犬とも似つかないその姿は、どこか愛嬌すら感じる。

 宙に浮き燃え上がる獣に、少女は驚くも声を掛けた。


「……貴女が……そうなの……?」


 すると獣は金色の目を見開き鳥のような叫びを上げた。まるで少女がここを訪れるのを知っていたかのような、そんな様子で見下ろしていた。


「そうなのね……私は佐夜香。貴女の名前は……そうね、今日は七夕。だから貴女の名は『織姫しきひめ』よ」


 名付けられ織姫は嬉しそうに少女の周りを回ると、かざしていた符を経由し、少女の内へと消えていった。


──芳賀佐夜香、当主を継承する二年前の出来事である。


星ノ巫女番外編 ─其の名は、織姫─  完 

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