幽霊の掛け軸 中章 其ノ七


 皆部屋へと戻っていった頃、哲寛は自室で書をたしなめていた。

 宛は『輪宗寺殿』──そう書かれている。幽霊絵図を借用する為の願書だ。


 僅かだが…本当に僅かだが、最も穏便に解決できる可能性に掛けたのだ。


(……)


 暗い部屋に灯された蝋燭の火が揺らめく。筆を走らせながら、雑念や他の選択肢が頭を過ぎる。

 ……果たしてこれが最良の選択だろうか。もしや皆で一斉に立ち向かえば化け物を倒せるのではなかろうか。いや、倒せても父は助かるのだろうか? 道三も巻き込んでしまうではないか。


 最低限の犠牲──だが寺で人が死ぬことに変わりはない。

 そうなればこの寺は……。


 そして次に化け物に強襲を仕掛け、父らが助かった場合を考える。

 甘い考え、危険過ぎる! それは最終手段、とにかく今はこの可能性に掛けてみよう。何事も始めから諦めてはいけない、掛軸を貸してくれなかった時はその時考えるのだ。


 そう、哲寛は諦めてはいなかった。先程皆に手を引いてくれと言ったのは飛び火が他所へと移らないようにする為。集まった者たちは父となにがしかの縁者であることには違いない。周りからさげすまれ、孤立している父を訪ねて集まってくれた者たちなのである。名を汚させたくないと思う気配りと優しさが、哲寛にそうさせたのだった。


ぽんぽん


 ふすまを軽く叩く音がする。


「どなたでしょう?」

『佐夜香です。お話があるのですが宜しいでしょうか』

「あ、はい!」


 スッと襖を開け、佐夜香は何事もなく部屋へ入ってきた。哲寛は心の臓が飛び出る程驚く。夜分、男の部屋を女が訪ねる。こんなところを誰かに見られたら一大事だ。


「何か不都合でもございましたか?」


 冷静に対処しようと思うが、何とかそう話すので一杯である。佐夜香はというと、済ました顔でひょいと机の辺へ視線をずらす。


「掛軸を借りる為の書ですね」

「……はい。今は交流はなくとも、輪宗寺りんそうじの住職とは面識があったので。駄目元でも早朝訪ねてみるつもりです」


 それを聞いて佐夜香は何かを思い、そして思い切った様にこう言った。


「そのお役目、私に務めさせては頂けませんか?」

「え?! それは……何故でしょうか?」


 突然の申し出に、またもや驚く哲寛。面識のある哲寛ですら貸してくれるか分からないのに……。それとも佐夜香には何か勝算があるのだろうか?


「何か良い方法が? 向こうと何か御縁がお有りなのですか?」

「あ、いえ。そういう訳ではないのですが…。ここから近いといっても結構歩かねばいけないようですし……哲寛様は何かあった時の為にここへ残って頂いた方が宜しいでしょう?」


「……?」


 哲寛は少し違和感を感じた。思い切った申し出だが、何やら歯切れが今ひとつ。

 何か隠しているのだろうか?


「佐夜香様、もしや御実家の名を出すつもりではありませんか?」


 佐夜香ははっとして哲寛の顔を見た!

 やはりそうだった、佐夜香は芳賀家の名を使い掛軸を持ってこようとしていたのだ! ずばり言い当てられ、佐夜香は思わず目線を落とす。


「いけない、それだけはなりません!余りにも無茶と言うものだ!」

「……哲寛様」

「よくよくお考え下さい! そんなことしたら両家だけの問題ではなく、藩を超えた問題になってしまう!」


 そう、ここは佐夜香の住んでいる葦鹿藩あしかはんとは違い緒原藩おはらはん。佐夜香は事変解決という大義名分があったからこそ、こうして天下御免で来られたのだ。他所の藩で『我は芳賀家の当主』などと無理を振る舞うものなら、ケノ国全体を巻き込んだ大騒動となってしまうだろう。


 哲寛は事だけについ声を上げてしまう。

 それを制すかの様に佐夜香は左手を突き出した。


「?」


そして


ドッ!


 素早く右手を上へと向けたかと思うと、苦無を天井に投げていたのだ!


「!?」


 次の瞬間、佐夜香は高く飛び上がり天井に突き刺さった苦無くないを掴むと、音も立てずに着地した。そして苦無の刃を灯りに近づけ、確かめる。


(血が付いていない、外した?)

「あ、あの。一体……」

「天井裏に気配が……。でも今はありません、気のせいだったでしょうか」

「何ですって? 一体誰が?!」

「それは私にもわかりません。……話の腰を折ってしまいましたね」


 そう言うと佐夜香は再び自分の座っていた辺りに戻った。


「哲寛様の仰る通り、それは無謀です。お心遣いには大変有り難く存じますが、私はこうして参った以上、何かお役に立ちたいのです。家の名を出したり無理をしないとお約束致しますので、どうかお任せ願えませんか?」

「佐夜香様……」

「必ず絵図をお借りして参ります」


 丁寧で熱心に頼み込む佐夜香、遂に哲寛の心が動いた。


「そこまで仰られるなら……判りました、お任せ致します。但し、御無理をなさらないでくださいね」


 書いたばかりの願書を佐夜香に手渡したのだった。


「ありがとうございます。哲寛様なら分かって頂けると信じていました」

「いえ、そんな大げさな……」


 照れ臭そうにしている哲寛を残し、部屋を出ていこうとしたところで


「あっ」

「どうされました?」

「そう言えば天井に穴を開けてしまいました、すみません」

「あぁ、まぁ大丈夫でしょう。……ぷっ、ははははは」

「ふふふっ、お休みなさいませ」


 佐夜香は笑いながら襖を閉めると表情を改め、警戒しながら廊下を歩く。

 だがやはり誰の気配も感じることはなかった。


 佐夜香が庭に出るとあちこちに篝火かがりびが立てられ、寺男や僧侶が交代で見張りをしているのが目に入った。あちこちに焚き火を消したような跡がある。僧の一人に聞いてみると蚊遣かやり(草などを燻した虫除け)を付けようとしたら化け物が怒り出したので止めたのだと言う。


(かわいそうに。この時期、虫に喰われて大変でしょうに)


 早く掛軸を取りに行きたいが、もう日付も変わる時刻。先方は寝静まっていることだろう。最も忍び込むなら今が良いのかもしれないが。


織姫しきひめ……)


 式神を呼び出そうとして止める。近くに妖怪がいれば勝手に出てくる筈の織姫が、大分前から何の反応も無い。相当衰弱しているのかそれとも……。

 いずれにしても式神が使えないのであれば、見知らぬ屋敷にいきなり忍び込むのはそれこそ無謀。


(安易に引き受けるのは、浅はかだったでしょうか。でも、それでも……あぁ、あの妖怪さえ居なければ……!)


 桜の木の上を見上げ、雲の様な化け物を睨む。

 目の前に居るのに手出しができないなんて、何と憎い事か。


「おっと、それ以上近づかない方がいいぜ」

「虎丸様?」


 不意に虎丸の声。

 聞けば厳顔、兼井と共に交代で見張りをするのだという。


「只働きってのは性に合わないんでな。さよちゃんは朝までしっかり休んどきな」

「え? ……すみません、宜しくお願いします」


 ひょっとしてもう哲寛から聞いたのだろうか?

 ここは虎丸の言葉に甘え、佐夜香は離れへと戻ることにした。


 離れの小屋へと戻った佐夜香、戸に手を掛けようとして手が止まる。


(そうだ、さっき天井裏に隠れていた曲者!)


 咄嗟に身構え、辺りや小屋の中に人の気配が無いか確かめる。危ないところだった、暗殺者は標的が油断しきった隙を狙う。勿論先程の曲者が暗殺者で佐夜香と哲寛を狙っていたかどうかはわからない。だがもし哲寛を狙っていたのなら今までいくらでも襲う機会はあった筈である。


 そうなると狙いは……。

 町で戦った火車の言葉が蘇る。


──憶えておくんだね!! 寺で大勢人が死ぬよぉぉぉ!!


(まさか?! いえ、それは無い。妖怪は寺に入り込めない筈!)

 

 きっと気のせいだったのだ、例え人間だったとしてもそこまで執拗しつように狙ってくる人間がいるとは思えない。だが念入りに小屋をぐるりと回り警戒する。

 そんな佐夜香に声をかけた者があった。


『あらら、今度は何をしているの?』


「誰?!」


『ここよ、ここ』


 昼間会ったさくらだった。

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