陰陽師 佐夜香編
幽霊の掛け軸 上章
幽霊の掛け軸 上章 其ノ一
志乃が芳賀家当主『
葉月(現在の八月)も中旬を迎え、お盆がやってきた。地獄の釜の蓋も開き、あの世の者たちも一斉に一時の里帰りとなる。その
悪鬼用心の呼びかけが飛び交うこの時期、ケノ国南部『
その黄昏、
「暗くなってきましたね。随分人も集まってきました」
「不思議ですね。夜に人が出歩くことなど普段は考えられないのに」
佐夜香と芳賀家に古くから仕える小木原は川沿いにある道を歩いていた。普段なら今は人外の時。町から離れたこんな寂しい場所を出歩くなど、妖怪に喰ってくれと言っているようなものである。
それでも今日だけは、この時間のこの場所では人が大勢集まっている。しかも里の外からもだ。
遠くで寺の鐘が鳴る、時間だ。
集まっていた群衆が一斉に同じ方向を見上げた。
「お」
「そろそろですね」
ピュ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
ズダァァァァ─────────ン!!!!!!
夜空に赤青の色鮮やかな花が咲き、とてつもない轟音が里中に響き渡った。
里人は驚きの歓声を上げる。
「ひゃぁ! 聞いちゃ居ましたがこいつは…!」
絵にも描けない美しさ、とは正にこのことではなかろうか。花火の鮮やかさと轟音に身も心も奪われそうになる佐夜香。しかし本来の目的を思い出すと、途端に
「さ、私達はお仕事開始ですよ」
「かぁー! ゆっくり見物もできなく残念無念!」
疎らな人の間を
そう、今日行われた催しこそ「葦鹿の花火」であり、佐夜香らはその見回りに来たのである。活発化しつつある妖怪たちを牽制する名目で、葦鹿の里で大型の花火を打ち上げるという試みだ。
企画はこれまた佳枝が勝手に決めた。このとおり花火の騒ぎで混乱や盗人が出ないよう見回りまでさせている。佐夜香たちだけでなく、番屋、役場の人間まで借り出し、どこの馬の骨かもわからぬ者まで雇っていた。事実上、表も裏も里を取り仕切る組織と縁があることになる。
先日の演舞祭といい、力の誇示は十分過ぎる程効果が出たに違いない。何故義母が必要以上に芳賀の名を世に示そうとするのか、佐夜香にはそれが理解できなかった。わかっていたのは義母がいなければ芳賀家はバラバラになっていた、という自分の非力さのみ。皮肉なことに佳枝の強引な手段が今の芳賀一派を救っているのだ。
(今の私……それどころか今の芳賀一門、葦鹿の里までもがまるで義母の操り人形のよう…。こうして今も義母の言われるままに仕事をこなすしかできない。反発する力も理由すらも無い……)
──御家に総領あれど
他家からのそんな言葉を耳にした時もあった。
花火を見ることなく、音と光を背に受けながら人混みを警備する佐夜香。後ろから待ってくれと言う小木原の声も届かない。淡々と道を歩いて行った。
やがて花火は一時小休止の時間となる。
『うわぁぁぁん』
花火が止んだのと入れ替わりに、川の土手下の辺りから子供の鳴き声が聞こえた。提灯を手に声の方へと直様降りる。
「誰か居るの?」
胸まで高さのある草むらを掻き分けて進むと子供が泣いていたのだ。
「うわーん! おっかぁー!」
「親とはぐれたのね、ここは危ないから一緒に上がって探しましょう」
そう言って手を子供に差し出す。
「ひっ?! うああーん!」
子供は提灯に照らされた佐夜香の手を見るなり腰を抜かして更に泣き出した。自分の痣だらけの手を見て驚いたことに気づき、咄嗟に手を隠す佐夜香。これではどうすることもできない。そこへ小木原が追いついてきた。
「おう、坊主! こだどごで泣いてっと、
子供を抱きかかえ、土手から上がろうとするがうまくいかない。
「大丈夫ですか?」
「や、滑ってだめだ。坊主、ちと降りろ」
子供を下ろそうとすると土手の上から母親らしき声が。
「おっかぁだ! おっかぁー!」
子供は小木原から離れると素早く土手を駆け上がって行った。母親も子供を探していたのだが、花火の音で泣き声が聞こえなかったのだろう。土手の上で子供は母親に引っぱたかれながら連れて行かれてしまった。
「ありゃ、礼も言わねぇでいっちまいやがった」
「うふっ、まぁまぁ。さ、私達も上がりましょうか」
ピューピュー! バン! バンッ! パパパパパパパ!!
ここで再び花火が始まった。
「見てくださいよ! あれが仕掛け花火ってやつですよ!」
「うわぁ! すごい!」
夜空へ高く上がる大きな花火とは違い、今度は小さな花火が低いところでいくつも連続で打ち上がっている。尺玉では味わえない見応えある鮮やかさがそこにあった。
(素敵、まるで大きな花の束みたい)
仕事でなければゆっくりと見たかったのだが…。
そう思いながら土手を上がろうとしたその時、
『すげー! 今度はちっこいのがいっぺぇだ! 綺麗だなー!」
(えっ?)
すぐ傍で声がし、佐夜香は驚き川の方を振り向く。
……当然そこには誰もいない。
「今、川の方から声が聞こえませんでした?」
「いえ? 空耳じゃないですか?」
(空耳? 確かにはっきりと……それにしても今の声って……)
最近聞いた妙に聞き覚えのある声だったのだが、考えてみればそんな筈はない。きっと空耳だろう、もしかしたら自分は疲れているのかもしれない。仕方もないのでとりあえず土手に上がる。
「河童の声でも聞いたんでしょう。奴らも花火を楽しんでいるかもしれませんよ」
「ふふ、それでは花火の意味がありませんね」
泥が付き、汚れてしまった足も気にせず見回りを続ける二人。迷子もそうだが喧嘩やスリで騒ぎが起きることは避けたい。魔除けの花火とはいえ、妖怪が出ないとも限らないのだ。
やがて仕掛け花火も止み音と光だけが空に上がる。これでお開き、ということだ。幸いと言うべきか、悪事を働くような輩は見当たらなかった。そういった連中も今宵は大人しく花火見物をしていたなら良いのだが。
「花火、終わっちまいましたね。来年はゆっくり拝めるといいんですがねぇ」
「来年もするとは限りませんよ……それに見て下さいな」
「ん? …おぉ……」
佐夜香の指差す方を見ると、川の向こう岸にいくつもの緑色の光が眩い程に輝いていた。花火が上がっている時は気にも止めなかったが、無数の蛍が群れを成していたのだ。
一つ一つ小さいながらも、命ある瞬き。規則性がなく、思い思いに飛び交う自由で優雅な動き。いつか終わりが来るひと夏の夜を惜しみない明かりで照らす。
心を奪われその場に立ち尽くす二人。贅沢で大きな花火には無い、儚く美しい光がそこにはあった。
「大きな物にばかり気を取られていて、見過ごしてしまう事もあるかもしれません」
「んー、そうかもしれませんね」
次々に家路へと帰る人の群れ。それも殆どなくなったのを見送ると、佐夜香たちは川に架かっている橋の手前まで来た。
「これで今日のお仕事は御終いです」
「ではお屋敷に戻りましょう」
「あ、いえ、その……」
歯切れの悪い佐夜香の返答に不思議そうにする小木原。少し考えているようだったが、ついに決心しこう言った。
「これから藤原の家へ参ろうかと思うんです。帰るのを少し待って頂けませんか?」
「もう夜中ですよ? 早く帰らないと奥方様に叱られます」
だが必死に懇願する佐夜香に、遂に小木原が折れる。
「ありがとうございます、待ち合わせは半刻後この橋で。これでお蕎麦でも召し上がっててください」
今晩だけは気を利かせて遅くまでやっている店もある。銭を取り出すと小木原に渡し、風のような速さで橋の向こうへと駆けて行ってしまった。
(はぁ…本当にいい娘だよ。そこらへんはあんたと全然似てねぇや、先代よ)
小木原は手渡された銭を懐に仕舞い、一人逆の方へと歩いていった。
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