星ノ巫女番外編 八作と風の子


 ──皐月さつき(現在の五月)上旬、志乃が那珂の里を訪れる一月前のことである。


 志乃の住む八潮の里でも田植え真っ盛り。皆が苗を植える仕事に明け暮れていた。今年は雨が少なく、特に山へ田を持つ者は誰もが頭を抱えていた。


 田に水が入らないからである。


 数日前にいくらか降った雨で、何とか潤った田に植代うえしろをかき、苗が駄目になる前に植えようと必死だ。


 小さいが自分の家で田を持つ八作はっさくもその一人だった。八作は両親や祖父が地主や親類の方へ手伝いに行っているので、山にある小さな田を一人で任されていた。


(あぁ、まんず腰いでぇ……)


 時折天を見上げながら腰を叩き、再び腰をかがめる。何とか今日中に終わらせ、祖父と同じ水田へ手伝いに行かなくてはならない。考えれば嫌になるが、これも生きていく為だと割り切る。

 数え年で十四になったばかりの八作はまだ遊びたい盛りの筈だ。だが近所に同い年の者がいなかったせいか、毎日仕事をするのが普通だと考えていた。集落行事である祭りにも最近は参加していない。いつか自分に回って来るであろう「東照宮参り」の番(お伊勢参りのようなもの)を夢見ながら待っていた。


『おーう! はっさぐ! 精がでんな!』


 声のした方を振り返ると年の近い男が三人。町中の名主の息子とその連れだ。


惣兵衛そうべえでねぇが。どしたこんなとごさ来て?」

「おめぇを遊びに誘いに来たんでねぇか。まだ植えんの終わんねえのげ?」


 またか、と八作は思った。惣兵衛も近所に歳の近い者が少なく、態々町中からこうして八作に声を掛けに来るのだ。

 最近、星ノ宮の神社に住み始めた娘が大層別嬪べっぴんだという噂を大人達から聞きつけ、今から一緒に見に行こうと言う。


「オラこの通り仕事終わさねえといけねぇし。それにあすこは駄目だ、爺様から用も無いのに行っちゃなんねぇと聞かされてるし…」

「ほー…、爺様の言う事よぐ聞いでおめえは偉いのー。ま、しゃぁねぇな」


 惣兵衛の仲間が「しっかり植えろ」とかがんで尻を突き出しからかう。笑いながら三人は山を下りて行ってしまった。残された八作は気にせず田植えを続ける。あいつらは町中でも札付きの悪餓鬼だ。関わるとろくなことが無いと思った。


 八作も星ノ宮の巫女について知らなかった訳では無い。祖父からきつく言われていたのもあるが、あの神社は別名「雷様らいさま神社」とも呼ばれ、この時期になると度々雷が落ちた。昔も同じ様に巫女が住んでいたこともあったらしいが、悪事を働き役人に捕まったとか、雷様に連れていかれたなど良い噂が無かったのだ。

 例えいかな別嬪が住んでいようがいまいが、日々労働にいそしんでいる自分には無縁の世界。それより早く田植えを終わさないと日が暮れてしまい、妖怪が来て喰われてしまうのではないかという恐怖の方が勝った。



 何とか夕暮れ時には全部終わらせることができた。

 さて帰ろうと八作が手足に付いた泥を拭っていた時だった。


『八作ー!』


 突然名を呼ばれドキリとする八作。恐る恐る振り返ると何てことは無い。

 昼間に惣兵衛と一緒に来たうちの一人だった。


「大変だ! 惣兵衛が化け物みてぇな顔した爺に連れてかれた!」

「え……」


 サーッと血の気が引く八作。

 話によると、三人で神社に入ろうとしたところ中から出て来たのは娘では無く、恐ろしい顔をした坊主だったのだという。三人はその場でこっぴどく叱られ、惣兵衛が名主の息子だとわかるとどこかへ連れて行こうとする。何とか許しを乞おうと必死になったが、他の二人だけ帰され惣兵衛だけ連れて行かれたそうだ。

 どうすべえ、と泣きじゃくる少年に、とにかく早く帰って親に言えと伝えた。帰り道が逆なので送っていくことはできないが、そう心配するなと励ましてやった。


 少年と別れ、八作は一人大声で笑った。恐らく坊主は神社ゆかりの者で、悪戯に来た三人を咎め、家が名主である惣兵衛は親を呼び出され再び怒られるのだろう。可哀想だが放蕩者には良い薬だ。


(……あ、いけね。笠忘れた)


 うっかり笠を忘れてきてしまった。無くしたら自分が親に怒られてしまう。

 他人所では無い、と慌てて山道を駆け上って行った。



(……あ、あった。いがったでや)


 田の隅の方で逆さになり笠は転がっていた。きっと風で飛んだのだろう。

 あぜからでは届かず、仕方なく田に入ると笠を拾い上げた。


ブワッ


「…っ!」


 強い一陣の風が八作の顔を撫でる。


 そして、八作は見た。



バシャバシャバシャバシャバシャッ!



 風が水田を撫でていると始めは思った。


 しかしそれは不規則で生き物の様に、田の中をなまずが跳ねているかの様に騒がしく泥飛沫どろしぶきを上げると、畦にぶつかり気配が消えた。


 目を凝らしたがそこには何もいなかった。

 八作は悲鳴を上げる。


「山の神様っ! お助け下せぇ! 星ノ宮の神…あ、神社こっちだ! 星ノ宮の神様! 巫女様! 許して下せえ! どうかお助けくだせぇ──!」


 植えたばかりの水田の中、必死に八作は土下座し許しを乞うのだった。



 そんな八作を眺め、腹を抱えて笑う妖怪が一匹。山背の妖怪、春華だ。

 丁度そこへ天狗の娘が通りかかり、春華は声を掛ける。


「あっはっは! 見てよあの人間、おっかしー! ちょーっと驚かしただけなのにあの慌て様、あっはっはっはっは!! あー笑えるっ!」


 言われて下を見ると、何故か田の隅で必死に祈っている人間が一人。

 あぁまたこいつ悪戯したな、と天狗の娘は呆れ顔。


「……あっ、そうだ。やい、とくじろー! お前のくれた大妖怪の卵、すぐ駄目になっちゃったぞ! どういうことだ!」

「徳次郎じゃなくて徳次郎とくじら! 普通に名前で茜って呼べよ……まったく…。で、何? 大妖怪の卵? 何それ?」


 春華に説明され、前に冗談で渡した妖怪が出てくるおもちゃのことを思い出す。


「…そっか、それは悪かったな。今度もっといいもの持ってきてやるよ」


 悪かった、などと言っているが、吹き出して笑いそうになるのを堪えている。


「茜も手伝え! 今度は神社の巫女をやっつけんだ!」

「あー駄目駄目、あたしらは寺社に手出すの御法度だから」

「何だそれ、つまんねー」 

「もうすぐ天狗の試験あるし忙しいんだ、また今度遊んでやるよ」


 茜は別れを告げると豪風と共に消え去る。

 気のせいか、後から笑い声が聞こえた。


 さて、次は何をしようか?

 風の子の興味はもう他へと移っていた。


星ノ巫女 番外編  ─八作と風の子─ 完

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