まほろばのトラの章 其ノ士
志乃達が那珂の里を去ってから数日後。報告を受けた寺社事変奉行の役人達が御前岩を訪れていた。山林では妖怪達の武器や甲冑、矢が刺さったり薙ぎ倒されたりした木が見つかる。至急付近一帯に諸藩と連携した何らかの対応が必要と判断された。
妖怪の死体は殆ど発見されなかった。大半の妖怪達が息を吹き返し逃げて行ったからである。暫く御前岩付近は立ち入り禁止となった。
そんな御前岩の様子を、少し離れた高い場所から見つめる者が一人いた。
それは……志乃達が里を訪れる時に会った、あの金髪の女であった。
今日は着物姿ではない。まるで大陸の貴族を思わせる民族衣装に身を包み、手には和傘を差している。結っていた金髪は解かれて腰の下まで届いているのだった。
女が御前岩の様子を伺っていると、脇差の女が近づき話しかける。
『あさぎ様、使いが戻って参りました。見つけたようです』
峠の茶屋で女といた脇差の従者だ。『あさぎ』と呼ばれた女は和傘を閉じるとゆっくり振り返る。
「ご苦労様です
「はい、まずこれを」
『花梨』と呼ばれた従者は包んであった赤黒い石をあさぎに見せる。
それを手に取り様々な角度から観察するあさぎ。
「あさぎ様の仰った通りでした。一里程離れたの山の中腹に不自然な穴があり、これがあったそうです。……見つかったのは結界の内側でした」
暫く石を日の光に透かしたりと観察していたあさぎであったが、一通り見終わると宙に投げ捨てた。投げ捨てられた石は空中で発火し、跡形も無く消える。
「念の為見つけた穴を焼却し、人目に付かない様に封印しておきなさい」
「仰せのままに」
あさぎは両手で小窓を作ると、そこから覗くかのように御前岩の方向を眺める。
「ところであの岩、貴女はどんな物かご存知?」
「地元民が夫婦岩として奉っている岩です。安産のご利益があるとか、赤い霊水が沸くとか……」
「まぁ、やぁねぇ」
口に手を当てふふっと笑うあさぎ。
そして途端に真剣な表情になると、こんなことを言い出した。
「……もし貴女に大切な人がいて、先に死なれてしまったらどう思う?」
「え? それは……私は一人身なので何とも……。例えの話なら……そうですね、きっとその時は辛く悲しく思うでしょう」
突拍子もない質問に単純な答えで返す花梨。
「……そうね」
眼下に見える岩を見つめながら、独り言のように呟いた。
その日、志乃は神社の
(今日も世は事も無し、か)
そんな志乃にあの声が語りかけてきた。
──志乃、寂しい? 退屈?
(……そうね、退屈だわ)
口に出さず話が出来ると知った志乃は、心で声と会話するようになっていた。
(貴方は知ってるの? 私達を襲ってきたあの黒い化け物。どう見てもそこらの妖怪とは明らかに浮いていたわ。それと、イロハ達の言っていた私を助けた光の線、あれホントに貴方の仕業とかじゃないの?)
──黒い化け物 憎悪の塊 光の線 知らない
(憎悪の塊?)
──人の悪しき心 化け物生んだ
(本来妖怪はそういうのが多いけどね。あれは新種なのかしら)
──志乃 お客さん
(お客さん?)
声に言われた通り、桶と手ぬぐいを準備し、沸かしたお湯と冷水を入れてぬるま湯を作った。暫く待っていると客は石段から上がってきた。
「え? お客さんって貴方なの?!」
石段から上がってきたのは那珂の大将猫、邪々虎であった。
「ちょっとどうしたの?! ここまでかなり距離あるのよ?!」
邪々虎はのっそりと志乃に近寄ってきた。
「先日里の頭を引退してな、この通り子分無しの身になったのだ。もうワシは邪々虎ではない、ただの『トラ』じゃ」
「いや、そうじゃなくて……。あ、これぬるま湯だから足入れて頂戴」
「おお、これはありがたい。頂くかの」
志乃が桶を差し出すとトラはその中に足を浸しうっとりする。
「でも里の猫が黙ってなかったんじゃない?」
「皆聞き分け良く送ってくれたわい。里は烈風に任せてきた。ジジや小太郎の補佐があればやっていけるじゃろ」
ようやく肩の荷が下りた、そんな感じのトラは足湯に入っているせいか爺臭い。渡された手拭いで足を拭くと、高欄に腰掛けていた志乃の隣に来て座る。
そして神妙な顔つきになった。
「もしお主さえ迷惑でなければ、ここに置いてはくれんかの。老いぼれだが留守番の代わりぐらいにはなろう」
志乃は驚いた。那珂の里を取り仕切っていた親分猫が置いてくれと言うのだから。もしイロハがここにいたら大喜びだっただろう。勿論志乃も大歓迎であったが、ここはあえて冷静に対処する。
「一つ約束があるの。それは貸しとか借りとかそういうの一切抜きで……そうね、『家族』としてここに居てくれるのならいいわ」
トラは自分の心が大きく揺れるのを感じた。あの娘にどこか似ている、そう思ったのだ。
「うむ、この老いぼれで良ければ『家族』になろう。お前は優しい娘じゃの」
座っていた志乃の膝の上に乗っかり体を丸める。
「きゃっ! ちょっと! 重っ!」
「少しの間、ここで休ませておくれ……どっと疲れおったわ」
そう言うと寝息を立て始めてしまった。
どかそうと思ったが、何か思うとそのままにして大柄な体を優しく撫でた。
そしてトラに手を置くと、自分も柱に寄りかかるようにして目を瞑る。
梅雨も終わりを迎え、木漏れ日が初夏の訪れを告げる昼のことであった。
星ノ巫女 ~まほろばのトラの章~ 完
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