まほろばのトラの章 其ノ七


 部屋を出て廊下を歩くと女将に出会った。会って早々、昨晩はどうしたのかと心配そうに尋ねられた。どうやら夢を見ながら寝言を言っていたようだ。


「大丈夫です。昨日は少し帰るのが遅くなってしまってすみません」

「いいんですよ、私も亭主の帰り待ちでしたから。毎晩酔っ払って帰ってくるんだからやんなっちゃう。あ、そうそう。朝餉あさげはどうします?」


 あの様子だとイロハは昼まで起きまい。志乃は自分だけ別室で頂くことにした。獅子しし肉の煮つけに蜂の子と朝から贅沢であり、しじみの味噌汁が身に染みて旨かった。


 さて、どうしよう。食べ終わって外を歩きたいがイロハの事もある。頭に手拭いを巻いてきたが、うっかり女将に見つかっては面倒だ。

 念の為、女将に「連れは寝起きが悪く、起こそうとしたら怪我をした者がいた」と、イロハが起きるまで部屋に入らないよう釘を刺す。


 これでよし、見つかったらその時考えよう。


 外を出て歩くとまだ朝だというのに結構人が歩いている。この里は藩境はんざかいで、田舎と言えど様々な人間が行き交う。巫女装束も持っては来たが、人目に付いてしまいとても着ては歩けなかっただろう。

 この辺りはこれといって見るものは余り無い。だが志乃は道をれ山沿いを進む。暫く行くとそこに「唐御所横穴からのごしょよこあな」と刻まれた石柱がある場所に着いた。

 昔、平将門たいらのまさかどが討ち取られた際に将門の女だった者が出家した。子をはらんでいた為にここへ隠れ住み、ここで子を産んだとされている。世をはばかる為「唐の皇帝の妃が遠方よりここへ移り住んだ」と噂を流したので「唐御所」なのだという。


(でもそれじゃ逆に目立っちゃうんじゃない?)


 平将門といえば晒し首にされても数ヶ月腐らずに残り、

「我が手足はどこぞ!? 首だけでは今一戦交えることもできぬでは無いか!」

と叫び、首が京から美濃まで飛んだという話が有名だ。

 殺気を帯びた生首が飛ぶ、まるで酒呑童子の最後を髣髴ほうふつとさせる話だが、こちらは人間だというからぞっとする。横穴は暗く、ぽっかりと空いた洞穴が、まるで地獄へ誘う入り口であるかに思えた。あわよくば天下人の妻となれたかもしれぬ女が晩年何を思い、どんな生涯を送ったのか。気になるところではあったが長居できる場所でもなく戻ることにした。


 ふと小道から外れたところに人の気配がする。


(誰かいる?)


 そっと物蔭ものかげから見ると、傘を被り荷物を背負った男がいる。男の前には……猫?

男は何やら荷物から取り出すと猫に渡す。一瞬、こちらに気づいた様子で志乃の方を向くが、男は何事も無かったかのように立ち去って行った。


 何をしていたのだろう?


 残された猫は器用にも風呂敷を取り出し、貰ったものを包んで首に巻いた。

 そしてこちらを向くと、なんと逃げずにこっちへ向かってくるではないか!


「姉さん、姉さん! あっしです!」

「ハチなの?!」


 その猫は八兵衛だった。昨日とは違いどう見てもただのぶち猫である。志乃は思わず今朝見た夢に出てきた八兵衛を思い出し、ドキッとした。


「どうしたんです?」

「あ…うん。ちょっと寝起きで……。ところで何をしていたの?」

「買い物ですよ。あいつら『闇屋』って呼ばれてまして、あっしらや他の妖怪と商売してるんです。たまに変なもん持ってきたりしますが、結構品揃えがいいんで御用達ですわ。姉さんこそこちらで何を? 御嬢は御一緒じゃないんで?」

「とりあえず散歩かな。イロハは寝てる、昨日大分飲んでたみたいだし」

「あはは、そうでしょうねぇ。お若いのによく飲まれると思ってやんした」


 とりあえず人気の無い小道を一緒に歩く。

 小さな風呂敷をした八兵衛はどこか可愛らしい。


「しかし『闇屋』が見えるなんて姉さん結構人離れしてますね。普通人間には気づくことすらできないんですよ。やっぱり姉さんは聞いた通りのお方ですね」

「聞いたって、誰から何を?」

「そりゃ姉さんの武勇伝ですよ! あいつら情報も取り扱うんで。人里いくつか越えた西にある神社の巫女が攫われた子供を助けたって! あっしは姉さん見た時ピーンと来たんです、きっとこのお方のことだって!」

「ホントに? 悪事千里を走るとはこのことね」

「何でも倒した相手は大陸から来た強力な妖術を使う妖怪で、片っ端っからやっつけて住処ごと封印したとか! 星ノ宮の巫女様はお強いんでやんすねぇ!」

「え? なんか尾ひれついてない?」

「またまた、ご謙遜けんそんを!」


 妖怪の情報網恐るべし。


「じゃ、あっしはこの辺で。今日は非番なんでくつろぐ事にしますわ」

「あ、待って。ちょっと聞きたいことが」


 志乃は昨日の邪々虎のことが引っかかっていた。

 宴会の席を外し御前岩の方を見張っていたことである。


「トラのことなんだけど、何かあったの?」

「どういったことでしょう?」

「うまく言えないけど……昨日屋敷の裏で何かを警戒してたようだけど」


 八兵衛は少し考えるとこう答えた。


「……さあ、あっしにはさっぱり」

「口止めされてるの?」

「……すいやせん、姉さん。こればっかりは…堪忍してください」


 シュンとなる八兵衛が可哀想になった。おしゃべりの八兵衛すら口を閉ざすのだ、これ以上何か聞き出すのは無駄だろう。


「そっか。無理言ってごめんね」

「いえ。じゃあ、あっしはほんとにこれで。姉さん、どうかお気をつけて」

「うん、またね」


 八兵衛はそのまま山の方へと走っていってしまった。


(気になったけど仕方ないか。さて、イロハはもう起きたかしら)


 日差しも強くなってきたところで一旦宿に戻ることにした。


 宿に戻ると何やら馴染みの声がする。


「おかわり!」

「はいどうぞ」

(あれ、普通にご飯食べてるし)


 頭に手拭いを巻いたまま遅い朝餉を食べているイロハ。なによりもイロハが女将に懐いてるのが驚いた。


「あらおかえりなさいまし」

「あ、志乃! 勝手に出てっちゃってまったくー」

「あんたがなかなか起きないからでしょ、起こすと怒るくせに」

「起こさなくても怒るよ!」


 女将が志乃にお茶を入れてくれる。


「そうだ、ここら辺なにか見所ってありませんか?」


 折角イロハも起きたのだ、どこか連れて行きたい。


「見所? んー……宿場町以外は、お寺くらいしか思いつかないですねぇ。もう少し早い時期なら花が見頃だったんですが」


 それは残念だ。仕方なくイロハが食べ終わるのを待って、部屋で今後の予定を確認することにした。色々考えたが結局もう一つの宿へ温泉だけ入りに行くことにする。川で釣りでもと考えたが、イロハがずぶ濡れになる可能性が極めて高いので口に出さなかった。


 温泉の帰り道、坂を二人で歩くが志乃はぐったりしていた…。


「あーいい湯だった! 志乃どうした?」

「……なんでもないわよ」


 丘の上の温泉は宿の温泉とは違い、人でごった返していた。美人の湯としてかなりの評判らしく、里の外からも客が大勢押しかけていたのだ。志乃はイロハの頭に巻いた手拭いが落ちないかと常に心配でそれどころではない。一度人にぶつかりうっかり手拭いがずれた、もしかしたら耳を見られていたかもしれない。


「……次はもう少し静かなところに行きましょう」

「じゃああの店!」


 蕎麦そば屋がある。


「だめ。今晩は牡丹鍋ぼたんなべらしいから我慢」

「うー、じゃあどこさ行くんだ?」

「うーん……あ、ちょっと遠いけど、御前岩って珍しい岩があるのよ。そこ見てきましょう。お寺よりは珍しいと思うわ」


 志乃は昨日見下ろした岩を思い出す。


「ゴゼンイワ…? ゴゼンって何だ?」

「……女の人の肌みたいに白くて綺麗な岩なのよ、だから御前岩」

「ふーん? 今から行くんか?」

「遠いから明日早く行きましょ……今日は休みたい…。それにほら、空を見て。夕方からきっと雨ね」


 志乃が指差した方には黒い雲が浮かんでいた。


「えーもっと何処か行きてがったのにー! …あ! 昨日の猫だ」


 見ると屋根の上に子猫が二匹こっちをじっと見ている。イロハは先程温泉で手に入れたお土産の川魚を投げてやった。ビクッとした猫達だが恐る恐る近づき、魚を咥えると逃げていってしまった。


「……トラ達、今何してるべか」

「どこかで昼寝でもしてるんじゃない?」


 昨日あまり話せなかったので少し寂しいようだ。また今度会いに行こう、とイロハをなだめる志乃であった。


 少し早い夕餉の後二人は部屋で休み、明日早く起きる為もう寝ることにする。しかしイロハは起きたのが遅かったので、なかなか寝れず志乃にちょっかい出してくる。仕方ないので布団に入ったまま昔話をすることにした。イロハが泊まりに来て眠らない時、志乃はこうやって話を聞かせるのだ。


「──今は昔、竹取たけとりおきなといふ者ありけり……」

「ふむふむ」


 イロハが一々わからないことを聞いてきて、志乃はわかる範囲で答えてやる。


……


「──でその山をフジの山といふ」


 最後まで話をしてしまった。イロハはまだ起きている、困ったものだ。


「へー、月には妖術みたいのを使う人間が住んでんのか」

「どうなのかしら…。兎が餅ついてるって話が定説だけど兎は餅なんか食べないし、きっと兎みたいな姿の人間がいるんじゃない?」

「何でかぐや姫は月に帰っちまったんだ? お迎えが来ても逃げればよかったのに」

「本当の母親が月にいて恋しくなったからじゃない?」

「そうなのかなぁ」


 志乃はここでイロハの母のことを少し聞いてみることにした。なかなか聞く機会も無いだろうし丁度いい。


「イロハは母上のことは憶えてる?」

「うん……でも会いたくなるからなるべく考えないようにしてる」

「…そう」

「志乃は母上はいたのか?」

「私? 私は…」


 薮蛇やぶへびである。どういう訳か志乃は昔のことを殆ど憶えていない。母との旅の記憶が辛うじて残っているだけであった。


「……優しいかあさんだったわ。歌をつくるのが大好きだった。お寺やお屋敷によく呼ばれることもあって、色んなところを一緒に旅したの」

「へぇー」

「旅先でよく、私はかあさんに似ていると言われて嬉しかった。でも今思えば、私はかあさんの子じゃなかったような気がするの」

「なんで?」

「私はとうさんがいないもの。聞くとかあさんが困った顔をしたし、私はかあさんと一緒にいただけでそれで楽しかったの」

「…」

「ねぇイロハ、とうさんがいるってどんな感じなの?」

「…」

「イロハ?」


 寝ていた。


(もう! いいわよ!)


 結局、今日はイロハに振り回されっぱなしだった気がする。

 疲れていた志乃はそのまま眠りに落ちていった。


 どのくらい経っただろう、ふと物音で目が覚める。


(……雨音?)


 そういえば昼過ぎ雲が出ていた、このまま降らずに通り過ぎるか、と思っていたがそんなことはなかった。よく聞くと雨戸の外の方から他の物音もする。


ドンドンドン

ガリガリガリ


… …ん! …さん!


「!?」


 慌てて雨戸を開ける!


「ハチ?! どうしたの?!」


 そこにはずぶ濡れの八兵衛がいた!


「姉さん! 助けてください! 親分が、みんなが殺されちまう!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る