人攫い事変の章 其ノ十


 志乃は懐から何かを取り出すと口に入れ、同じものをイロハに渡す。


「できるだけ姑獲鳥うぶめの目を見ないで、催眠術を受けるわ。これを歯に挟んで危なくなったら噛み砕いて」


 貰った何かを口に入れるイロハ、その瞬間顔をしかめる。


「苦っ!」

「小さな隙でもいい、見つけたら斬りかかって! 頼りにしてるわよ!」

「わかってるって!」


 宙を舞いながら二人のやり取りを伺っていた姑獲鳥は目を細め、ニヤリと笑う。

 動きを止めると大きく翼を広げ、二つの目から強い光を放った!


 すかさず二人は腕で光をさえぎる。

 だが姑獲鳥は大きく広げた翼から矢のように羽毛を飛ばしてきたのだ!


「うわ!」


 二人はかろうじてそれを避けようと横に飛ぶ。

 しかしかわせたと思った瞬間、地面に倒れてしまった!


「うっ!」

「ってぇ!」


 立ち上がろうとした二人だがその場から動けない。

 足元を見ると二人の影にびっしりと羽が刺さっていた。


「影縫い!?」


 この機の逃さない。

 勢いをつけると志乃目掛け突っ込んできた!


シャン!


 機転を利かせ錫杖しゃくじょうを鳴らす志乃。

 地に刺さった羽を燃やそうというのだ。

 周囲は炎を上げ、燃え広がったが間に合わない!


「きゃぁっ!」


 突進をかわそうと目一杯体をひねる。

 直撃を避け捕まることも無かったが、姑獲鳥の爪が片腕を捕らえ引き裂いた!


「あちちっ! し、志乃ー!!」


 自由を取り戻し、志乃に駆け寄るイロハ。


「っ! ……逃げて!!」


 立ち上がろうとした志乃だったが身体がしびれすぐ膝を付く。

 姑獲鳥の爪には毒があったのだ。


もろいものよ」

「よくも志乃を…! オラが相手だ!」


 志乃を庇うようにイロハが立ちはだかる。


「那須野のいぬ族に人の血の混じった姫がいると聞いた、お前がそうか?」

水倉みなくらイロハだ! もう許すもんかぁぁ!」


 イロハがそう叫んだと同時に、今度はイロハ目掛けて突っ込む!


 だがイロハは動じない!

 突っ込んでくる姑獲鳥目掛けて走ると勢いよく地を蹴った!


「?!」


 恐るべき跳躍力に一瞬目を疑う!


キンッ!


 宙で一回転し、斬りつけた翼から羽毛が舞う!


 致命傷には至らなかった。地に刺さるほどに硬い芯を持つ羽毛は、頑丈な盾となり刀を受け止める。しかしイロハは動きを止めず、素早く向きを変えると再び姑獲鳥を目掛けて走る!


(なんというはやさ!)


 瞬く間に目の前に現れ、思わず防御の体制をとる。


ガキン!!!


 袈裟斬りをするも再び翼に阻まれた!


 しかしこの時、姑獲鳥は冷静だった。刀を受け流すと両翼を広げ目を光らせる。

 イロハはその目をまともに見てしまった!


「あぁっ!」


 受身をとれずに地面へ叩きつけられたイロハ。なおも立ち上がろうとするが全身に激痛が走り体が動かない。妖術の光をまともに受け視界も定まらない!


「ぐっ…、うぅ……ぅ」


 それを見届けると姑獲鳥は志乃の方へ向かう。同じように動けない志乃を確かめると、押し潰すようにかぎ爪で鷲づかみにした。


「ぎ…! くっ……」

「……!」

「哀れいぬ族の末裔よ。那須野の狛狗こまいぬの血もここで途絶えることになろうとは、な。…だがその前に目に焼き付けておけ! 妖怪に人間が殺される様を! 災いが訪れればこんなことは茶飯事になるということをな!」


 イロハのかすんだ目に、今にも姑獲鳥の餌食になろう志乃の姿が映った。


 ああぁ…くそ…!

 このまま死に切れるか…!

 志乃が殺されちまう…!


 志乃だけでも助ける!!!

 このまま終わってたまるか!!!


 なんと動けずにいたイロハは静かに立ち上がった!


莫迦ばかな! 何故術を受けてなお立ち上がれる?!)


 イロハは横に刺さっていた刀をすばやく抜くと、姑獲鳥目掛けて猛突進した!


(なぜ動ける?! 怒りが妖術に勝り、打ち破ったとでもいうのか?!)


 イロハに圧倒され、思わず志乃を放し急いで舞い上がる。

 ところが片足を何かに引っ張られ思うように飛べない。


「!!!」


 足を見ると鋼の細い縄のようなものが絡まって地上へと伸びていた。その先につくばりながらも錫杖をしっかりと掴んでいる志乃の姿が! 密かに志乃は姑獲鳥に掴まれている間、錫杖に仕込まれた鋼の縄を爪に引っ掛けていたのだ。


小癪こしゃくなっ!」


 振りほどこうにも解けず、そのまま飛ぼうとする姑獲鳥。これに敵わず志乃は引きずられる。だが志乃も錫杖を離さない!


「イロハ──っ!!!」

「っ!!」


 イロハはそのままピンと伸びた鋼の縄の上を駆け上がった。反応できない姑獲鳥はイロハから勢いのついた渾身の蹴りを喰らう。堪らずグラついた瞬間!!


雷電衝らいでんしょう!』


ギェェェェェェェェェェェ──!!!!!


 志乃の放電の術が縄を伝わり姑獲鳥に届く。けたたましい叫びが辺りに響き、宙に浮いた巨体が真っ逆様に地に落ちた。姑獲鳥の弱点は雷だったのだ……。


 止めを刺すべくイロハは落ちた姑獲鳥に近づく。だが辺りに大量の羽毛が散らかり怪鳥の巨体は見当たらない。


「これは…」


 大量の羽毛の中心に囲まれるように妖怪はいた。そこには怪鳥の代わりに白い着物を着た長い髪の人間が倒れていたのだ。


「これは……人間なのか? …そうだ! 志乃は!?」


 慌てて振り返るとボロボロになり片腕を抑えた志乃が立っていた。急いで自分のたすきを解くと、姑獲鳥にやられた志乃の傷口を縛る。


「歩ける?」

「ええ、もう大丈夫。痺れもすぐ解けるわ」


 あらかじめ奥歯に挟んだ気付けの苦薬、本来の使い道は毒消し薬だったのだ。


 イロハに抱えられるように歩く志乃、姑獲鳥に近づきささやく。


「貴女の負けよ。里の子は返してもらうわね」


 姑獲鳥は声に反応し二人の方へ目を向ける。ボロボロになりながらも地に立ち自分を見据える二人が大きく見えた。数百年もの間、妖怪として生きてきた自分を真っ向から否定された気がしたが、それもいっそ清々しく感じられた。


 強い……この子たちなら、きっと……。


「人の子に負けたか……人を呪い人をやめた私に相応しい最後、だな……」

「何か言い残すことはある?」


 姑獲鳥は黙って静かに首を振る。


「その力で……今度は里の人間を守っておやり……」


 そう言うと女は静かに目を閉じた。

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