137.青く優しい季節の終わり


 どうやら丸三日ほど寝ていたらしい。

 病院のベッドで目覚めたわたしは、全部夢だったのではないかと思ったが、病室の鏡に映る金色の左目が現実だと教えてくれた。

 ぼんやりしていると、すぐにすっ飛んできたみどりに押し倒された。

 彼女は泣いていた。遅れてきたアカネに陽菜、北条さんも安心したように笑っていた。

 胸を疼かせる温かさに、わたしもまた涙を流した。悲しいときに誰かがそばにいてくれるということが、こんなにも救われるのかと。


 身体に外傷は無く、極度の疲労が昏睡の原因だったそうだ。

 左目の色が変化していることにはお医者さんたちも首をかしげていたが、特にそれ以外の異常は見つからなかったので、間もなく退院できた。昔から回復は早い方だったのだ。



 そして、また一か月の時が経った。



 振り返ればあっという間だったと感じる。

 最初のうちは心が不安定だったこともあり、陽菜やアカネ、みどりに添い寝してもらうことがたびたびあった。みんなはわたしの気持ちを汲んでくれたようで、何も言わずにそばにいてくれた。毎晩流した涙の跡にも触れないでいてくれた。


 そうして、少しずつ心の傷も癒えてきた。

 だけどやっぱり……カガミさんがいないのは寂しかった。


「…………ふう」


 星が瞬く夜空を見上げ、ひとり寮の屋上に佇む。

 微風が横髪をさらい、少しだけ頬を撫でた。

 ひとりの時間も悪くない。静かで寂しく、ただ時間だけが優しく流れていく。

 

 ぎい、と錆びついた音。

 屋上のドアが開いた音だ。


「神谷」 


「あ、北条さん」


 ジャージに身を包んだ寮長――北条優莉さんは、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 どこか憂いを帯びたその瞳と視線がぶつかる。


「隣いいか」


「いいですよ……って、こんなやり取り前にもしましたね」


「そうだな」


 少しだけ、沈黙が流れる。

 遠くにある校舎のほうを見ると、明かりがついている部屋はひとつもない。

 明るいうちはあれだけ活気にあふれている場所も、夜はとても静かだ。


「カガミさんに会いました」


「……そうか」


 ただ一言だけ零し、北条さんは頷く。

 ずっと言い出せなかった。気持ちの整理がついていないこともあったし、単純に臆していたという理由もある。それに、言葉にしてしまえば本当にその事実が確定してしまう気がしたから。


 しかしこの人には話しておかなければいけない。

 カガミさんの友人であり、ずっとわたしを案じ陰で見守ってくれていた人だから。


 すう、と息を吸い、意を決して口を開く。


「でも、もう会えないんです」


「……………………」


「どう頑張っても、もう二度と」


 きっと北条さんにもわかっているのだろう。

 事情は知らなくとも、わたしの態度や、カガミさんと同じ色になった左目――そんなことから、経緯はわからなくても、大体の結末はなんとなく察しているのだろう。

 

「わたし、ずっとカガミさんに嫌われてるんじゃないかと思ってました。だからわたしは捨てられたんだって。わたしが悪いんだって」


「…………」


 隣の北条さんは何も言わない。わたしの次の言葉を待っている。

 その顔を見ず、わたしは続ける。


「でも違ったんです。カガミさん、わたしが大好きだって。ごめんねって言ってました」


 こらえきれない涙が溢れる。

 流しきったはずなのに、まだ流れるだけの涙があったのか――と、我ながら驚く。


「でも、でもね……! わたしはもっと一緒にいたかった……!」


 それが偽りのない本音だった。

 例え人類を滅ぼそうとした存在であっても、例えわたしにあんな運命を課したとしても。

 わたしの中では、まだ彼女は大切な母親なのだ。何があっても彼女と過ごした幸せな時間は消えないから。


「もしかしたら他の道があったんじゃないかって……もっとわたしが頑張れば助けられたんじゃないかって、もっと、もっと……!」


 こんなことは、みどりたちの前では言えなかった。

 彼女たちにとってのカガミさんは諸悪の根源でしかないだろう。わたしにとってもそういう部分は間違いなくある。

 だからこそ、この感情は北条さんにしか吐き出せなかった。

 以前わたしに『子どもは大人に甘えるもんだ』と言ってくれた彼女だったから、こうして衒いなく涙を流すことができたのだ。


「…………いいんだ」


 ふわり、と柔らかい感触。

 北条さんがわたしを抱きしめている。

 それ以上彼女は何も言わない。それはきっと、北条さんも泣いていたから。口を開けばそれがバレてしまうから。

 それでも、この温もりだけで充分だった。

 わたしたちはきっと同じ悲しみに暮れている。それだけでわたしは満たされた。


 そうしてわたしたちはしばらくの間、涙を共有し続けた。





 また、ある日のこと。

 早朝の河原をジョギングするわたしの隣にはアカネがいた。

 日中寮にいるだけでは何なので、と言うアカネはこうして鍛錬に励んでいるらしい。これ以上強くなって誰を倒すつもりなのだろう。


「……あんたさあ、その目」


「え? これ?」


 目、というのは左目のことだろう。

 黒から金色になってしまったこの瞳は、元に戻ることはなかった。おそらくこれからも無いだろう。


「それ目立つんじゃないの? 学校とかどうしてるのよ」


「ああ……外に出るときはカラコン入れてるけど」


 そう答えると、ふーん、と言って前も見るアカネ。

 左目だけが変色した結果、今のわたしはオッドアイというものになっている。今でも朝、鏡を見た時などぎょっとする時がある。目立つのだ、異様に。


 ともあれ――正直気になっていることがある。

 カガミさんはアカネにとって憎い仇のはずだ。その仇とそっくりなわたしのことを、彼女はどう思っているのだろう。

 アカネは優しいから言わないだけで、内心ストレスを抱えているのかもしれない。そう思うと、居ても立っても居られない。

 ほとぼりが冷めた後、彼女の過去を聞き出した時は、それはもう錯乱したものだ。アカネが抑えてくれて事なきを得たが。

 それでも一抹の後ろめたさは燻り続けていた。


「ねえ、アカネ。アカネってわたしのことどう思う?」


「は? 何よいきなり。告白?」


「ち、違うって。わたしってさ、カガミさんとそっくりなわけでしょ」


「あー……なるほどね」


 それだけでアカネは何が言いたいか理解したらしい。

 頬の汗を拭い、橋の横を走り抜ける。そこかしこの木々から蝉の鳴き声が響き始めた。


「そうね……正直、あいつとあんたを重ねることは無いわ」


「それは、どうして?」


「人間ってね」


 そこで言葉を切ったアカネはおもむろに立ち止まり、こちらを振り返る。

 わたしもそれに合わせて止まる。アカネの真っ赤な瞳が鮮明に見えた。


「顔立ちとかよりも、表情とか、振る舞いとか、あとは喋り方だとか……人の印象ってそういう部分の方が大きいのよ。で、あんたはあいつと全然似てない」


「そうなの?」


「そうよ。ずっとあたしの顔色を窺ってたところなんか、特に似てないわね」


「う…………」


 バレていたらしい。

 でもよく考えれば、聡いアカネが気付かないはずがないか。


「それにしても、これからなにしようかしらね。あいつは消えたし、自分で言うのもアレだけど、憑き物が落ちた気分だわ」


「あ……あのさ、アカネが元いた世界には……」


 例のゲーム機は、中庭に落ちていたところを回収した。

 うんともすんとも言わないので、向こうの世界へはもう行けないだろう。


「……まあ、誰もいないし、いまさら戻ろうとも思わないわよ」


「本当に?」


「ほんとほんと。……っていうかわたしがもし帰っちゃったら、あんた寂しがって泣いちゃうだろうしー?」


「なっ……!」


 失礼だ、と言おうとしたが全くその通り。

 アカネがいなくなったら毎晩枕を濡らすことになるだろう。


「いいのよ、気にしなくて。あたしもここに愛着湧いちゃったし……あたしは好きに生きるつもりだから、あんたも好きに生きなさい」


「アカネ…………」


 そう言ったアカネの表情は晴れやかで――――朝焼けに輝くその笑顔は、見とれるほどに美しかった。





 夜。

 ベッドに寝るわたしの、体温が感じられるほど近くに陽菜がいる。

 今日も添い寝。毎日ではないが、そこそこの頻度でわたしたちはこうしている。


「……沙月、起きてる?」


「ん……」


 薄く唇を開けて答える。

 眠気はあるが、まだ眠りにつくまで時間がかかりそうだ。

 

「……こうして横になってじっとしてると、いろんなことが頭の中でぐるぐるしちゃって……」


「眠れない?」


「うん……」


 これでも誰かと寝るとマシにはなるのだ。

 ひとりだと空が白み始めたころにようやく寝付ける、ということもあった。


「夢を見るんだ。最後の時、カガミさんが消える瞬間を……そのたびに何とかできたんじゃないかって……」


「自分が許せないんだね」


「わかってるんだ、どうしようもなかったってことは。でも……」


 力が足りなかったとは思わない。 

 手も尽くした。

 だったら、結果を受け入れなればいけない。

 それはわかっている。わかってはいるのだ。


「……私は、ほんとはあのまま沙月の中に溶けて消えるだけのはずだった。でも今はここにいる。こうして生きてる。それは、沙月たちが頑張ったおかげなんだよ」


「うん」


 アカネが繋ぎ、みどりが手を伸ばし、わたしが踏み出した。

 その結果、陽菜はここにいる。

 鼓動が聞こえるような距離で、隣に居てくれる。

 それが確かなことだ。


「今度こそずっと一緒にいるからね。何があっても、絶対に」


「ありがと、陽菜……」


 起きたことは覆せない。

 でもその結果、陽菜はここにいる。

 それだけで自分を許せるような、そんな気がした。






 またある日。

 わたしは自室でみどりと一緒にいた。

 ふたりで適当にゲームして遊んで、落ち着いたその後のことである。


「みどり」


「なんですか?」


「いろいろ巻き込んでごめんね」


 みどりだけが、今回のことと完全に無関係だった。

 彼女は偶然巻き込まれただけなのだ。

 あの日の夕方、わたしの部屋に踏み入ったことで運命が変わってしまった。


「いいですよ、そんなの」


「でも……結局なんにもならなかった。願いはちゃんと叶わなかったし……」


「私はそうは思いませんよ」


 ベッドにもたれかかるみどりは目を閉じる。

 まるで思い出を反芻するかのように。


「沙月さんと出会って、好きになって……肩を並べて戦って。アカネちゃんや光空さんとも仲良くなれて。辛いこともあったけど、わたしは楽しかったです」


 その出会いは徹頭徹尾偶然で。

 だからこそそれが愛しいのだと、みどりは言う。

 

「わたしも同じだよ。振り返ってみれば、だけど……すごく楽しかった」 


「沙月さんに出会えて本当によかった。私はいま幸せだって、胸を張って言えます」


 その瞳はきらきらと輝いていた。

 綺麗だな、と思う。みどりはわたしのことをずっと綺麗だと言ってくれるけれど、みどりのほうがずっとずっと綺麗だ。


 ふと部屋の窓に目をやると、月が見えた。

 まだ新しい胸の傷が少しだけ疼く。でも――痛くは無い。わたしはたぶんもう大丈夫だ。

 あの人はきっと、自分のことは忘れて……なんて思っているのだろう。


 でも忘れてやらない。

 絶対に忘れてなんてやらない。

 そんな赦しを、わたしは与えない。

 あんなことまでしておいて、消えて終わりなんて許さない。

 

 死ぬまで――死んでも忘れない。

 この身に刻まれたあなたの痕跡が、いつだって思い出させてくれるから。

 わたしの記憶に生き続ける。それが、わたしからあなたへ贈る罰だ。

 

「…………神谷さん?」


 少しだけ物思いにふけっていると、みどりが顔を覗き込んでいた。

 不思議そうなその顔を見ていると、なんだか少しだけいたずら心がわいた。


「あの、なんで黙って……」 


 しばし見つめる。

 長いまつ毛に、エメラルドグリーンの瞳。長い灰色の髪がさらさらと揺れる。

 

 ゆっくりだと気付かれるから、不意打ちで。

 ちょっと緊張しちゃうな。


 きょとんとしている、少しだけ開いた唇を見る。

 狙いを定めて、よいしょ。


 むに、という柔らかい感触。

 唇に唇を押し付ける。


「……………………?」


 1秒。


「……………………!?」


 2秒。


「…………!? ……………………!!!!????」


 3秒。ぷはあ。


「なっ、なぬななな――なぬなにを!?」


「うわー、お腹がなんかふわふわする」


 耳が熱い。顔も熱い。

 あんな柔らかいのか。どこまで沈むのかと思った。


「さ、沙月さん、なにを」


「あは、キスしちゃったー」 


「そんなあっさり!」 


 みどりも茹でダコみたいになっている。

 わたしより赤いかも。鏡取ってこようかな。


「したいなって思ったからした。ダメだった?」


「だ、めじゃないですけど……もう……ふふ」


 怒ったような顔はすぐに緩んで笑顔になる。

 わたしも同じように笑っている。

 みどりが喜んでくれるなら、それ以上のことはない。


「本当にもう……沙月さんって感じです」


「こんなわたしだけど、これからもよろしくね」


「ええ。私はずっとあなたの隣にいます」


 



 長いようで短いゲームはやっとエンディングにたどり着いた。

 多くの傷と、もっと多くの幸福をわたしに残して。


 きっとわたしは忘れない。

 いつまでだって思い出す。


 あっという間に駆け抜けた、苦くもあたたかい季節。

 この数か月に名前を付けるなら、あえてわたしは青春と呼ぶ。


 ただわたしのためだけに始めたゲーム――わたしの青春は、こうして終わった。

 



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ガールズ・ゲーム 草鳥 @k637742

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