33.misery
何があったか――それを話す前にまず、私の事情を知っておいてもらう必要があります。
寮の屋上を囲む鉄柵にもたれかかる神谷に、神妙な様子で園田は言った。
「事情? 事情って……」
「家庭の、です。……あまり気分のいい話ではないと思いますが、本当にいいんですか」
「いいよ。なんだって受け止めるから」
「……ふふ、じゃあ最後まで付き合ってもらいますからね。では」
そうして園田は語り始めた。
自分がどう育ってきたのかを。
彼女の家庭で何が起きていたのかを。
園田みどりという少女が父親から受けていた『教育』を。
話が進むにつれどんどん顔色が悪くなっていく神谷に対して、園田は何でもないような顔をしていた。
「……っ……園田、さん……それって、それってさ」
「虐待ですよね」
あっけらかんと。
神谷が言い淀んだその言葉をあっさりと口に出す。
被虐待児に対して一番最初にすることは、自分が虐待をされているという自覚を持たせることだという。自分が被害者であることを認識していないと助けられないから、という理由があるそうだ。しかしそれはきわめて難しいことだ。
子が親に愛されていないということを自覚するのは限りなく残酷で――救いがない。
しかし、園田はその認識を既に自力で獲得していた。
それはどんなに苦しいことだったろうか。
「そ――そんなあっさり……! なんでそんなに平気そうなの!? だってこんなのあまりにもひどい……!」
神谷にとって家族とは幸せの象徴だ。
血のつながった肉親は一人もおらず、たった一人の女性――カガミだけが親代わりで、家族だった。
それでも彼女は神谷を踏みにじるようなことはしなかったし、立ちふさがることもなかった。
なに不自由もなく、未来への不安もなく、神谷のそばに立って導いてくれていた。
だから園田のこれまでの人生で受けた扱いを、神谷は想像することしかできない。
もし親という、子どもにとって神にも等しい存在が自分の敵だったら。
カガミがそんな存在だったら。
そう思うだけで、心臓が万力で締め上げられたかのように痛みを訴える。
「……そうですね。確かに辛かったです。今も思い出すだけで身体は竦むし手は震えます」
よいしょ、と園田は地べたにハンカチを敷いて座り込み、神谷に向かって手を差し出した。
その両手は隠しきれないほどに震えていて、今もまだ、見えない傷を感じさせた。
しかし園田はそれを押し隠すでもこらえるでもなく。
「なぜでしょうね。苦しいはずなのに、辛いはずなのに、今この瞬間はびっくりするほど平気なんです。たぶん、今は神谷さんがそばにいてくれて、こうやって話を聞いてくれているからなんだと思います」
「……そっか。じゃあわたしはずっとそばにいるよ。だから聞かせて。続きがあるんでしょ?」
覚悟を決めて園田を見つめる。
園田もまた、神谷に向けて頷いた。
もう後戻りはできない……いや、しない。
一蓮托生と決めたからには手を取り合って前に進むだけだ。
「実家から寮に電話がかかって来たんです。電話の主は父でした」
「それは――あの、園田さんが部屋から出てこなかった日の……」
「ええ、その前の晩です。要件は、」
ごくり、と息を飲んだのは、園田と神谷のどちらだっただろうか。
「……寮を出て家に帰ってこないか、ということでした」
「――――――」
は、と息が漏れた。
そのまましばらく何も言えなくなる。
帰ってこないか?
今さら?
なんだそれは。
「……園田さん」
「考えを改めた、そうです。自分が間違っていたと。だからもう一度やり直させてくれ……あの人はそう言いました」
「ダメだよ!」
悲鳴にも似た声を上げる神谷の、皮膚が白くなってしまうほどに固く握りしめた拳を見て、園田は苦笑する。
「……わかってます。この期に及んであの人への評価が覆ることはありません。ただ……あの家にはお母さんを残して来ているんです」
「あ……」
この学校に来ることを決める際、庇ってくれたという母親を、父親の元に置いて来てしまったのだ、とは先ほど園田は言っていた。
「だからついさっきまでずっと迷っていたんです。母のために戻るか、それともこの寮に残るか」
おもむろに園田は立ち上がり、天を仰ぐ。
見上げる瞳には輝く星々が映されきらきらと輝いていた。そこに迷いは無いように見えた。
「でももう決めました! 私はこの寮に残ります。神谷さんと話してやっと心が決まりました。それにお母さんは『したいことをしなさい』と言ってくれました。だからやりたいようにします! 誰も私を邪魔できないのです! ……こんな感じでどうでしょうか」
空へ語り掛けるように、世界に向かって宣言するかのように話していたが、最後には照れ笑いを神谷に向けた。
あは、と笑う神谷。素直にすごいなと思った。
そこまで自己を肯定できること、それもあんなに気弱だった子が。恐ろしい肉親にただ耐え続けていた子が――いや、ただ耐えることができたというのも、園田の強さか。その形成に少しでも関われたような気がして、少し嬉しかった。なにより、こんな状況であろうとも笑顔を見せられる友人の強さが嬉しかった。
「――――じゃあちゃんと言わなきゃね、自分の気持ちを。わたしはずっとそばにいるよ」
心を決めた少女たちの、対峙のときは近い。
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