19.いつのまに輝く君はいなくなる

 


 園田みどりという少女の話をしましょう。



 ええ、私のことです。今からするのはただの自分語りです。

 現実逃避と言ってもいいかもしれません。

 誰に向けたものでもありません。強いて言うなら自分へ向けたものでしょうか?

 お前はこんなにも愚かで罪深いんだぞと、自分自身へ言い聞かせるためのものなんだと思います。

 さて、それでは――――自傷行為を始めましょう。




 私は、それなりに……いえ、かなり裕福な家に産まれました。

 幼少のころは自覚していませんでしたが、今になってみると……そうですね、私は世間一般で言うところのお嬢様、と言う存在なのかもしれません。


 きょうだいはいません。一人っ子です。本当は私の前に何人も兄が産まれる予定だったらしいのですが――父いわく、『失敗した』そうです。

 あまりにもひどい言い草ですが、あの頃の私は父のいうことなのだからそうなのだろう、と無邪気に受け取っていました。

 この話を母が聞くと、これ以上ないというくらいに悲しそうな顔をします。命でも断ってしまいそうなくらいに。

 だから私はこのことについて考えるのをやめました。


 母はとても優しかったです。

 こっそりお洋服を買ってくれました。

 こっそりお菓子を食べさせてくれました。

 こっそり旅行にも連れて行ってくれました。

 それだけのことをしてくれました。

 なんて理想的な母親なんでしょう。

 

 反対に、父はとても厳格で、かつ高圧的でした。

 『万能になれ』が口癖の人でした。

 父は色んな事を私に強制しました。

 勉強を。スポーツを。習い事を。

 幼い私にとって、身に余るレベルで要求しました。

 私がいくら嫌だと言って泣き叫んでも聞き入れてはくれませんでした。

 頑張っても頑張っても、少しも認められることはありませんでした。それどころか頑張るほどに父の『教育』は苛烈になったように思います。


 言葉づかいも矯正されました。丁寧な口調でないと怒鳴り散らされました。

 親に逆らうんじゃない、と。

 親に向かってなんだその口のきき方は、と。

 怒った父に服の下の見えない部分を殴られることもありました。

 よく、ありました。


 そんな時、いつも母は不干渉でした。

 なぜ助けてくれないの、お母さんはわたしの事が嫌いなの、と思うこともありました。

 しかし、私以上に痣だらけの身体を見ると、何も言えませんでした。

 それでも私たちはじっと耐えました。父が私たちの生活を支えていたからです。


 父は口癖のように私に言いました。

 『学校はどうだ』『恥を晒していないだろうな』『輪から外されるなんてもってのほかだぞ』――等々。

 意に添わなければどうなるかわかっているだろうな、という意思表示でした。いっそ脅迫とすら言えるかもしれません。

 殴られるのは嫌でした。成人男性の拳は痛いですからね、とても。


 だから私は考えました。

 小学校に入学したとき、小さな頭で必死に考えました。

 どうすればみんなの輪に入れるか。


 導き出した答えは――クラスで最もカーストが高い子に取り入る、ということでした。

 学校の教室というのは、子どもにとっては一つの社会であり、世界です。

 明るい子。面白い子。足の速い子。かわいい子。

 そんな人間に気に入られるというのは、かなりの影響力がありました。

 逆に、そういった子たちがもっと強い影響を持つようにこっそり働きかけることすらありました。


 常日頃から家庭という社会の頂点に立つ人間――父に媚びへつらっていた私には、簡単なことでした。そうしなければ叱られますからね(いえ、本当はそうしていても叱られますし殴られますが)。

 すり寄る。甘える。おだてる。媚びる。そんなことで簡単に彼ら彼女らは篭絡されました。

 六歳にしてそんなスキルを身に着けていたのだから、なかなかすごいものでしょう。家庭環境が。


 虎の威を借る狐という言葉がありますね? 父の『教育』によってその意味をすでに知っていた私はそれを実現したのです。私もなかなかに優秀ですね。

 ちなみにこれは皮肉です。

 

 そんなことを小学校の六年間と中学校の三年間続けました。

 だから私はいつも人に囲まれ、なに不自由ない学校生活を送ることができました。

 父に叱られないための偽りの関係とは言え、とても安らぎました。

 自分に好意的な人に囲まれていると安心します。

 壁に守られているみたいで。

 

 しかし家に帰れば父がいます。

 怒鳴り、がなり、時折暴力を振るう、そんな恐怖の対象です。

 いえ、ただの暴力で済んだのは幸いだったかもしれません。もし、父が私のからだを――いえ、考えるだけで吐き気がするのでやめておきましょう。どちらにしても辛いものは辛いのです。

 そんな日が何年も続き、私の心はどんどんすり減っていきました。

 はっきり言ってもう限界でした。


 だから、中学三年生の時、私は父に頼み込みました。

 正座し、床に手をつき、こうべを垂れ、額を床にこすりつけ。

 土下座で頼み込みました。


「高校では、寮に入れてください」


 どうかお願いします。


 そう懇願しました。子どもである私がこの地獄から逃れるにはそれしかないと当時は思ったのです。

 もちろん反対されました。

 しかし、母が父を説得してくれたのです。

 泣きながら、殴られても縋りついてまで。

 その様子に折れたのか、父は私の頼みを受け入れてくれました。


「今まで守ってあげられなくてごめんね」


 お母さんは深々と私に頭を下げました。

 私はどうしたらいいのかわからずうろたえていると、


「この学校にいけば、あなたは自由になれる。何をしたっていいの。今までできなかった分、目いっぱいしたいことをしなさい」


 ああ、と。

 今まで自分がどんな状況に置かれていたのかをその時やっと理解して、私は泣きじゃくりました。

 置いていくことになってしまってごめんなさいと、何度も何度も謝りました。

 母は私が泣き疲れて眠ってしまうまで、そばにいてくれました。



 

 そうして私は晴れて今の学校に入学しました。

 もう他人に取り入る必要はありません。

 これからやり直しましょう、と当時の私は意気込んだものです。


 この場所でで私は対等な友人を作って見せる。

 喜びと悲しみを分かち合い、困ったことがあれば助け合い、後ろ暗いことは何もなく、利害など関係なく共にいる。

 そんな、幾度となく夢に描いた親友と呼べる関係を、私は築いて見せる。


 ですがそれは叶いませんでした。

 ずっと取り入ることばかり考えてきた私には、他にどう人と関わればいいのかわからなかったのです。

 一か月が経っても、二か月三か月と時を重ねても、私の周りには誰一人いませんでした。

 当たり前ですよね、ずっと俯いて、他の人に話しかけようとするたびに喉が詰まって声が出てこない。

 暗いですよ、はっきり言って。そんな人と仲良くなりたがる人はそうそういません。

 気が付けば私は二年生に進級していました。

 

 愕然としました。

 だって、高校生にもなって友達の一人も作れないような子、いますか? 

 いないと信じたかったです。結局私は一人のままでした。


 そして――ここからが本題です。

 

 二年生になってすぐのことでした。

 すでに友達を作ることを諦めかけていた私がとぼとぼと寮に帰ってきた時です。

 

 「う、わわ!」


 私のとは少し離れた部屋から可愛らしい声が聞こえました。驚いてそちらを見ると、ドアの隙間から眩しい光が漏れています。

 そこの部屋は、確か同じクラスの神谷沙月かみやさつきさんの部屋だと記憶していました。

 何故覚えていたかというと、寮の人たちと仲良くなるチャンスをずっと窺っていたからです。


 しかし叫び声とは珍しい。

 私はそう思いました。

 神谷さんといえば、はっきり言って私と同じくらい内向的と言える子です。

 常に黒々としたオーラを纏っていると錯覚するほどでしたし、瞳にも生気がありませんでした。


 あと、小さくてとっても可愛いです。

 とっても可愛らしいです。

 大事なことですよ。


 そんな人が叫び声を上げるなんて。これはなにかあると、心配三割好奇心五割、これをきっかけに仲良くなれるかもという下心を二割含ませて、扉を開きました。

 すると部屋を覆い尽くさんばかりの光に私は包まれ、そこで一度私の意識は途切れます。



 次に気が付くと、驚くべきことに私は夜の学校、その校庭にいて、しかも目の前には神谷さんがいました。

 おかしな状況に混乱してしまいましたが、これで仲良くなれるかも――そんな浅ましい考えもありました。

 ですがその時、『あれ』が現れました。そう、あの岩の巨人です。

 震え上がって腰が抜けました。そうしたら、私の代わりに神谷さんが傷ついていました。

 それを見た私の考えたことはこうです。

 

 どうしよう。

 神谷さんが死んでしまう。

 そうしたらもう友達になってくれない。


 そんな自分本意の考えを持っていました。

 だから、岩の巨人に殺されそうになっている神谷さんをなんとか助けようとしたのです。

 なんて、なんて――愚かなのでしょうか、私は。


 その後、恐怖で気絶してしまった私が次に目を覚ました時、校舎のそばに横たわっていました。

 ええ、そうです。あの時私はすぐに目覚めていたのです。


 そして、その時。

 くらくらする頭を起こした私の耳に飛び込んで来たのは、激しい衝突音でした。

 何が起こっているのか……ライブハウスでもここまでの大音量は出ないだろう(行ったことなんてありませんが)というその音にふらふらと、まるで誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のように私は歩いていきました。


 そこで私は見ました。

 岩の巨人と、神谷さんが戦っている。

 あたりに爆風をまき散らし、凄まじい勢いで拳をぶつけあっている。


 心臓の鼓動が全身を震わせました。

 体中に熱が周り、激しく燃え上がっているようでした。

 

 戦う神谷さんのその姿。

 血飛沫をまき散らし。

 自らの身体を顧みず。

 それでも倒れず戦っている。


 そんな、まばゆいほどに光り輝く姿に――私は、どうしようもなく魅了されてしまいました。

 目も心も奪われてしまいました。

 なんて強い人なんだろう、と。

 そう思いました。


 その瞬間、あれだけ求めていた対等な親友なんて、もうどうだってよくなりました。

 この人の近くにいたい。

 そばで彼女を見ていたい。

 そんな考えが私を満たしました。


 ――――後から思えば。

 私がここまで心惹かれてしまったのは、家庭内における『強い人』としての父にずっと恐怖していたからかもしれません。恐怖していたからこそ、強さに惹かれた。強さがあれば、どんな『強い』恐怖も打ち破れる。そう考えたからかもしれません。


 だから私は、彼女を付け回しました。

 彼女をずっと見ていました。

 他のことなんてどうだっていい。

 彼女を想うだけの生き物に成り果てました。


 だからあの時。

 【TESTAMENT】――願いを叶えるゲームを手伝う、という提案を断られて。

 部屋を出てすぐ、ドアに貼りつきました。

 すると、またあの光が部屋を満たしたではありませんか!

 また彼女の戦う姿が見られるかもしれない。

 歓喜に打ち震えた私は、彼女が『入った』のを見計らって、後を追いました。

 気が付けばそこは鋼の森。

 必死に、這うようにして彼女を探して、探して探して――そして今。




「あ、あ」


 森の奥から伸びてきた触手が、神谷さんの身体を貫きました。

 引き抜かれると、溢れた赤い液体がぼたぼたとアスファルトに落ちます。

 触手に貫かれ持ち上げられていた神谷さんが支えを失い、糸が切れたように倒れ込むのが見え、その身体はあっという間にできた赤い水たまりに沈みました。

 神谷さんはぐったりとして、気を失っているようです。


 気を失ってるだけ? 

 本当に? 

 それだけで済むでしょうか?


 いえ、考えたくありません。


 触手は鞭のようにしなり付着した血を払うと、神谷さんの身体に巻き付き、持ち上げます。

 そのまま森の奥へと、ゆっくりとした速度で彼女を攫っていきました。

 

 それを私は。

 ただ座り込んだまま見ていました。


 見ています。

 見ています。

 見ています。

 見て――――――――


「あ――――あ、あ、あ。ああああああああああああッ!!」


 逃げだしました。一目散に。

 助けなければ。

 助けるべきだ。

 そんな考えが思い浮かぶたびに、恐怖という名の利己意思によって握りつぶされます。



 これが私の罪です。

 そんなつもりはなかった、では済まされません。

 わたしがあの時現れなければ。

 彼女は私に意識を向けることも無かったはず。 

 そうしたら、きっとこうはならなかった。

 危険だと何度も言われていたのに。

 全く聞き入れていなかったのです、私という人間は。

 取り返しがつかなくなってからでなければ、危ないということを理解できなかった。

 


 賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶそうです。

 では、己の失敗からしか学べない私は一体何者なのでしょうね。

 


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