10.ガールズ・デイズ
するべき話をし終わった神谷と園田の二人は、会話に集中しすぎて手を付けるのを忘れていた昼食を慌てて片づけ始める。
園田はコンビニで買ってきたものと思われるサンドイッチ。レジ袋のロゴから見るに学校近くのものだろう。立地からこの学校の生徒はよく利用しているし、それは神谷も例外ではない。
神谷の昼食は自作の弁当だ。小さめの弁当箱には色とりどりの料理が詰められている。今までの神谷はおおむね園田と同じようにコンビニで適当に買って済ませることが多かったが、最近は早起きして作るようにしていた。
(それもこれも光空と和解? したから……って、恋人できて浮かれてる奴みたいでなんかやだな)
失笑してしまうような考えを噛み潰すように、ミニハンバーグを口に運び、もぐもぐと咀嚼する。
でも少し前向きになれてると考えたら、悪いことではないのかも……神谷はそんな風に思い直す。少し前までの自分よりはよっぽどマシだ。
「神谷さんのお弁当、自分で作ってるんですよね? 朝の食堂でちらっと見ましたけど」
「うん、食べてみる? そこそこおいしいと思うよ」
ふいに投げかけられた問いに、ほい、と箸で卵焼きを一切れつまみ、園田の口に近づける。
園田はぱちぱちと目を瞬かせたあと、すごい勢いで目を泳がせ始めた。
「えっえっ、ダイレクトですか……?」
「園田さんサンドイッチだけでお箸とかないし、どうしても指汚しちゃうでしょ。だからほらあーん」
ずずい、とさらに近づけられる卵焼きに、園田は観念したようで目を白黒させながらおずおずと口を開く。
「あ、あーん……」
木漏れ日を受けて輝く灰色の横髪を手で撫でつけながら、もぐ、と卵焼きを口の中に入れた園田はしばらく咀嚼する。すると目を見開き、片手で口を上品に隠しながら、
「おいしい、です……」
「あは、でしょ? 今日はいつもよりうまくできたんだあ」
にこにこと嬉しそうに弁当のおかずをひょいひょいと小さな口に放り込む。カガミにはまだまだ及ばないと自分では思うが、それでも美味しい、と神谷は思う。
食事は日常を象徴するもののひとつだ。神谷はそう考えている。だって人間は食べなければ死んでしまうから。それを今までの神谷はただの作業のように済ませていた。
だが今は違う。どうせ欠かせないのなら、きっと美味しいほうがいい。
「うちの寮の人たち、あんまり自分では料理しませんよね? 神谷さんはちょくちょくしてるのを見ますけど」
「うん、実際めんどくさいと言えばめんどくさいし……みんな部活やってるみたいだからどうしてもね」
唐突な園田の質問に苦笑しながら答える。
神谷たちが生活している寮は食事が各自に任されている。外で食べるか、買って食べるか、食堂のキッチンで作って食べるか、が主だ。食材は交代で買い出しをする、ということになっている……というのは建前で、寮生のほとんどは部活に入っているので疲れや多忙を理由に自炊することはほとんどなかった。
結果、キッチンを使うのはほぼ神谷一人となり、買い出しもおおむね神谷がするという空気が出来上がっていた(光空はよく手伝ってくれるが)。だがとくに神谷はそれに不満は感じていない。
ほぼ自分だけしか使わない食材を他の人に買ってきてもらうのは気が引けるし、なにより好きに台所を管理できるというのはそれはそれで楽だった。
「園田さんは料理しないの?」
「私、お湯を沸かして入れるくらいしかできないんですよ。中学で調理実習があったはずなんですけどね……」
「ああ……」
調理実習は何人かの班に分かれるのが基本だ。だから性質上分担して取り掛かることになる。それによって協調性を高めたり親睦を深めるという効果が望めるのだが、裏を返せば個々の調理はできても全体の流れを身に着けることが難しいということにもなる。
「じゃあ今度一緒にやる? ある程度なら教えられると思う」
「いいんですか!? そろそろ私も料理覚えようと思ってたところなんです!」
喜ぶ園田を見ながら、神谷は考えにふける。
――――こうして少しずつでも誰かと関わっていけば、前みたいな、陽菜が憧れてくれたわたしに戻れるかな。
神谷は今、ひとつの願いを抱いていた。
それは光空に誇れるような自分になること。
それはつまり、以前の自分への回帰だ。神谷は以前の自分を、カガミさんが失踪する原因を作った張本人と考え憎んでいた。だが今は、光空が認めてくれたことで少し認識が変わってきていた。少しずつだが自分でも認められるようになっていた。
だから、リハビリというほどのことではないが、周囲と関わっていくことで以前の『さーちゃん』――光空がそう呼んでくれていたころの自分になれるのではないかと考えた。
「どうかしましたか?」
「……あは、なんでもないよ」
神谷をのぞき込む園田にそう笑いかけ、それを見た園田もまた笑う。
今はまだ遠くても、一歩ずつ。神谷沙月は歩き始める。
そんな二人を校舎の窓から見下ろす少女がいた。両の瞳には困惑の色が浮かんでいる。
立ち止まったその少女の肩が叩かれる。
「ちょっと、なにぼーっとしてんの。もうすぐ昼休み終わるよ」
クラスメイトにそう声を掛けられた少女は、今しがたまで自分が停止していたという事実を今更ながらに自覚した。驚きつつも、口角を上げ笑顔を作る。
「……あ、うん。ごめん。早く戻ろっか」
しっかりしてよ、食べたら眠くなるのはわかるけど、というクラスメイトの言葉を聞き流しながら歩き出す。
(眠いわけじゃないんだけどな)
何かさっきから胸のあたりに何かが溜まっているように感じる。
苦くも懐かしい感覚。
自分はそれを良く知っていたはずなのに、その名前がどうしても思い出せない。思い出すことを無意識に拒否しているようにも思えた。
頭の中では『あの二人、いつ仲良くなったんだろう』――そんな問いがぐるぐると頭の中を巡る。
ぶんぶんと頭を振ってその考えを追い出す。
(この感情は……忘れたほうがいいような気がする)
『それ』を振り切るように、少女は大股で歩き出す。
ポニーテールを揺らして。
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