第2話

まぐれかそれとも効能か。




 内定通知を得た俺は意気揚々と大学へ向かった。


「ええ?マジ?お前内定貰ったの!?」

「おう。マジマジ」


 同じ就活学生だった友人に、内定通知を報告するとそいつは大げさに手を叩いて喜んだ。


「おめでとう塩江!正直俺より先に内定貰うなんてありえねえって思ってたけど、良かったな!」

「素直に喜びづれえ! ま、ありがとな。柴田も頑張れよ」


 柴田が今後の説明会の予定を確認している隣で俺は有頂天だ。もし入った会社がブラックだろうが何だろうが、一応これで俺は職歴を持つことが出来る。一度職に就いてれば転職する時だって他の職歴真っ白な奴等より有利に立てるだろう。


「けどさー、今まで全敗だったのになんで急に内定になったんだ?何を変えたわけ?」


 柴田の言葉に有頂天状態が止まる。あの面接で変えたことも工夫したことも無かった。むしろ諦めが前面に出た面接態度だっただろう。面接官だって俺に興味はなさそうだった。

 それなのになぜ内定を得たのか――


「なー頼むよ、俺も内定欲しいんだって!なんかコツがあるならさ、俺にも教えてくれよ!」


 今までの説明会と違うのは、一つ。そう、たった一つだけなんだ。


「……酒飲んだ」

「え?飲酒面接?」

「違う!……説明会の後に、電車で乗り過ごして知らねえ駅で降りたんだよ。んで、その町で小さい飲み屋見つけて、変な名前の酒飲んだ」


 飲んだ人間の一番の願いを叶えてくれるという、幻の薬酒。


「なんだそりゃ。そんな便利な酒あるなら俺も飲みてえよ」

「信じてないだろお前」

「当たり前だろっ。そんな話誰が信じるか!お前人のことおちょくってんの?」

「マジだって! 駅近っていう名前の駅に着いて、そこから国道に沿って……」


 俺が歩いた国道の名前は何だった?


「駅近なんて駅、この辺りの線には無くねえか? お前が乗ったのっていつもと同じ線だろ?」

「……柴田、お前『国道㊧』っていう名前の道知ってる? 右左の左を丸で囲んだ記号なんだけど」

「はあ!?」


 柴田がいよいよ苛立った声を上げる。本当に俺がからかってると思ったんだろう。けれど俺は本気だ。


「㊧とか馬鹿げた名前の国道あるわけないだろ。え?何お前ほんとに大丈夫かよ。内定貰った衝撃でおかしくなった?」

「そう…だよな。……あるわけないよな」


 柴田がスマートフォンでわざわざ『国道㊧』を検索して見せてくる。検索画面には該当する地図の表示などなく、辛うじて検索に引っかかった「国道」についての説明があるだけだ。

 ……あの日、俺が見たのは一体……。


「塩江?顔色悪いぞ?」

「柴田、確かに俺、頭おかしかったかも知れねえわ」

「え?」


 とりあえず自分の頭の記憶を整理する為にも、全てを柴田に話した。

 『駅近』という無人駅に着いたこと。タクシーを拾うため町を歩いたこと。『国道㊧』という道のこと。誰一人いなかったこと。飲み屋のこと。『馬鹿の飲み薬』のこと。爺さんが言ったその伝説も全部。

 真剣に話す俺の隣で、柴田は頭を掻いたりあくびをしたりしてあからさまに真面目に聞いていない。ただ途中で俺の話を遮ったり、否定したりしなかったのはありがたかった。


「いやあ…お前それ、夢見ただけじゃね?」


 俺が話すことを全部話し終えて黙るとすかさず柴田が言う。どうやら話のかなり序盤から、そう確信していたらしい。


「なんかやけにリアルな夢みたりするじゃん。そういうのっていつまでも覚えてるもんだし、お前のもそれだろ」

「夢…うん、夢だったのかもしんねえな」

「知れないじゃなくて、夢で確定だって。だいたい道に迷ったのにどうやって帰ったんだよ」

「爺さんが、店出てすぐの交差点を左に曲がったら駅があるつって、行ったらほんとにあって、ちょうど電車が来たから、それに乗って、」

「ねえよ!」


 ついに話が遮られた。柴田の我慢もここらが限界だったみたいだ。実際、俺も言いながらなんて現実味のない話だろうと思った。存在しない駅と国道、怪しすぎる爺さん、酒。ご都合主義の電車……確かに無い。


「……就活疲れが出たんだな」

「そうそう、そういうことだよ」


 自分の主張が受け入れられたことに気を良くした柴田が背中を叩いてくる。痛いけど最後まで話を聞いてくれたのでやり返しはしない。

 夢ということで決着した『馬鹿の飲み薬』。ということは内定貰ったのは俺の実力で、爺さんの言ってた『副作用』もないってことだ。


「んだよ、結構ビビってたのによ」

「つーかな、夢ン中とはいえお前、その賭けはねえだろ」

「へ?なんで?」

「だって一得する代わりに三損するっておかしいと思わなかったわけ?」

「あ、」


 今更損得の割合に気付いた俺の顔を見て、柴田は盛大に溜め息をつく。


「お前の内定はまぐれだな。確信した」


 小突きながら歩く廊下。すぐ間近まで『副作用』が来ていることを、俺は知らなかった。





「あいつの方が気持ちよかったんだよね」


ありきたりにも程がある言葉で終わったのは五日前のことだ。二年半付き合った彼女に呼び出されたと思ったらこの言葉。呆然とした俺の口からは特に大した言葉も出ず、ただ頷いて全てが終わった。一度の頷きだけで終わってしまうような仲だったのか、俺たちは。

 大学卒業を二ヵ月後に控え、就職の準備や追い出しコンパに忙しい今、あいつとの時間を十分とってなかったといえばそうだ。でも、会ってなかった時間なんて今までも沢山あったし、あいつの都合でデートをドタキャンされたりセックスを途中で止めたこともあった。その時俺は別れようなんて一言も言わなかったのに、


「女ってのはどうしてこうもわがままなんだろうな」

「そういう頭の作りだからじゃね?」


チェーンの居酒屋で酒を飲みながら柴田に愚痴る。別れた時は「女に縋らない俺カッコイイ」みたいな変な優越感があったが一人になってしばらく経つとそんな優越感も消え失せ、腹立つやら空しいやらで落ち込む羽目になった。こういう時は美味いつまみと酒で解消するに限る、ということでまだ内定を取っていない柴田を無理矢理引っ張って安い居酒屋に転がり込んだ。


「まあ女なんて星の数ほどいるって言うし?俺ならすぐ新しい彼女できると思うけどさあ、でもなんかムカつくよなー、お前は何様だっていうか……」

「星に手は届かねえよ。塩江、相当酔ってんな。もう飲むのやめたら?二日酔いになるぞ」 

 

 呆れ顔の柴田に酒を取り上げられ、仕方なく飲むのをやめて居酒屋を出ることにした。

 千鳥足になりながらエレベーターを降り冷たい夜風を浴びる。一月の風は肌を突き刺すように鋭く、酒でふやけた脳みそが凍る気がした。判断能力の無い俺が自分の乗ってきたバイクでアパートまで帰ろうとするのを、柴田が止めてくれる。飲酒運転でせっかくの内定がパーなんていい笑い者になるぞ、とからかう口調だがそれはさすがに笑えない。

 帰りは始発で帰ることにして、それまでは俺一人近くにあるネカフェで時間を潰すことにした(柴田は歩いて帰るそうだ)。ネカフェに足を向けた直後、いつもは腰にぶら下がっている鍵の存在が無いことに気付いた。慌てて確認するとアパートの鍵はついているがバイクの鍵が無い。酔いが一気に醒めた。

 居酒屋の隣の駐輪場に戻って愕然とする。数時間前ここに止めた俺の愛車が、姿を消していた。愛車は決して良い物でもなかったし、中古だ。それでも必死にバイトして買った物だったから愛着があった。そのバイクが、無い。


 最寄の交番に盗難届けを出す。見つかるように努力はするがあまり期待しないで欲しいと警察の人間に言われた。すっかり傷心した俺はやる気の無い警察の態度に食ってかかるほどの気力も残っておらず、なげやりに説明を聞くだけだった。「就職が決まってるんだから給料でもっといいやつ買えよ」と柴田から励ましのメールが来ていた。嫌味に見えなくも無いけど、励ましだと思うことにした。

 ……最近良くないことが続いてる気がする。そう思って溜め息をついた時だ。あの酒のことを思い出したのは。


――願いを一つ叶える代わりに、不幸が三つ訪れるとか……


 夢の中の爺さんは笑ってそう言った。とっくに忘れていた夢だったのに、今になって突然、記憶の砂漠から磁石で掘り起こされるように鮮やかに蘇った。唾を飲む。まさかそんなはず無いだろう。緩く頭を振ってネカフェへ足を向けた。

 仮にあの爺さんや酒が夢ではなくて現実だったとして、伝説も本当だったとして、だからどうした。俺は一番望んでいた内定を貰えた。その代わりに彼女にふられてバイクが盗まれてこの後もう一つ不幸が訪れたとしても、そんなのは金と時間でいくらでも取り戻せる物だろう。柴田の言ったとおりバイクだってもっといいものを買えばいいだけの話だ。

 こんなの、不幸のうちに入らない。



 結局バイクは見つからなかった。見つからなかったのは不幸だが、その後は特に大きな不幸もなくせいぜい靴の紐が切れたくらいだった。

 俺がまたあの酒のことを忘れた頃、柴田は最初に志望していた企業よりもずっと格下の零細企業に就職を決めた。そして俺たちは大学を卒業した。

 桜もまだ咲いていない三月のことだ。


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