第14話 かけがえのない人。






目が覚めた時、私は知らない部屋にいた。

たくさんの机が並んでいて、それでいて少し大きめの部屋。


中学校の教室みたいな部屋だ。


部屋の中にある机の上にはそれぞれ制服や荷物などが積まれている。

中学校でもこの光景を見たことがある。

体育の授業だ。


もしかしたらここはどこかの学校の一つのクラスの教室なのかも知れない。


私は窓の外を見てみた。

同じような体操着を着た人達がたくさん整列している。


整列している人達の中で一つの塊だけは何かに焦るように動き回っていた。


一体どうしたのだろうか。



その時だった。


「植村さん!もうみんな集まってるよ!」


髪を短く切り揃えた体育会系な見た目をした少女に話しかけられた。


「え…、集まってるって……?」

知らない人たちが集まっているからなんだろうか。私になにか関係あったのだろうか。


この少女は一体誰なのだろうか。

「あの、あなたは誰ですか……?」

「はあ〜? 何寝ぼけたこと言ってんの。だいたい、今日は体育大会でしょうが。だから早く来て」

意味が分からないというように言い放った彼女は私を睨んだままこの場を離れない。

私が動くまで待つつもりだろうか。




そんなことを思った時、今更な疑問に悩まされた。



……ここはどこだろうか。

私はどうしてここにいるんだろうか……















高校の入学式を翌日に控えた日の夜のこと。

わたしは怖くて怖くて眠れなかった。


病院に行ったあの日以来、『彼方』が表に出てこなくなった。

眠って目が覚めても起きるのはわたし。一度意識を失っても目を覚ますのはわたし。何をしても私の意識だけがこの体を支配してしまっている。


わたしが夢の中で彼方に話しかけていたように夢の中で彼方と話が出来ないだろうか。

そう考えてみたこともあったけど、どれも失敗。


もし、このまま彼方が戻ってこれなかったらどうしよう。

そんなことばかり考えてしまっていたせいだろうか。最近何を考えても何をしても良い方向に少ない。上手くいかない。


そんな日々を過ごすうち。


わたしは笑えなくなってしまっていた。





結局寝れないままに入学式の朝を迎えた。

しばらくまともに寝れてないせいで目の下の隈が酷い。朝食も喉を通らないし、通ったとしてもすぐに戻してしまう。



コンディションは最悪だった。



由紀菜さんには心配を掛けたくなくて必死に誤魔化す。

両の目の下にはファンデーションを塗り、なるべく隈が目立たないようにする。新しい制服に袖を通し、今へ向かうと由紀菜さんが朝食を作っていた。


「由紀菜さん、おはようございます」

「うん、おはよう」


挨拶を交わし、喉を通らないながらも朝食もきちんと食べて見せる。


「今日、開会までには行きますからね」

「うん、お願いします」

そう言って心配そうに話してくれた由紀菜さんに申し訳なさを感じ、早めに家を出た。

そのまま近くのコンビニに寄るとトイレに直行した。


由紀菜さんにバレてないといいけど……


コンビニから出てすぐに大和くんと会った。

彼はわたしの覚束無い足取りや顔色の悪さを見て慌てて駆け寄ってきたようだ。


彼に沿ってもらいながら高校への通学路を進む。





校門の前に着く。


校門の向こうには桜が舞う校庭が見え、同じ制服に身を包んだ人達がたくさんいる。みんなとても笑顔で、期待に満ち溢れた顔をしていた。


そんな光景を見てわたしも前向きになれたのかもしれない。

少しテンションが上がってきたので大和くんの手を引きながら校門を通り抜けた。


これが高校生活の第一歩だ。




校庭に展示されてあるクラス名簿でクラスを確認する。


わたしは『1-A』、大和くんは『1-B』だった。

少し残念そうにする大和くんを慰めながら校舎に入る。


持参した上靴を履き、靴を靴箱にしまってそのまま教室へと向かう。

別々のクラスになった大和くんとここで分かれ、教室に入る。


みんな、まだ緊張しているのだろうか。

自分の席について読書していたり携帯をいじっている人の方が多い。


わたしも席について同じように読書をしようと本を出したところだ。


「彼方、おはよう」


そう声をかけてきたのは奏だった。



彼女は一次試験で県外の学校を受験したものの合格することが出来ず、二次試験でこの学校を受けて無事合格したそうだ。


そしてどうやら同じクラスらしい。

知り合いがいるのはわたしも安心だったから嬉しい。


「……うん、おはよう。奏」


わたしは奏に体調の悪さを悟られないように軽く挨拶を返した。

誰であれあまり心配をさせたくはないから。


「えっと……あ、今日から高校生ね」

「…うん、そうだね。今日から高校生だね。やっぱり緊張する?」


奏はもじもじしながら言葉を選ぶようにして話しかけてくれる。

当たり前の事なはずなのにわたしはそれが嬉しかった。



「いえ、高校生活は楽しみで仕方がないのだけれど、そうじゃなくて……」

「ん?」

相も変わらず恥ずかしそうにしてわたしを見る奏。

どうしたのだろう。


「あの、改めてこんなことを言うのも変かもしれないけれど、これからもよろしくね、彼方」


「あーそんなことか……ふふふ。

うん!こちらこそよろしくね、奏」





「植村彼方さんってこのクラスですよね……?」


そう言って顔を出したのは黒に近い紫色の髪が目立つ華奢な女子。その容貌をさらに際立たせるような赤い瞳。


自然と他人の目を惹くそんな用紙を持つ彼女はわたしを探してこのクラスへ足を踏み入れた。


「わたしが植村……彼方だけど」


手を上げ、彼女に「わたしはここだよ」と知らせてあげた。


瞬間、彼女は顔を輝かせわたしに飛びついてきた。しかも結構力強く抱きしめてくる。


少し痛いよ……


抱きつかれたわたしはもちろんだけど、奏や周囲の人達はとても驚いていた。


わたしに抱きついる彼女は何でか泣いて喜んでいるように見えるし、わたしはわたしで驚いたような不思議な顔をしているのだ。


一体この子は誰なんだろうか……



「会いたかった。ずっと会いたかった」

彼女はわたしの胸の上で泣きながらそう言った。


『ずっと会いたかった』ってことは昔からわたしのことを知ってる人かな……?

申し訳ないけど全く覚えてない。


いつどこでどのようにして会ったのか。


「ちょっと会いたかった人に会えて嬉しいのは分かるけど、そろそろ離れなさいよ。彼方も嫌がってるでしょ!」


「嫌!絶対に離さないもの」

「わたし、別にいやがってるわけじゃ……」


「あーもー!離れったら離れて!

彼方もそういうことを言っているのではないの!」

わたしと彼女、二人の重なる声に奏が痺れを切らした。

気づいたら奏と彼女でわたしを引っ張りあってるような状態になっていた。


あ〜、腕が痛い……

千切れちゃうよ……


両の腕を引かれながらわたしは考える。わたしの右腕を引くこの子は一体誰なのだろうか。


ダメだ。

やっぱりさっぱり思い出せない。


わたしの代わりにその質問をしたのは奏だった。



「ねえ、私の彼方を取ろうとする前に自己紹介しなさいよ。彼方だってさっきからそれを気にしてるんでしょ?」

「え、あ、うん」


奏が『私の彼方』なんて言うから少し恥ずかしくて戸惑ってしまった。わたしのこと、そんな風に思ってくれてるんだ……。


「私が植村彼方さんを離すかどうかは関係ないんじゃない?だいたい、『私の』って付き合ってるわけじゃあるまいに……」

「……んな!つつつ、付き合ってなくたって私は彼方の親友よ!」

「あら、それも血縁関係に比べれば所詮は赤の他人でしょう?」


聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。

血縁…関係……?


「今、血縁関係って言いました?」

「ええ、言いましたよ」

「あの、じゃああなたはわたしのなんなんですか……」


知らなきゃいけないと思った。もし、まだわたしと彼方以外にお母さんや楓さんの子どもがいたんだとしたら……


そこまで考えて少し怖くなった。

大和くんの時ですら最初は受け入れられなかったのだ。それがこんな……


そんなわたしの心中を知らないままに仁王立ちをした彼女はとても自信満々に自己紹介を始めた。

「まずは名乗らせてもらうわ。私の名前は綾辻舞以。貴女達と同じ15歳で綾辻悠真の娘よ。ここまで言えばわかるんじゃない?」

「綾辻…悠真……?ごめん、分からない」

「……へ?」


自信満々な顔から一転。彼女は拍子抜けしたような顔を見せた。

まるでわたしが『綾辻悠真』という人間のことを知らないのがありえないというみたいに。

「綾辻悠真って誰なの。何かわたしと関係がある人?」


戸惑いながら彼女はわたしに質問をした。

「不躾な質問だけど、あなたのお母さんって植村由紀菜さんよね?」

「……うん、そうだよ」


なんでここで由紀菜さんの名前が出てくるのだろうか。『綾辻悠真』という男と由紀菜さんは何か繋がりがあるのだろうか。



その答えは次の彼女の一言で全て分かった。


「綾辻悠真はその植村由紀菜の元旦那よ。つまり貴女と私は異母姉妹になるわけ。つまり、綾辻悠真は貴女のお父さんよ」




綾辻悠真……。


ついこの間聞いた不倫して由紀菜さんを傷つけ、そのまま捨てていった男だ。

しかも同じ学年にこの子がいるってことは愛が生まれる前から不倫していたってことに……。


そんなの絶対に許せない。


『綾辻悠真』という男は由紀菜さんを捨てたあとの由紀菜さんのことを知らない。それ故に、自分の娘である愛が死んだことも知らないままなんだ。

だからこそこの子はわたしと愛を履き違えているんだ。


それを悟った途端、わたしの中の怒りが膨れ上がった。



何が『異母姉妹』だ。何が『ずっと会いたかった』だ。


何も知らないくせに、何も知ろうとしなかったくせに!


「ふざけないで!」

頭の中だけでは抱え込めない怒りが漏れ、わたしは大声で怒鳴っていた


「わたしとあなたが異母姉妹?笑わせないで!

わたしのことなんて何も知らないくせに!

愛のことだって何も知らないくせに勝手なこと言うな!」


そう言い放った後、わたしはその場から逃げるようにして教室をを出た。


教室を出て非常階段へ逃げ込んだ後、わたしは息を切らしながら隠れる場所を探していた。

自分が惨めで情けなくて歯痒くて仕方がなかった。


確かに由紀菜さんを傷つけただろう『綾辻悠真』という男のことは許せないし、許したくない。


けど、その娘である彼女は悪いことをしただろうか。

いや、してない。

彼女はただ父親から聞いてきたことを言ってきただけだ。

決して悪いことなんか何もしてない。


それどころかわたしと会えたことが嬉しいと言ってくれていたのだ。

例え誤解だったとしても、その気持ちを無下になんてしていいはずなどなかった。


あれは完全にわたしの八つ当たりだ。



最近、些細なことでムカムカしたり気分を悪くしたりしてしまう。

彼方が戻ってこないことも相まってか、ストレスが溜まるような生活をしていたからだ。



あー、自分が嫌になる。



そう思った時だった。

急に吐き気や体の気怠さに襲われる。

高校生への期待と皆に心配を掛けちゃいけないって気持ちが抑えていてくれた朝の気分の悪さがぶり返した。



わたしはふらつく足で階段を降りようとして踏み外した。


軽く頭を打ったのだろうか。

頭がふらふらして視界が覚束無い。





しばらくして

「……た…ッ!!……なた…ッ!!」

とどこからかわたしを呼ぶ声がしていた気がする。



そこからの事はあまり覚えていない。












「ちょっと、彼方……!」


呼んではみたけど彼方教室から飛び出して走ってどこかへ行ってしまった。


私は追いかけようとしたけど、隣で私の袖を掴み落ち込んだように蹲るこの子を放っておくことが出来なかった。


さっきまでの威勢はどこに行ったのか。


「私、植村さんに何か悪いことしちゃったかな……」

喋り方まで変わってるし……。


どうしたものか。

もうすぐ入学式の会場である体育館へ向かうために並ばなければいけない時間なのだが、皆私達の騒ぎであたふたしてるし、まずこの子は他クラスの子だからここにいさせちゃまずいし……


仕方がない…か……。


「別に貴女一人が悪かったわけじゃないと思うわ。彼方も今日は朝から色々あったのかもしれないし。

ただ、タイミングが良くなかっただけなのよ、きっと」


それよりも彼方のことが心配。ただでさえ顔色が悪かったのに、この事で自分を責めたりなんかしたらさらに体調を崩したりしちゃうんじゃない……?



「…あの、『愛』って誰のことなんですか……?」


ああ、そっか。

この子は本当の異母姉妹の愛ちゃんのことを知らないんだ。

だから彼方にあんなことを言ってしまったのかもしれない。


少し教えてあげるくらいいいわよね……。


過去に彼方から聞いた愛ちゃんのことを教えてあげようと声を掛けようとした時だった。

教室の扉が開き、一人の教師が入ってきた。

「あー、皆さん一旦席についてもらっていいですか?みんな集まってますか?」


皆がざわざわしながら各々の席に着き始める。


「貴女も自分の教室に戻った方がいいんじゃない?話はまた後でね」

「……はい」


元気なく返事をした彼女は教室を出ていった。その姿を見るとなんだか私まで辛くなってしまう。どうしてだろうか。



「皆揃っているようなら廊下に出席番号順に並んで体育館に行きましょう」


待って、まだ彼方が戻ってきてない。

あの子だけ置いていくなんて少なくとも私はしたくない。


「あ、待ってください。かな…植村さんがさっきどこかに行っちゃって……。探しに行ってもいいですか?」


「そうなのね……。分かりました。じゃあえっと、街田さんは植村さんを探しに行ってください。他の人は廊下に並んで体育館へ行きましょう」


「ありがとうございます!先生!」



そう言って私はすぐに教室を飛び出した。彼方は一体どこにいるのだろうか。


今日初めて来たこの学校。私は何も知らない。どこにどんな施設があってどんな風に壁や階段があるのか、何も知らない。


けれど、それは彼方も同じはずだ。


あの子ならどうしようとするだろうか。何も知らない場所で、どうやって私や綾辻さんから逃げようとするだろうか。

決まってる。

隠れる場所を探して走り回ってるんだろう。

あとは隠れる場所を考える。

校舎内の各教室なんかに隠れようとはしないはずだ。でもトイレは在り来りですぐにバレる。普通の階段を使って下の階に降りても職員室やら教師用の部屋があるだけ。上の階に上がっても上級生しかいない。


なら、彼方が行きそうな場所は……


「あーもー!考えるだけなんて時間の無駄とにかく非常階段に行きましょ」


私は必死に非常階段を駆け下りる


駆け下りる駆け下りる駆け下りる……。


その時だった下の方で「ドンッ」というように音を響かせた。

何かが落ちたような音。


私は不安になって急いで階段を下りた。


心臓の音がうるさい。

息が切れてきたのか、それとも焦りからか。呼吸が出来ない、苦しい。


息が整わないまま階段を降りた先。

誰かが倒れている。

黒くて綺麗な髪に白い肌。

華奢な体つきをした少女。


その少女は私が好きなあの子と特徴が似すぎている気がして……


そしてそこまで思い至ってようやく気づいた。

そこには頭から赤黒い血を流して倒れている彼方がいた。


「か、な…た……。……彼方…ッ!!」


このまま彼方が死んじゃったら……



そう思った時に気づいた。

今のこの子は『彼方』じゃないことに。

この子が戻ってこない『彼方』のことを心配してまともな精神状態じゃないことだってお父さんから聞いていたはずなのに。


私は朝からこの子のことを『彼方』と呼び続けてしまった。


今この子事情を知っている私だけは気を使ってあげるべきだったのに……


罪悪感からか目から涙が零れ始め、止まらなくなった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


頭から流れ続ける止めどない血。

私は自分の着ているブレザーを脱ぎ、この子の頭り巻いて止血しようと試みた。


しかし、赤いブレザーの赤が徐々に濃くなっていくだけで血は止まる気配がない。


私は段々パニックを起こし始めた。


「ねぇ、起きて……起きてよ……『彼方』だけじゃなくて貴女まで居なくなってしまったら、これから先、私はどうすればいいのよ……。ねぇ、起きてよ……」



大声でヒステリックを起こしながら懸命に願う。


お願いだから目を覚まして……結以……。







今の私にとって『植村彼方』という存在は掛け替えのないものだった。


初めてあった日のことは今でも鮮明に覚えている。

美麗な容姿からか彼女にとても目を惹かれた。とっても気になったの。


父や本人から過去の話を聞いて、少し前に亡くなった幼馴染みの和人と繋がりがあった人だって知ってしまってからはあの子に和人を重ねてしまっていたかもしれないのだ。


でもそれが違うことに気がついたのは中学校も卒業シーズンに差し掛かり、高校受験を受ける頃のことだった。

その頃から彼女に対して複雑な気持ちを持ち始めた。

幼馴染みとは別人なのだという自覚してしまったからこその不信。

勝手に重ねてしまった上にそんな気持ちを抱いてしまったことへの罪悪感から距離を置こうとした。


だからこそ私は県外の高校に出ようと志望して嫌いだった勉強だって頑張っていた。


今日は植村さんが家族を連れて家に来る日だ。私は父の傍で父の口や二人の女性から耳を塞ぎたくなるような話を聞いた。


話の途中で大翔さんの膝の上で寝てしまっていたあの子の事が放っておけなくなったのはその時だと思う。


次の日、学校から帰ると大和から電話を貰った。

二人して午後の授業をサボっていた時間、二人で色んな話をしたそうだ。


話した結果大和はこれからもあの子のことを支えていくことを決意してその証明に絵を描いているらしい。


「明日渡す時に協力してくれないか」


そう頼まれたけれど、やっぱり私は素直に頷けなかった。



翌日にわざと遅れて家を出た私が教室に着いてみれば大和があの子に絵を渡しているところ遭遇した。


なんだ、自分で渡せたじゃん。


そう思って安心し席に着こうとした時だ。

何を思ったのか彼女は大和に絵を返すと泣きながら教室を飛び出した。


私は慌てて大和の方を見た。

平気そうな顔をしていたけど、返された絵を握る手にはいつもより力が篭ってるように見えた。



そこで私の中に起きた感情はなんだったのだろうか。


大和の気持ちを無下にしてしまった彼女への怒り?

絵を見て涙を流した彼女のことを知りたい気持ち?



ううん、どっちも違う。

私は何となく思ってしまったんだ。


『何も話さなければよかった。家になんて招待しなければ良かった』と。

私も父の横で話を聞いてたから大和と彼方さんが同じ母親から生まれてきた子だってことは知っている。



でも、知っているから。知ってしまったからといってそんなに簡単に受け入れられるだろうか。


いや、無理だ。

母親のあんな過去を聞いて、自分達の知らなかった関係を知らされて普通でいられるわけが無い。

ましてある意味部外者の私でもそう感じるんだ。

当の本人たちはもっと辛いだろう。



私は彼女を追いかけて教室を飛び出した。

何となく前に話す時に使った女子トイレに居そうな気がして入ってみた。


女子トイレに入ってみると啜り泣く声が聞こえてきた。

それは次第に嗚咽を交えた喚きへと変わる。


私はなんて声を掛けたらいいのか分からなくてたじろいでしまう。


「彼方さん、大丈夫?」

結局出てきた言葉は平々凡々なものだった。



そこからだった。

彼女の様子がおかしいと感じたのは……。


彼方はまるで誰かと話しているようにして一人で話し始めた。



十数分して吹っ切れたように明るい笑顔で個室から出てきた時には驚く他なかった。



私はあの時の彼方の笑顔に惚れたんだと思う。

その日から私は彼方のことが好きになった。何があっても守ってあげたいとそう思った。


受験した県外の高校ではわざと赤点を取り、二次試験で彼方や大和と同じ高校を受けた。



私はこれからもずっと彼方と一緒にいられると思ってそうしたはずなのに……。






「ねえ……お願いだから……目を覚まして……」


「おい!こんな所で何をしている!」


私が彼方の目覚めを懇願し、泣き崩れていた時だ。

上から怒鳴り声が聞こえてきた。



「あの!ゆ……ッ…か、彼方が…彼方が…!」


「何があったか知らんが、今下りるからちょっと待ってろ」


そう言って慌てて階段を降りてくる男性教師。

階段を踏み下りる音が響く。



漸く下りてきた男性教師は周囲を真っ赤にしたまま横になっている『植村彼方』を見て顔を真っ青にした。


「あの、彼方を…結以を助けてください!お願いします!お願い…します…」


男性教師は慌てて救急車を読んだ後、入学式中の教師らに連絡を入れた。

連絡を受けた教師らはすぐに到着し、数分後に救急車も到着。

教師らは慌てて彼方をストレッチャーに載せ救急車へと移した。


「おい、クラスと名前は!」


「1-Aの街田奏です…」


「そうか。街田。お前は入学式に出ろ。植村は俺が病院まで連れて行くから」


「待ってください、どうして。

どうして私は行っちゃダメなのですか。その子のことは先生よりも私の方が……」


「そのことなら心配ない。今保護者の方にも連絡を入れておいた」


違う。

そんなんじゃない。

私を傍にいさせて。私からその子を奪わないで……


「いや…いやだよ……。いかないで彼方…結以……」


和人が死んだ時もそうだった。

元気だった和人が急に倒れて病院に運ばれて、一度も見舞いに行けないままに命を落とした。


もうあんなのは嫌だ。

だから……お願い……。いかないで……




救急車のサイレンが校内に響き渡り、すぐに遠ざかって行く。








朝、高校に着いて彼方と別れた俺は教室に入り、一人の女子とすれ違った。


どこかで見たようなその顔立ちに強く惹かれたけど、気にするのも馬鹿らしく思えてそのまま自分の席を探し、席に着く。


時間に余裕があるようなので一枚紙を用意すると落書きを始めた。


数十分そうした後で男性教師が教室に入ってきた。

それに続くようにしてさっきの女子が落ち込んだ様子で入ってくる。


今から入学式が行われるため廊下に並んで体育館へとのこと。



在校生達に囲まれながら体育館へ入場する。

入場し終わり、隣のクラスの中から街田奏を探す。

五十音順で並んでいるはずなので割と近くにいるはず。


そう思って探してみるも奏の姿は見えない。

それだけじゃない。彼方の姿も無いように見える。


二人はどうしたんだろうか。



丁度校長先生の祝辞が終わった頃のことだった。


一人の先生が携帯を手に体育館から出た。


この学校では式の途中に教師が電話をするために式を放り出すのか……。

そう思った。


でもそれが違うことはすぐに分かった。


戻ってきた教師が他の教師達に耳打ちで何かを話している。



教師達の顔色がおかしくなり、数人の教師が慌てて体育館から出て行った。


何か大変な事があったんだろうか。


俺と同じことを周囲の生徒も考えたらしい。体育館中の雰囲気がざわざわとし始めた。


生徒達の同様とは別に俺はこの場にいない二人の事が気になってしまう。

あの二人が巻き込まれてなければいいけど……


「はい、生徒の皆さん静粛に……!」


校長先生がそう言った直後だった。

校内に救急車の音が響き渡った。


救急車が来るなんてよっぽどの事なんじゃ……

本当にあの二人は大丈夫なのだろうか。


頭の中を過ぎるのは朝に体調の悪さから顔を真っ青にして歩いてた彼方の事だった。


もし体調がぶり返したことが原因で倒れて運ばれただけならばまだ安心できるかもしれない。


いや、何を言ってるんだろ。

安心なんか出来るわけない。


朝だって手を貸さないとまともに歩けないような状態だったのだ。

もしそんな状態で一人で階段なんて下りていたとしたらどうなるだろうか。



救急車の音が遠のき、皆が心配そうに声を上げる中。入学式のプログラムが再会された。


目次では担任教師の紹介が行われるはずだったのだが、急遽部活の紹介等が行われることになった。

全く予定に無かったのだろう。各部活の部長達も戸惑った様子で壇上に上がり、簡単に部活の紹介をし始めた。


部活の紹介が終わったあとも数人の教師が戻ってこないままで教頭の自己紹介が始まってしまった。


在校生も新入生もイライラが溜まり始めたのだろうか。

周りからは私語ばかりが聞こえてくる。


そんな時にようやく体育館の扉が開き、教師達数名とそれに連れられるようにして目を真っ赤にした奏が入ってきた。


戻ってきた教師の一人が奏を交えて事の顛末を説明し始めた。




植村彼方はふらついた足取りで階段を降りようとして足を踏み外し、そのまま頭を強く打って意識不明の重体らしい。










高校生初日の入学式。

その日から一ヶ月間、植村彼方が目を覚ますことは無かった。

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