*(3)『White Christmas』

 街中では、クリスマスの飾り付けやイルミネーションが目立ち、あちこちでクリスマス・ソングが流れていた。


「明後日のイヴだけど……」


 足早に帰ろうとした美砂であったが、松岡に捕まってしまった。


「現代フランス料理のレストラン、良かったら、僕と一緒に……」


 その時、美砂のスマートフォンが鳴る。

 奏汰からであるのは、着信音でわかった。


「ちょっと、ごめんね!」


 美砂は、奏汰からのメッセージを見ると顔を上げた。

 その瞳には、いつもの彼女にはない、ある強い意志のようなものが浮かんでいた。


「ごめんなさい。その日、用事が出来たの」


 松岡が耳を疑い、面白くなさそうに言った。


「またあのミュージシャンの彼氏?」

「うん。忘れ物、思い出したから、じゃ、ここでね!」


 奏汰のメッセージを読んでから、落ち着かない思いにかられた美砂は、オフィスへと走って戻っていった。


 勤めているオフィスのフロアで、エレベーターが止まる。

 息せき切って駆け出した美砂は、残業中の須藤を見つけた。


「あれ? 美砂ちゃん、どうしたの?」

「わ、忘れ物……です!」


 呼吸を乱しながら、美砂は須藤に近付いていく。

 周りには、まだ残業の社員がちらほらいた。


 美砂は、スマートフォンで『J moon』のHPを見せた。


「イヴの日、ここのクリスマス・ソング、聴きに行きたいんです」


 須藤は周りを見て、誰も自分たちを見ていないことがわかってから、気遣うように美砂を見た。


「そこに行っても、もう大丈夫なの?」


「須藤さんが、一緒に行ってくれるなら」


 不安そうに返事を待つ美砂を見つめてから、微笑して、須藤は頷いた。




「来てくれたの!? ありがとう!」


 美砂にとっては、久しぶりの『J moon』だ。

 ママの蓮華は懐かしそうに、嬉しそうに、美砂を出迎えた。


 恋愛面ではライバルであったはずの蓮華だが、美砂は始めの頃と同じ親しみが復活するのを覚えた。


「いろいろとすみませんでした。本当は、ここに顔を出せる義理じゃないんですけど……」


「そんなことないわよ、全部あたしが悪いんだから。また来てくれただけですごく嬉しいわ! 今、奏汰くん、セッティング中だけど、後で話せるから」


 美砂が安堵して蓮華に微笑む横では、須藤が少し複雑そうに、蓮華を見つめている。


「どうしたの、晃くん? いつもの元気がないわね?」

「はあ、まあ……」


 それは、美砂も感じていた。

 ここへ向かう電車の中でも、なぜか彼が浮かない様子でいるように、美砂にも思えていた。


 蓮華には見当が付いたらしく、微笑んだ。


「わざわざ、イヴに二人でここへ来たってことは、二人とも……なんでしょ?」


 蓮華が二人に、にっこりと笑った。


 ハッと、思わず美砂も須藤も顔を見合わせた。


 彼を見つめる美砂の頬が染まっていく。


 須藤が、「あれ?」という顔になった。


 蓮華が微笑みながら、「そういうことだから、自信持って」と、美砂に聞こえるよう言い、須藤の肩をポンと叩いた。


 店では、奏汰たち従業員も加わったクリスマス・ソングのライヴが始まる。その間の三〇分は注文を受け付けない代わりに、チャージ代は無料であった。


 一回目のライヴでは、定番のクリスマス・ソング数曲をジャズ風にアレンジしていた。

 奏汰は終始エレクトリック・ウッドベースで、タケルはアコースティック・ギター、優がピアノを演奏し、ドラムと女性ボーカルは外部から呼んでいて、音楽を勉強中の学生だったり、奏汰たちの師匠である橘の弟子だったりと、若手が多かった。


 観客の反応も良く、美砂も楽しんでいるようだった。

 二回目はまた違う傾向で演奏する、という予告があった。


 来客全員に振る舞われるクリスマスケーキの一切れずつが、二人のテーブルにも運ばれる。


 須藤は、美砂がまた奏汰に再熱してしまうのではないかと心配するように、ちらちらと美砂を気にしていた。


「私、奏汰くんを、嫌いになんてなれない」


 須藤が真面目な表情で、美砂を見つめた。


「だから、ファンになろうと思って。それでいいんです。それが私の結論です」


 はにかみながら、美砂が言った。

 何かを言おうとする須藤だが、「これで、すっきりしました」と、美砂が笑った。


「松岡くんにイヴにレストラン誘われて、私、また気が進まないのに流されてしまっていたかも知れなくて。そんな時に、奏汰くんから『イヴにクリスマス・ライヴやるから、須藤さんと一緒においで。二人が来てくれるのを楽しみに待ってるから』ってメッセージもらったんです。背中を押された気がしました。私のこと心配して、応援もしてくれてるんだって思えたら、居ても立ってもいられなくなって……」


 美砂は一呼吸置いてから、恥ずかしそうに須藤を見た。


「イヴには、……須藤さんと、会いたくなったんです」


 須藤はまだ信じられない顔で、彼女を見ていた。


 最後の演奏となった。

 通常のライヴよりも一本分少なく、二本であった。

 カップルたちの時間を奪わないため、と女性ボーカルの解説があり、笑いが起こる。


 一回目よりもテンポがよく、ロックスタイルのクリスマス・ソングとともに、二回目ライヴの幕が開いた。


 テンポの良いボサノバやジャズのアレンジだったりと、ノリの良いナンバーが続く。


 ラストの曲が終わり、アンコール曲は、それまでと同じく奏汰のベース、タケルのアコースティック・ギターに、ドラム、女性ボーカルに加え、珍しく優のエレクトリック・ピアノを聴かせた『White Christmas』だ。

 誰もが知るしっとりしとした名曲が、ジャズテイストの、洒落た洋楽風バラードとして送られた。


 うっとりと演奏を聴きながら、美砂は、須藤を時々見つめていた。


 それに気が付いていた須藤が、迷った後、テーブルの上の美砂の手に、そうっと、自分の手を重ねた。


 美砂が、嬉しそうな顔になる。

 須藤も、美砂の様子から、ホッとした表情になった。


 曲が終わるまで、互いが気になる二人は、何度か目を合わせ、微笑み合っていた。




 ライヴが終わると、二人は、ベースを片付けている奏汰に声をかけた。


「今日のライヴ、とっても楽しめたよ。ありがとう」

「知らせてくれて、ありがとうね」


 奏汰は、これまでとどことなく雰囲気の違う須藤と美砂を前に、嬉しそうに言った。


「来てくれてありがとう! 俺も嬉しかった! またおいでよ、是非二人で」


 奏汰は、心から喜んでいるような笑顔になっていた。


 蓮華に挨拶すると、二人はバーを後にした。




 アンコールの『White Christmas』が気に入った二人は、アレンジや演奏、歌がいかに良かったかなどを楽しそうに話し合っていた。


 気が付くと、海の見える公園に差し掛かっていた。


 美砂が立ち止まり、須藤のコートを引っ張った。

 須藤も、足を止める。


「あの、今日は、お付き合いしてくれて、ありがとうございました」

「あ、ああ、いやいや。こちらこそ、素敵なライヴに誘ってくれてありがとう」


 美砂は俯いたまま、少しの沈黙の後で、思い切ったような顔になった。


「私、須藤さんのこと……好きなのかも……」


 須藤は、その場に棒立ちになった。


「……って気付いたの、ここ数日なんです。私、鈍いみたいで……」


 一瞬、動きの止まっていた須藤が、なんとか応える。


「……どうりで、最近、様子がおかしくなったと思ったら」


 ははは、と笑ってから、須藤は真面目な顔になると、ぎこちなくであったが、美砂を正面から抱き寄せた。


「ずっと、好きだった」


 須藤の腕の中で、美砂は瞳を大きく見開いた。


「……本当に?」


「奏汰くんと付き合う前から」


「えっ、そうだったんですか? やだ、私ったら、やっぱり鈍いんだわ!」


 慌てて須藤の腕から離れ、上気した顔で、美砂は彼を見上げた。


「それなのに、須藤さん、奏汰くんとのことで、私の相談なんか聞いてくれてたんですか? ……私、すごく残酷なことしてたんですね。ごめんなさいっ!」


 須藤は笑い飛ばした。


「いいんだよ。俺も美砂ちゃんのことが心配だったから。っていうか、それがあったからこそ、とも言えるかな」


「え?」


「か弱そうなのに、意外に芯が強くて、ちゃんと考えてて……彼と付き合ってたからこそそれがわかって、ますます美砂ちゃんのことが好きになってた」


 かあっと、美砂の顔中が赤くなった。


 須藤は、「かわいい」や「いい子」という形容はしなかった。

 それが、彼が彼女の内面を見ていた証に、美砂には受け取れた。


「……嬉しい……!」


 美砂は、倒れるように須藤の腕の中に滑りこんだ。

 奏汰には常に受け身であったため、自分から、男性にそのような行動を取ったことはなかった。


 それだけ、須藤にはそうしたいと思え、そうしたことで心地良さを感じているようにさえ思えた。


 須藤も、もう一度、美砂を抱きしめた。


「もう少し、このままでいてもいい?」


 美砂が笑って、頷いた。


「私も、そう思っていたところです」


 須藤は、その幸せな状況を噛み締めるように、一層強く、彼女を抱きしめた。


「いつもそばにいてくれて……ありがとう」


 須藤の腕の中で、美砂が、掠れた声で告げた。




※『White Christmas』by Irving Berlin

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