ハイボールとオールド・ファッションドその1

「例え親が賛成しても、僕は認めないから!」


「もう、コウちゃんたら頑固なんだから!」


「ゆかぽんだって!」


「聞き分けのない子供じゃないんだから、意地張らないで、いい加減ちゃんと考えてよね! いくら優くんが、コウちゃんが許してくれるまで待つって言ってくれてても、私は、優くんとのことを認めてくれない間は不幸だから!」




「――っていう一件があってな。それ以来、ゆかりが仕事のこと以外は口きいてくれなくなっちゃってさ。今日だって、お前たちとライヴが終わった途端に、僕の方を見もしないで、さっさと引き上げてデートに行っちゃったし……」


 赤レンガ倉庫でのライヴが終わり、ゆかりと共演した奏汰、翔を伴って『J moon』を訪れた香月孝司は、ウィスキーを炭酸水で割ったハイボールをグラスの半分ほど飲んでから、溜め息混じりに打ち明けた。

 休みの優に代わり、琳都がカウンターの中で淡々と仕事をこなし、蓮華もカクテルを作りながら、耳を傾けている。


「僕が交際を認めるまでは、キスもほっぺた止まりだって怒られたし」

「ええっ? あの優さんが、ほっぺにちゅーだけって……!」


 思わず奏汰が驚くと、蓮華も感心した。


「今まで、無自覚な恋愛が多かった優ちゃんがねぇ……」

「なにっ!? 無自覚に恋愛って、どーゆーことだ!?」

「……ちょっと説明しにくいわね……」


 苦笑いする蓮華を食い入るように孝司が見ていると、奏汰が続けた。


「優さん、よっぽど、ゆかりさんのこと好きなんじゃないですか? 大事にしてるんですよ」


「自覚有りってことよね。しかも、孝司さんにも気を遣ってるのよ。どんなにゆかりちゃんを大事にしてるか知ってるから」


「でもー……、でもー……! あああ……!」


 残りのハイボールをごくごくと喉に流し込んだ孝司は、琳都の差し出したカナディアン・ウィスキーのロックを、がぶっと一口飲み、ああでもない、こうでもないとぶつぶつ言いながら頭を抱えるばかりだった。


 隣にいた奏汰と翔は、かける言葉が見つからず、黙っていると、カウンターの中の蓮華が、呆れた顔になって言った。


「あのね、そもそも孝司さんが妹可愛がりすぎ。ゆかりちゃんは大人よ。シスコンはいい加減卒業したら? 自分は結婚してるんだから、妹のことも認めてあげればいいじゃないの」


「そうですよ。人生、何があるかわからないですよ?」


 蓮華のセリフを皮切りに、初めて翔が意見した。


「僕よりずっと若いキミに、なんでそんなこと言われなくちゃならないんだ?」


 面白くもない顔で、孝司が翔を見る。

 翔は、少し真面目な口調になった。


「俺、菜緒が盲腸で入院した時、焦りましたもん。出産だってトラブって、菜緒の命まで危なかったんですよ」


 翔に子供が誕生してまだ間もないことは、孝司も知っている。


「菜緒が助かっただけでいい。もう怖いから一人っ子でもいい、無事に生まれてきてくれただけで充分だって思いました。だからさ、香月さんもさ、大事なが突然病気とか、事故とかに遭ったりしたら、どうするんです? その前に、好きな人との付き合いを認めてあげて、結婚くらいさせてあげれば良かったとか、後悔するんじゃないですかね? 俺だったら、死ぬほど後悔しますよ」


「結婚だと!? そんなのますますダメに決まってるだろ! だいたい、なんで、よりによってバーテンダーなんだ!」


「ふ~ん、あたしの前で、バーテンダーを悪く言うんだ?」


 蓮華がからかうと、孝司は少し後悔したような顔つきになった。


「いや、ママには、すごく言いにくいんだけどさ、バーテンダーって他の飲食業よりも早く独立出来るからか、若くても店を持てて、中にはチャラく見えるヤツもいるし、仕事熱心すぎるのもいるじゃないか。それに、お宅のバーテンダーくんは人気者だろ? 女性ファンも多そうだし」


「あくまでもファンよ。普段は無自覚でも、優ちゃんは、そこはちゃんとわきまえてるのよ。お店に迷惑はかけないように、彼女たちにも悪い噂が立たないように気を配ってるわ。例え、お客さんとの間に恋愛感情が芽生えたとしても、誠実に対応すると思うわ。優ちゃんに限らず、バーテンダーは皆、根は真面目よ」


「交際を許したら、大人同士だと、ただの付き合いじゃ済まないだろう。それこそ、……けっ、……結婚とか……! あのゆかぽんが結婚するなんて……!」


 遣る瀬ない様子で、孝司はウィスキーを、ごくっと喉の奥に押し込み、痛みをこらえる時のように顔を歪ませた。


「奏汰はどう思う? お前のリスペクトするゆかぽんが、その……結婚して、一人の男のものになってしまったら?」


「え? 俺、優さんなら大賛成ですよ。逆に、優さん以外のひとなら嫌かもですけど。蓮華のことも、優さんになら譲れるって考えてたし」


「なにっ!? そんなに?」


「だから、香月さんも、ほどほどにしないと、うちの兄貴みたいなことになりますよ。『やったー! 妹が出来た!』『蓮ちゃん、蓮ちゃん!』って、最近すっかり『義妹いもうと萌え』ですよ。痛いくらいに」


「痛いな……」


「でしょ? 人のフリ見るとイタイのわかるでしょ?」


 しばらく、黙ってウィスキーをちびちび飲んでいた孝司が、ぽつんと呟いた。


「夜の仕事だと、ゆかりに構ってやれないだろう。ゆかりは『私もライヴがあって、夜は忙しいんだから別に平気よ』とは言っていたけどな。あれじゃ、二人が結婚したとしても、子供は難しいんじゃ……」


「そんなこと言ったら、うちだってそうよ。そういうことも含めて、ゆかりちゃんも優ちゃんも大人だから、ちゃんと話し合うと思うわ」


「……頭では、わかってはいるんだけどなぁ……! あ〜あ!」


 むなしく空を見て溜め息を吐く彼の姿を、少しだけ気の毒そうに見た蓮華が、ロックグラスを取り出した。


 角砂糖を入れ、アロマティック・ビターズを振る。白い塊には、赤い水滴が染みていった。炭酸水を一滴かけると、しゅわっと白く色が変わる。クラッシュされた氷を入れ、ウィスキーと、スライスしたフルーツを添えてから、孝司の目の前に置いた。


「オールド・ファッションド。あたしからサービスよ。ベースのお酒はウィスキーだけど、ブランデーやジンでもいいの。マドラーでフルーツと角砂糖を潰したり、お好みでどうぞ」


 孝司が蓮華に言われた通りにしてから啜ると、香りの良い甘みと、フルーツの爽やかさがやってきた。


「フルーツを潰すと、飲む時に香りも備わって美味い。時間が経つごとに、味が変わっていくのが面白いな。ウィスキーに、こんな飲み方があったのか」


「ウィスキーが苦手な人にも優しく、飲みやすくなってる気がしない? オレンジで甘い香りを楽しんで、レモンとライムでキリッとさせて。これ、優ちゃんの好きなカクテルの一つなの」


 ぶっ、と孝司が吹きそうになるのを堪え、ごほごほむせた。


「もったいないから、家で飲む時は、この後ウィスキーと炭酸を足して、ちょっとゴージャスなハイボールにしたり、ジンジャーエールを足してジンジャーハイボールにすると美味しいって言ってたわ」


 孝司が黙っているのには構わず、蓮華は語り続けた。


「ウィスキーは、飲む側が年を取るほど美味しさが、より感じられるようになると思うの。あたしは、ホントの優ちゃんは、ギムレットより、こっちのイメージかなぁって思うわ……なんて、本人には教えてあげないけど。孝司さんも、ウィスキーが好きなら、こういうのもバリエーションの一つで面白いと思えない? カクテルって気取ってるように見えるかも知れないけど、手の込んだカクテルに見えたオールド・ファッションドが、ハイボールみたいな気楽なものにも変身できるのかと思うと、親しみが湧かないかしら?」


 宥め、癒すような微笑みを携える蓮華を見つめた孝司が、明るい琥珀色のカクテルに視線を落とし、無言のままでいる。


 ぽーっと蓮華を見つめ続けている奏汰に、隣で気付いた翔が、笑いながら肘で突いた。


「お前、今、ぎゅーしたいってカオしてるぞ」

「えっ!!」


 我に返らされた奏汰は、一気に顔を赤くした。


「まったく、いつまでも『片思いのバイト青年』みてぇだな!」

「いいじゃないか、別に!」

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