少し前の話(優③):恋人以上の友達
その日は、ゆかりの強い希望で、優と通称「夢の国」テーマパークに来ていた。
「ディズニーが好きなの。全部とは言わないけど、映画もショーも音楽も、元気をもらえるから」
「男同士で行く人も割といるけど、ゆかりさんがディズニーって……意外とかわいい面があったんだね」
「もう、なによ、意外とって」
「いつもカッコいいから」
ゆかりが一瞬黙った。
「……なんで、そうさらっと言えるのかしらね。おかげでいつも不意を突かれるわ」
「僕は思ったことを正直に言ってるだけだよ」
「じゃあ、次は何を言うつもりなのかしら?」
面白そうに瞳を輝かせるゆかりに、優は少し考えてから、真面目な表情になった。
「話したいことがあるんだけど、……聞いてくれるかな?」
見上げたまま、ゆかりが頷く。
「蓮ちゃんとのことなんだ」
パークの中のラウンジで、優は紅茶を頼んでいた。
ゆかりもそれに付き合い、紅茶を飲む。
アメリカへ旅立つ前に、奏汰から蓮華のことを頼まれ、奏汰は蓮華にも優と一緒になるよう勧めた。
「……ええ、この間の凱旋コンサートの前に、奏汰からちらっと聞いたわ。十年以上になるんですってね、あなたと蓮華さんの仲」
「もう十五年近くになるかな。彼女を見守ってきたつもりで、おそらく、向こうも僕を見守ってくれてたと思う。僕から見ると、彼女は奏汰くんを好きだった。奏汰くんも、これまで彼女の周りにいた男の中で最も誠実で、彼女をちゃんと好きでいた。だからこそ、彼は音楽の道を選んだ時、僕に彼女を托すことが出来たんだと思った」
ゆかりも賛同するように頷いた。
「奏汰くんにはかなわないと思ったよ。音楽にも彼女に対してもあの純粋さは、若さだけじゃないんだと思う。果たして、僕だったら、そこまで一途になれただろうか。蓮ちゃんのことも……」
ティーカップの紅い茶を眺める視線に、密かに切なさが加わる。
「ずっと友達だと……彼女のことは、ずっと友達だと思ってきたけど、奏汰くんと別れてからの彼女には、女性として惹かれていって……」
優の沈黙を、ゆかりは静かに見守る。
「『友達』を越えようと思った。でも、……『恋人』にはなれなかった。それがわかってホッとしたところもあったけど、思ったよりもダメージが大きいかも知れない。友達を越えようとしたら、その前には戻れない。普段通り振る舞っていたとしても、彼女が泣いていても、もう背中を貸すことは出来ない、彼女も望んでいない。今までとは違う隔たりが出来てしまって、それももどかしくて……僕は僕で進まなくちゃいけないのに、どう進んでいいかわからなくなってる。進むというのがどういうことなのかもわからないでいる……」
語る間にゆかりの瞳が揺らいでいくのを、紅茶に視線を落としたままの優は気付かないでいた。
「あなたと蓮華ちゃんは、『友達以上恋人未満』を通り越してしまった、言ってみれば『恋人以上の友達』なのかしらね。別れることのない、恋人以上の絆で結ばれてる……私にはそう見えるわ」
羨ましそうに微笑むゆかりのその言葉は、やけに優の心に響いた。
「『恋人以上の友達』か……、そうなのかも知れない。男として側にいられなくても、別れたいとは思わないし」
「羨ましいわ、あなたたちが。今は辛いかも知れないけれど、貴重な間柄には違いないでしょう?」
「……そう感謝しないといけないね。ああ、ごめん、こんな話をして。とにかく、今の素の僕は、こんな感じなんだって言いたかっただけなんだ」
淋し気に笑う優を見つめ、ゆかりも同調するように言葉が口をついて出ていた。
「わかるわ。奏汰との疑似恋愛をやめて、彼とは改めて音楽仲間となった時、しばらくは私もそんな感じだったわ。家に帰ってひとりになると、空虚感ていうのかしら、心にぽっかり穴が開いたみたいに……。奏汰にアメリカに行かれた後も、しばらくね……」
思いがけないセリフに優が目を見張った。彼から見たゆかりは、常にエネルギッシュで楽しそうな印象であった。
「……とてもそんな風には見えなかったよ」
「誰にも言えなかったし、同情されたくもなかったから、隠すのに必死だっただけよ」
「僕もまだまだ人を見る目が出来てないな」
悔やむ優に、ゆかりが慌てて付け加えた。
「どうしても淋しくなった時——奏汰のことに限らず、ライヴの出来が自分ではイマイチに思えたり、創作が行き詰まった時は『J moon』に行っていたからよ。あなたや蓮華ちゃんと話したり、あなたのカクテルをいただくことで癒されてきたの」
演奏を楽しみに来る客もいれば、ひとりで飲みたい、傷を癒したい、そんな客もいる。バーとは本来、どんな客をも受け入れ、やさしくもてなす、そういう場所だ。
『J moon』はちゃんとそういう場所になっていたのだと思えると、優は少し救われた気になった。
「おかげで、今は平気よ。奏汰と再会しても、ああ、いい男になったなとは思うけど、再熱は有り得ないわ。ミュージシャンとしての彼と共演したいという想いの方がまさっているの」
「……克服したということなんだね。さすがだ。その強さがあるからこそ、ゆかりさんはいつも輝いていられるんだね」
「そんなことないわ。私のは一時的なものだったけど、優くんの場合は、長い年月がかかってる分、そんなに簡単じゃないのかも知れない。けれど、あなたの時間はまた動き出すって、私には思えるの」
「時間……?」
「あなたの時間は、今は止まっているのかも知れない。でも、必ずまた動き出す時が来るわ。時に身を任せてもいいと思うし、あがきたかったら、あがいてもいいと思うの。そうしているうちに時間はまた動き出すの。これまでもそうじゃなかった? ピアノでスランプに陥っても、ひたすら練習していれば克服出来たでしょう? 音楽がそうであるように、きっと……」
ゆかりは、いつの間にかヴィオリストの顔になり、微笑んでみせた。
「バーテンダーもアーティストよね。カクテル・アーティスト。たまには、自分のためにも作ってみたら?」
「自分のために……?」
「そう。もしかして、自分のためになんて作ったことなかった? 仕事の後、自分を労うために一杯作るとか、そういうものじゃなくて、自分を見つめ直す、名前のない一杯のカクテルを。今の、時が止まったあなたを表現してみたら? そして、どうしたらそれがもっと美味しくなるのかを考えてみるのはどう? その後で、現実と向き合ってみたら……」
優が見つめていたことに気が付き、ゆかりが我に返った。
「ごめんなさい! 私、プロに向かって偉そうだったわ!」
「え、なんで? 今、僕、重要なことを教えてもらったと思ったよ」
「私はただ、あなたが私に『YUKARI』を作ってくれたみたいに、自分にも特別なカクテルを作ってみたら救われるように思っただけなの。私がそうだったから」
「ありがとう。プロとはいっても、バーテンダーはお客さんから教えてもらうことも多いんだよ。だから、思ったことを言ってくれてかまわないよ」
安心させるように、優が笑った。
「今の自分を見つめて考えるカクテルなんて、おそらく美味しくはないから、改善点は見つけられると思う。味の方は直せても、気持ちの方はどうしたらいいかはその後の課題だね。なにかをしていれば道は開ける、そういう気がしてきたよ」
普段の穏やかさに加え、何かを吹っ切った表情だった。
「ごめん! なんだかカクテルの話になっちゃって。二人で会う時は封印する約束だったのに」
「いいのよ、私から言い出したんだから。やっぱり、あなたからはカクテルを切り離すのは無理みたいね。いいんじゃない? 無理に切り離さなくても。私も無理に切り離さなくていいのかもね、音楽を」
ゆかりの方も、吹っ切った笑顔になっていた。
優が感謝をするように穏やかに微笑んでみせた。
「そうだね」
※Special Thanks:桜井今日子さま
『カクテルあらかると【短編集】』応援コメントより『恋人以上の友達』のお言葉を、使わせていただきました。
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