Ⅲ.(5)仕返し2
優が、安心した表情になる。
「わかってるんならいいんだ。彼、ちょっと、よくない噂があって」
「でしょうね。大丈夫よ、どうせもうすぐ閉店だし、ライヴの打ち上げ終わったら、奏汰くんも来てくれることになってるし」
蓮華が他の客の相手に移ると、カウンターの目の前でカクテルを作る優に、翔から話しかけた。
「優さんて、店を出すから、銀座と新宿の店を辞めたんだって噂で聞いてたけど、ここは、自分の店ってわけじゃないんでしょ?」
「そうですね」
「長い間、東京でバーテンダーやってて、更にここで三年もやってる割りには、独立しないのは何で?」
「まだその時期じゃないからですよ」
優が微笑んだ。
「そうかなぁ。キャリアも充分積んでるんだから、もういつでも独立出来るんじゃないの? それでも、そうしない理由は一つ——」
翔は、優を、挑発的な目で見た。
「あのママに、ホレてんだろ?」
優は表情も変えずに黙っていたが、ふっと諦めたように笑った。
「上原くんにはかなわないな。きみの言う通りだよ。でも、ママには気付いてもらえなくてね」
優が口止めするような動作をする。
「奏汰くんには、内緒ですよ」
翔は目を丸くし、そのまま笑顔で仕事を続ける優を見つめた。
本心なのか、冗談なのか、大人の男のポーカーフェイスは、翔には全く見極められなかった。
小さく舌打ちすると、濃いめのハイボールを、ぐいっと飲み込んだ。
いつの間にか、カウンターに俯せていた翔の肩を叩いて、蓮華が声をかけた。
「もう閉店よ」
「ちょっと酔っ払ったな」
「危ないから、階段の上まで送るわ」
会計を済ませた翔は、蓮華に付き添われ、階段に出る。
「実は、酔ったっていうのはウソなんだ」
にやっと笑い、翔が蓮華を見下ろす。
「やっぱり?」
蓮華は、驚きもせずに笑った。
「知ってて、のこのこ付いてきたのか。身の程知らずが」
純粋音楽青年は、影をひそめている。
蓮華の目の前にいるのは、野生の肉食動物が今にも獲物に食いつこうとしているのに似た姿だった。
「あたしはあなたのいくつ上だか知ってるでしょ? 年相応の経験くらいあるのよ」
「菜緒だって最初は気の強いわがまま女だったけど、今じゃ、俺に従順な女だぜ」
野生の男は壁に手をつき出し、獲物を追い詰めた。
「女が弱いシチュエーションなんだろ。どうする?」
蓮華の顎を指で持ち上げ、無理矢理、自分を見上げさせた。
蓮華は、キッと翔を睨んだ。
翔の視線は、その年齢を感じさせない、大人びた色気を帯びていった。
「放してよ」
言い終わらないうちに、翔が唇をふさいだ。
壁に頭を押し付けられた蓮華は、逃げ場もふさがれていた。
翔は、彼女の手首を掴み、それも壁に押し付けた。
唇が、執拗に追い求める。
抵抗していた蓮華の身体の力が抜ける。
女が堕ちるときの手応えを確信し、勝利した気になった時、蓮華が、うっすらと目を開く。
「……っていうのが、あなたの望んでたシチュエーションなんでしょ? ワインぶっかけた分の代償よ。これでチャラね」
翔から見た蓮華の瞳は、恋に堕ちた女でも何でもなかった。
「気が済んだ? あたしに仕返し出来て、奏汰くんにも仕返ししたつもりになって。だけど、世の中、あなたの言いなりになる女ばかりじゃないのよ」
納得がいかないとばかりに、翔も引き下がらない。
「この先に進めば、わかるはずだ」
「残念ながら、ここまでよ」
「こわいんだろ、俺が?」
蓮華は溜め息を吐いてから、顔を上げた。
「言わずに済めばと思ったけど、どうやら、言わなきゃわからないみたいね。あたしが、あなたとはここまでだって言ったのはね、その先は、……底が知れてるからよ。あなたは器用なだけ。あたしが感動するかどうかは、別問題だわ」
見るからにプライドが傷付いた翔は、逆上する一歩手前まで、顔を上気させた。
翔の剣幕に
「愛がなかったら、どんなにイケメンでも、ナンバーワン・ホストでも、愛のある可愛い男の子には勝てないに決まってるの。そこがわかっていないあなたに、どうやって、あたしの心が、奏汰くんよりもあなたの方を選ぶと思うの? 己の技を過信すると、それで身を滅ぼすのよ、恋愛でも、音楽でも」
「年上のくせに、まだまだ甘いな。お前らのが純愛だとでも信じてるのか? それこそ過信じゃねえか。もっと大人かと思ったら」
「そう聞こえるかも知れないわ。でもね、結局、原点はそこなのよ。それがわからないと、いろんな人との上辺だけの恋愛ごっこを繰り返すばかりだわ。わかってないから繰り返しているだけなのに、自分がモテてると錯覚してるのよ。無意味な復讐なんか時間の無駄よ、やめた方がいいわ。自分で自分を
翔の目が、揺れ始めた。
「あなたには才能があるんだから、音楽で頑張ればいいじゃない。あなたが恋愛で才能を発揮するとしたら、その相手は菜緒さんだけよ。他の女は、あなたのイケメン顔とシチュエーションに酔ってるだけ。そんな違いもわからないの? 照れてないで、格好つけてないで、ちゃんと彼女と向き合って」
「だっ、誰も、照れてなんか……!」
遮るように、蓮華は強い口調で続けた。
「その上で、奏汰くんと協力し合ったなら、最強のコンビになれるはず! あなたのギターにはあたしも感動したわ。あなたのギターになら、もう惚れてる。ミュージシャンなら、外見で惚れられるより、才能に惚れられる方が嬉しく思わない? あなたは既に菜緒さんの愛を手にしてるんだから、今後掴むべきは、プロミュージシャンへの道でしょう?」
翔には、その蓮華の言葉は、意外にもすんなりと入った。
持って生まれた整った顔を褒められるよりも、正直、努力を重ねてきたギターを褒められた方が嬉しい――そうかも知れない。
マンションのドアを開ける頃には、復讐を遂げたような気にもなり、蓮華と奏汰を
*
「まったく、『おのれの技を過信すると……』だなんて、よく言うよ」
私服に着替えた優は、呆れた顔で蓮華を見た。
ライヴの打ち上げが長引き、翔とも顔を合わせることなく遅れて駆けつけた奏汰は、心配そうに蓮華の隣に座る。
「翔には、ちゃんと俺も話をつけておくから。もう、あんまり危ない真似するなよ。心配だよ」
「大丈夫よ~。降りかかる火の粉は、自分でちゃんと振り払うから」
カウンターにそっくり返って座る蓮華は、二人の心配をよそに、ころころと笑っていた。
「火の粉、自分から招き寄せてる気もするけど」
「優ちゃん、何か言った?」
「いや、別に」
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