Ⅴ.(12)きみの瞳に恋してる
ゆかりやその他アーティストと共演する合間に、奏汰と翔は二人でもライヴに出演した。『J moon』にもライヴと、客としても時々行っている。
蓮華とは友人として、時々メッセージのやり取りはしていた。
ニューヨークに行ったことで、日本でもライヴとアルバム制作に携わり、演奏だけでなく作曲、アレンジも引き受け、表立ってはいないところで活動していて、今後のことをじっくり考える暇はなかった。
『J moon』のライヴの合間に、時々、制服を着た軽音楽部の高校生たちが、奏汰と翔に話しかけることもあった。
「弾いてみていいよ」と奏汰が自分のエレキベースを渡し、男子高校生がストラップを肩にかけ、おそるおそる弾き出す。翔もギターを貸し、弾き方を少し教えていた。
中には、父親とライヴを見に来た女子中学生がいた。
「楽器持って来てるなら、一緒にやってみようよ」
奏汰は、今にも飛び跳ねそうな、わくわくとした表情の女子中学生に目を留めた。
恥ずかしそうにしながらも、トロンボーンを取り出した中学生は、音楽が始まるとその世界に入り込み、メロディーを歌い上げた。翔のソロの間は裏手に回り、勘で
「上手いじゃん!」
「すごいな! 早くもジャズのノリを掴んでるし、もうアドリブ出来るの!? 俺なんか、大人になってからだったのに!」
「知ってる曲だったし、こうやったら合うかなぁって思っただけです」
翔と奏汰が目を丸くして感心すると、中学生は、きゃっきゃ笑った。
「今度、うちの吹部が、日本丸のパークで演奏会に出るんです。私、初めてソロやるんです。良かったら、見に来てください!」
飛び跳ねながら、奏汰と翔、蓮華、優、従業員にまで声をかけている女子中学生を、奏汰は心の中で「うさぎちゃん」と名付けた。
みなとみらい、帆船日本丸のあるパークでは、気候の良い時期に、小・中・高校・一般の団体も参加出来る吹奏楽の演奏会がある。
見に来て欲しいと言われたのが、「うさぎちゃん」こと、あの中学生トロンボーン女子であったことで興味が湧いた。
奏汰が蓮華との待ち合わせ場所に着くと、先に蓮華と優が来ていた。
二人は奏汰に気が付くと、どことなく気まずそうな顔になったのが、奏汰には気になった。
もしかして、俺、来たの早過ぎた? それとも、来ちゃいけなかった?
少し不安になった。
「あら、皆もう来てたの?」
奏汰の後ろから、ゆかりが声をかけた。
普段よりも薄めのメイクとカジュアルな格好で、奏汰でもすぐにはわからなかった。
「いえいえ、優ちゃんとは偶然会っただけで、あたしと奏汰くんは吹奏楽聴きに来ただけだから!」
「あら、別にいいのに」
蓮華が慌てているが、ゆかりは笑っている。
奏汰には、状況がよくわからない。
何かを察したゆかりが一瞬振り返ると、
「ごめんね、蓮華ちゃんも奏汰も、また今度ね! コウちゃん来てるから、撒くわよっ」
後半ゆかりは優に向かって言うと、優の腕を引っ張り、人混みに消えていった。
奏汰が呆然としていると、後ろから孝司が現れた。
「よお、奏汰」
「あ、香月さん、お世話になってます!」
「ゆかぽん、見なかった?」
「さ、さあ?」
「見つけたら教えて。まったく、バーテンダーなんてチャラい、バーテンダーなんてスケコマシ……」
ぶつぶつ言いながら人混みに紛れていく孝司の後ろ姿を、完全に消えるまで、奏汰と蓮華は無言で見送った。
もしかして、見てはいけないものを見てしまったんだろうか?
「……あのー、優さんとゆかりさんて……?」
「今はそっとしておいてあげようか」
蓮華は事情を知っているような笑顔で、彼ら三人のことにはそれ以上触れず、そこから早く移動するよう奏汰を促した。
よく翔と路上ライヴをやっていた桜木町の駅前から、ランドマークタワーを左手に、日本丸を目指す。
「あのトロンボーンの中学生、音感良かったし、いいセンスしてたよなぁ。今は、あんな子がいるんだね!」
「あの子は、素質がありそうだわ」
「PA講師の仕事もさ、弾く仕事の方を増やしたいので辞めますって言ったら、副学長に泣きつかれて、公演がある時は休んでいいから、今度はプロミュージシャンを目指す学生たちに実技を教えてくれって」
「すごいじゃない! 頑張って!」
「それとね、今度、俺がバンドリーダーでアルバム作ろうと思って、準備してるところなんだ。学校のスタジオも使えるから助かった。NY帰りだと何かと優遇されるけど、まだ帰ってきたばっかだから、これからゲスト探すし、ゆかりさん以外の人脈も広げていかないと」
蓮華の瞳が、興味津々に瞬く。
そんなところも、以前と変わらない。
「『ワイルド・キャッツ』は、デビューはしなかったけど、あの時、四人で試行錯誤した経験は、今でも自分の原点になってると思う。きっと、翔も。やらずにいられないことをやって、突っ走ってるうちに音楽の仕事をもらえるようになって。最初は自分だけでのし上がってやりたいって思ってたけど、そういうものじゃなかった。もちろん、自分だけで頑張ることもしないといけないけど、いろんな人に支えられてきた。いろんな人とのつながりが、偶然と思えたつながりでもすごく大事な縁だって思えた。だから、最近ライヴで話しかけてくる学生たちみたいに、未来のミュージシャンたちに協力することも大事だよな……って、考えるようになった」
「奏汰くんだって、まだ若いのに」
「もちろん、俺もまだ成長中で、とても見本とは言えないし、この先どうなるかはわからないけど、俺たちが挑戦し続けることで、誰かがそれをきっかけにして、何かを掴んでくれたらいいと思ってる」
帆船の側にある広場では、吹奏楽のステージが用意されている。
小学校から始まり、中学生の吹奏楽の部に入った。
最後に出場の学校に、うさぎちゃんが見えた。
最後列の中央辺り、ちょうどトランペットとの境にいる。
曲の途中で立ち上がり、短いソロを吹く。
「やっぱり、あの子、音感良いね!」
奏汰が耳打ちすると、蓮華も頷いた。
「この学校、よく金賞取ってるみたいよ」
「これ中学生の演奏?
最後の曲も終わり、アンコールとなった。
『きみの瞳に恋してる』
吹いている学生たちの親世代によく知られていて、コンサート等でカバーを披露するアーティストも多い。原曲をリアルタイムで聴いたことのない世代でも、親しみ、楽しんで吹いているのが大いに伝わる。
日々の練習量が膨大だろうとは、聴いてすぐにわかった。
聴けば聴くほど、封じていたものを突き動かされる感覚になっていく。
ふと隣を見ると、蓮華が涙ぐんでいる。
奏汰の中で呼び覚まされた想いが、形を成すように鮮明になった。
……この子たちに、教えられるなんて……!
演奏が終わると、奏汰も蓮華も惜しみなく拍手を送った。
ステージの奥から退場するトロンボーンと畳んだ譜面台を持ったうさぎちゃんと目が合うと、奏汰が親指を立ててみせた。蓮華も手を振る。
うさぎちゃんは元気な笑顔で、踊るような足取りになった。
「音楽はなくても生きていかれるもの。だけど、ただの『音』で、振動で、伝わってきているだけのことなのに、何がこんなに心に訴えるんだろう? 中学生の演奏でさえもこんなに感動するなんて……!」
二人の立つ広大な芝生からは、巨大な帆船も、赤レンガ倉庫も、ベイブリッジも、みなとみらいが一望出来る。
あまりの広さに、敷物を敷いて座る家族連れ、寝転ぶ人、駆け回る子供達がいても気にならないほどだ。
自分を見上げる蓮華の顔を見ていると、知らない間に言葉が出ていた。
「今さらこんなこという権利はないけど……今の蓮華さんと……一緒にいたい。未練で言ってるんじゃないんだ。再会して、何度も話すうちに、……側にいて欲しいと思った」
改めて、蓮華に向き直った。
「俺のこれから先の人生、蓮華さんに捧げたい」
蓮華の瞳が揺れ動き、しばらく言葉が出ない。
「……なんて言っていいか……。ひどいよ、奏汰くん」
さーっと、奏汰の顔色が変わった。
「ごめん! 俺の方から一方的に別れたのにこんなこと言って! だけど、今度は引かないから!」
蓮華は、てのひらで遮った。
「あたしは奏汰くんのことが好きだった。今まで好きになった子の誰よりも。この間、ゆかりさんのコンサートであなたたちを観たら、自分の進みたい道を真っすぐに進んで行くあなたたちを尊敬もして、嫉妬もしてた」
観てくれてたんだ……
あの時の翔との出来は、練習よりもリハよりも、いや、これまでで最高にうまくいった。それを……!
「再会してからのあなたは、少し大人っぽくなってた。コンサート観たら、やっぱり眩しくて、実際に話したら楽しくて、……一緒にいられたらいいなって、あたしも思った」
……ん? 怒ってるんじゃ……?
「奏汰くんがニューヨークに行く時、場合によっては別れなくちゃとも思ってた。なのに、奏汰くんが先に言っちゃうし、今だって先に言っちゃって、ひどいよ。……だから、あたしにも……」
蓮華は、奏汰を見つめてから、再び口を開いた。
「きみの瞳に恋してる。戻って来てからの奏汰くんを、また好きになったの」
……!
「一緒にいて。あなたが必要なの。やっと言えた。あたしは『ママ』だから、応援するまでだって……だから、ずっと、言ってはいけないと思ってた……」
瞳を潤ませた蓮華が、奏汰の胸の中に飛び込むのと、奏汰が抱きしめたのは同時だった。
「俺、また待たせてたんだね。待ってなくていいなんて言っておきながら……! ちゃんと自分の音楽を、味を、確立したかった。それを、また蓮華に見て欲しいとは思ってた。恋人としてじゃなくてもいいから、ミュージシャンとしての自分を認めて欲しかった」
「わかってる。だから、あたしも……」
蓮華の声が途切れ、すすり泣きに変わる。
「俺にも、蓮華が必要だ」
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