Ⅴ.(4)A列車で行こう!

「ちょっと! 割り込むんじゃないわよ! 前の車! 早く進みなさいよっ!」


 パーッ! パーッ! 


 ハンドルを叩いてクラクションを鳴らすアメリカ女性の運転する車内は、静まり返っていた。

 ニュージャージー州からニューヨークに向かう最中、捲し立てられる英語に圧倒されっぱなしだ。


「ホント、何から何まで無粋な真似してすみません」


 明日香、マークと車に乗り込んだ奏汰は、ケース入りのベースを抱えて座り、肩身の狭い思いで二人を見た。


「ああ、気にしないで」


 という明日香も、運転席から聞こえてくる、見えない相手を罵倒する声には、うんざりしていた。


 数あるビザの種類から、弁護士に相談し、なんとか奏汰に該当するものを見付けた。明日香とマーク、ライヴ共演した外国ミュージシャンたちに助けられながら英訳した膨大な書類、ゆかりのCD制作にかかわり、翔とともにちらっと専門誌に紹介された記事、名前の載ったライヴやコンサートチラシ等も加え、漫画雑誌ほどの厚さに匹敵するほどの資料を送り、申請されるまでの数週間、審査が無事に通るかと落ち着かなかった。


 弁護士費用だけは親に、出世払いと頼み込んで出してもらった。

 出演の証拠となるチラシや雑誌も、蓮華が収集して保管していたのが役に立った。

 彼女には、本当に、最後まで世話になっていたと思う。


 思い出すと、まだ治癒していない傷が疼くように、身体に響く。

 そんな時は、すぐに、彼女のセリフを思い浮かべる。


『自分の音楽を見つけるまで、日本に帰って来ちゃダメ』


 未練はすぐにはなくならなくても、後悔はしないと決めた。

 彼女も、あれが本意なはずだ。


 だいいち、彼女には、優がいるのだ。

 彼に彼女を頼んだのは、別れた罪悪感、罪滅ぼし、それもあるが、あの二人の方が、自分の中でも、しっくり来るのだ。

 徐々に、この疼きも、収まっていくはずだ。


 蓮華を思い出す度に、そうでも考えなければ、奏汰は安心に辿り着けなかった。


 切り替えなくちゃ! 新しい出発に!


 夕方、日本を出発し、機内で夜を明かした。十二時間ほどで到着だが、時差の関係で、自国を出発した時間と近い時間に到着することになる。ぐっすりとは眠れなかったので、夕焼けも朝焼けも機内で見ることが出来たのは、ちょっとした感動だった。


 空港に到着して、真っ先に、鍵盤奏者ベニー・ホワイトにメッセージを送るが、返事はなかった。指定されているライヴ・バーの場所も確認してあるので、約束の日に行けば会えるだろうと、それほど心配しなかった。それまでの三日間は自由だ。


 空港からマークの家は近かった。だが、マークの母が車で迎えにいくと言って一時間ほど遅れてきた。タクシーを使った方が、よほど早く家に着いただろうが、ニュージャージーにいる友人に届け物があり、ニューヨーク市内で家族で夕食をとる方が楽だからとマークの弟と妹も同行させ、着くなりあちこち移動するはめになった。


 息子のパートナーを持て成すための外食というより、一気に用事を済ませられて楽だからという理由に、少し奏汰は驚いたが、明日香はこの母親の性格を知っていて気にしていない。


 ハンバーガー・レストランでマークの父と合流し、食事を済ませた後、バーかライヴをやっているところに奏汰は行ってみたかったのだが、始終マーク母のペースであり、食後はまっすぐ帰った。


「明日の朝は、私たちはゆっくりするから、起きたら、冷蔵庫の物を適当に食べて」


 マーク母はそう言うと、さっさと二階の寝室へ行ってしまった。

 洋画で見たような広い部屋に、色彩豊かな絨毯が敷き詰められ、煉瓦作りの暖炉もある。

 なんという種類かはわからなかったが灰色に白い毛の混じった、長い毛に覆われた体長が1mくらいはありそうな老犬がどこからか現れ、びっくりしている奏汰を見ると匂いを嗅ぎ、吠えることなく、のっそりと通り過ぎていった。


 茶色と黒い毛が混じり、黄色の目をしたたぬきかと思うほど大きな猫も、リビングを見下ろせる二階の手すりの上に乗っている。


「猫には気を付けて。引っ掻くから」


 明日香が言った。


 奏汰は、三〇歳ほどのマークの弟からピンク・レモネードを出された。

 どうやら、未成年に見られたらしい。


 二五、六歳に見える妹マーシャは、マークと同じ金髪を無造作に結わえていて、派手過ぎない。日本が好きだと言い、妙な漢字の書かれたTシャツをジャケットの中に着ていて、明日香とは既に姉妹のように親し気に話している。


 マークの母は神経質で感情の激しい人物に見えたが、父親を始め、残りの家族は穏やかで、マークたちは、きっと父親似なんだな、と密かに奏汰は思った。

 弟は、普段は別のアパートに住んでいると言う。明日香はマークの使っていた部屋に、奏汰は弟の部屋に泊まる。


 翌日からは、ニューヨークを探検だ。

 明日香、マーク、マーシャと一緒に地下鉄に乗り、ニューヨークの街を歩く。


 地下鉄の駅構内で演奏しているバンドがある。通りすがりにチップを入れていく人や、立ち止まって、楽しそうに見物している人もいる。少し演奏を聴いてから、奏汰もチップを入れた。


「これがA列車!」


 ニューヨークとマンハッタンを結ぶ路線を走る地下鉄を、A列車と呼ぶ。

 スタンダードジャズの曲名にもなっているA列車は、見た目は普通の電車だった。


「一昔前までは、スプレーとかの落書きがひどかったけどね」


 明日香が笑う。


「デューク・エリントンの『A列車で行こう』は、いろんなアレンジがあって、汽笛を鳴らすようなアレンジもあったから、てっきり機関車だと思ってましたが、地下鉄のことだったんですね!」


 そう言いながら感動して見回す奏汰を、マーシャは冷ややかな目で見ていた。明日香とは楽しそうに話すが、奏汰のことは一歩離れて見ているように、表情や態度は打ち解けていない。


 明日香とマークが、結婚式を挙げる教会で打ち合わせをしている間、奏汰とマーシャはカフェで時間を潰していた。

 マーシャは、ずっとスマートフォンの画面を見ている。

 手持ち無沙汰だった奏汰も、同じようにしてみた。ベニーからは連絡がないが、まだ会うには二日ある。


「夜は、ライヴやってる店に行きたいんだけど、この店は、ここから近い?」


 拙い英語で尋ねる。

 マーシャは面倒そうに顔を上げ、奏汰の見せる画面に視線を移し、頷いた。


「良かった! ここのバー・レストランは、夕方直接現地に行けば、予約なしでもライヴに参加出来るんだよね? プロもアマチュアも関係なく」


「そう書いてあるね。行ったことないから、よく知らないけど」


 ぼそっと受け答えると、マーシャは黙った。

 早く参加したくてうずうずしている奏汰には、彼女の態度は、気にはならなかった。

 



 夜になり、奏汰が行ってみた店は、ライヴハウスという割には広さがあり、レストランやカフェのような明るい雰囲気で、隣の座席との間にもゆとりがあった。狭い日本の街との違いが感じられた。


 この日のバンドリーダーは黒人のピアニストだった。

 奏汰も他の奏者も、順番を言い渡されると、店内の一角に作られた狭いスペースの横に、列になって順番を待つ。


 通常のチャージを取るライヴが終わってから、アマチュアの飛び入りも交えた演奏タイムとなるため、24時を過ぎてから始まる。

 並んでいるのは、サックスやトランペット、クラリネット、ギターなど、ソロ楽器奏者が多い。ピアニストもたまにいた。

 この日、ベースは奏汰だけだった。


 ライヴ初心者には、簡単なKey(調)のブルースなど、リーダーが曲目を決める。

 奏汰の知らないジャズもあったが、演奏を聴くうちに、だいたい曲調を把握する。

 エレキベースを持参していたが、弾き終わると、「お前、ウッドベースは出来るか?」と、角でウッドベースをずっと弾いていた白人男性に訊かれた。

 出来ると答えると、ベーシストは自分と代わるよう言い、「ずっと弾きっぱなしで喉が渇いたのに、飲む暇もない」などと言いながら、カウンターで休んでいた。


 アメリカの客は陽気だった。

 立ち上がって近くまで見に来る者や、年配に見えるが踊り出す者もいた。 

 「Yeah!」など、かけ声や拍手、楽しくなったら踊る、それぞれが自由に楽しんでいる。

 それが、この国では当たり前なのだ。


 来て良かった……!


 明け方まで延々と続くライヴを、奏汰は出演者や客達と楽しんだ。


 ジャズが初めて録音されてから、一〇〇年が経つという。

 その祝いでもあり、街ではジャズがあふれていた。

 夜になると、路上で、学生たちのビッグバンドが派手に演奏を響かせ、ストリートに並ぶあちこちの店から、バンドの演奏が聴こえてくる。ジャズであったり、ロックやファンクであったり、ルーツはジャズでも斬新な音楽であったり様々だった。


 ドアが開けっ放しの店もある。

 通りすがりに店内の演奏を覗き込むと、知らない客たちが手を振り、奏汰も振り返す。


「楽しいですね!」


 歩きながら、奏汰がウキウキと、明日香、マーク、マーシャを振り向く。


「看板もオシャレだし、特徴ある店がいろいろあって、見てるだけでもいいですよね! 近くにカクテルの飲めるところって、あります?」


「この通り沿いにもあるよ」


 マークが見付けた店に、四人は足を踏み入れる。

 ヨーロッパ風のインテリア。光沢のあるテーブル席にかける。

 始めの一杯はジントニックと行きたいところだったが、カクテル王国と言われるアメリカなのだ。少し凝ったものでも注文してみることにした。


「ギムレットを」


 挑戦的な微笑みでそう頼んだ奏汰を、明日香が、ぽかんと見た。


「奏汰くん、初っ端からギムレットを頼むの? まあ、キミの自由だけどさ」


「はい。何杯も頼むと金がもったいないんで、いきなり行くことにします」


 出て来たギムレットを口にして、顔をしかめる。


「……ちょっと待って。これ、ギムレットなの?」


 きょとんとしている明日香たち三人に構わず、カクテルグラスを見つめ、もう一度口に含む。


「配合がなんか違う……」


「カクテルって、作る人によっても、ちょっとは違うんでしょう? キミは、優さんみたいにギムレットにこだわってる人の作るのを飲み慣れてるから、美味しくないように感じるんじゃないの?」


「それはわかってるんですけど、……他のも飲んでみてもいいですか?」


 注文したジントニックとサイドカーが目の前に置かれる。


「飲み比べるの?」


 明日香が笑う間に、一口ずつ味を見た奏汰は、がっくりと肩を落とす。


「配合以外の原因がわかりました。氷です」


 ロンググラスに入ったジントニックの氷を指差す。


「これ、氷屋さんの固い氷じゃなくて冷凍庫の製氷皿で作った氷だから、シェイクに耐えられずに欠けて溶けたんです。しかも、ちゃんと振れてない。このサイドカーは味が薄まってて、せっかくのブランデーがもったいないです」


 明日香は目を丸くし、マークは興味深そうな顔をして、奏汰の話を聞いていた。


「ジントニックもです。氷に直接お酒とトニックウォーター、ライムを入れますが、あまりかき混ぜると水っぽくなるからって、優さんは、ほとんど混ぜないんです。でも、これはガシガシかき混ぜちゃってて、水っぽい上に炭酸も弱くなっちゃってます」


「へぇー。私とマークがカクテル飲む時は、ホテルのバーだったからか、普通に美味しかったから、気が付かなかったわ」


「ああ、ホテルなら大丈夫かも知れませんね。良かった、今、マティーニ頼まなくて!」


「もー、カナタ、失礼よ! NYにだって、美味しいものはあるわよ!」


 突然、マーシャが、キーキーと怒り出した。


「ご、ごめん!」


 面食らいながら、奏汰は「思ったことを言い過ぎた!」と慌てて謝り、さらに怒られるはめになった。


 さらに面食らったのは、約束の日に指定されたバーに行くと、ベニーが一ヶ月ほど旅行すると知った時だった。


「え? だって、レコーディングは!?」


「気が乗らないから、延期だってさ」


 奏汰は、呆然と立ち尽くした。

 バーのマスターは、穴のあくほど自分を見つめ、二の句が継げないでいる奏汰に向かい、肩をすくめて言った。


「ようこそ、NYへ」

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