Ⅳ.(6)相乗効果

 ゆかりの影響で、奏汰も、モチーフ(メロディーの断片)が浮かぶようになったものの、それまでは、自分が曲を作るなどとは考えもしなかった。

 指慣らしに、遊びで、なんとなく、それらしく曲が出来ることもあった。


 メンバー内や、ゆかりにも、曲の評判は意外に良い。


「成長してんじゃん、奏汰!」

「ありがとうございます!」

「お前、生意気なだけじゃなかったんだな!」


 ドラマーやピアニストからも、認めるような言葉をかけられ、奏汰は礼を言いながら、ゆかりを見る。

 彼女の微笑みが、さらに彼を讃えている。


 ライヴが終わり、メンバーも帰った後、ホテルの最上階にあるラウンジに移った二人は、それぞれのカクテルを傾け、乾杯した。


「思い過ごしじゃなかった。あなたとは相性がいい気がするわ」


 キールの白ワインをシャンパンに変えたカクテル、キール・ロワイヤル。

 上品な赤い飲み物の中の気泡は、赤いベルベットのワンピースにちりばめられた宝石のように、暗がりの中の、わずかな照明を受けて輝く。


 女性的な曲線を描く、縦長のフルート型グラスを傾け、ゆかりが微笑んだ。

 普段はジンライムを好んで飲んでいる奏汰は、ベースのスピリッツをウォッカに変えた、ウォッカライムを頼んでいた。

 ジンよりも癖がない。なんとなく、そういう気分だった。


 透明な緑がかった酒のロックグラスを置くと、奏汰は笑って、ゆかりを見つめた。


「どうかな。俺はただ、尊敬と敬意を持って、ゆかりさんに接してるだけです」


「『彼女さん』の教育がいいのかしら? どんな人?」


「十年来の、あなたのファンですよ」


「そうなの? 嬉しいわ! ……ってことは……」


 目を見張るゆかりに、奏汰は照れたように言った。


「そうなんです、俺とは、十歳離れてて」


「ああ、わかるわ! だから、あなた、一回りも離れている私に対しても、物怖じしなかったのね」


「すみません、態度デカかったですか?」


「いいのよ、気兼ねしないでくれた方が、私も嬉しいんだから」


 笑いながらそう言うと、ゆかりは懐かしそうな目になった。


「初めはライヴに出ていてね、そのうち、ニューヨークのジャズ・ギタリストに呼ばれて。まだ二〇歳そこそこだった。アルバムの半分だけ、レコーディングで共演させてもらってね、あの体験が今の私の原点だったわ」


 奏汰は、相槌を打つと、静かに彼女の話に耳を傾けた。


「帰国後、それが話題になって、ジャズや音楽雑誌でも取り上げられて、デビューアルバムも認められた。それから、ずっとアルバムは売れ、海外のミュージシャンとも共演し、ライヴだけじゃなく、コンサートツアーまでするようになって、あっという間に、時は過ぎていったわ」


 ゆかりは微笑むと、まだ気泡が作り出されている、赤いカクテルを見つめる。


「若い時からずっと突っ走って来て、気が付くと、こんなトシになっていて。ジャズ界ではそこそこ知られて人気も出て来た反面、周りが遠慮したり、恋愛面でも手の届かない人と思われたり。日本人て、そういう気後れするようなところがあるでしょう? 相手がメンバーで年下だと、下手するとパワハラになり兼ねないし。だからか、どんどん孤独を感じるようになって……」


 困ったように笑ったゆかりは俯くと、奏汰の肩に頭を寄せた。

 大きくカールされた長い髪が、彼の背にこぼれ落ちる。


「あなたは応えてくれた。私を受け止めてくれた。ありがとう」


「そんな。俺の方こそ……」


 奏汰は、ゆかりの、ベテランならではと、年上の女ならではの孤独に触れると、放っておけない気になった。

 ゆかりの肩にかかる髪を、引っかからないよう背にやさしく寄せてから、肩を抱いた。


 それ以上、会話はいらなかった。

 そんなひとときでも、心地の良さを味わえた。

 そのまま、ラウンジから見える夜景を眺めていると、ふいに、ゆかりが顔を上げた。


「ねえ、奏汰の相手のひとって、髪長い?」


「えっ? よくわかりましたね」


「髪の長い年上の女が好きなの?」


「えっ!? そ、そういうわけじゃ……、いや、やっぱり、そうなのかな?」


 「なんでわかったんだろー?」という顔の奏汰を見て、ゆかりは笑いが止まらなくなった。




 奏汰にとって、久しぶりに、蓮華と昼間から会える日だった。

 部屋に入るなり衝動的に押し倒す奏汰に、蓮華はなだめるように言い聞かせた。


「そんなに急がないで」


「……ごめん」


 少々自分勝手だったかと反省するように、蓮華を起こしてから、抱きしめる。

 蓮華は何も訊かず、奏汰の頭を抱え、前髪からサイドの髪を手でいた。


「あの……、聞いて欲しいことがあるんだけど」


「うん」


 話があるに違いないと、わかっているような蓮華の返事だった。


「ゆかりさんとのライヴが上手くいって、二曲だけ、そのうち一曲は翔も一緒に、今度レコーディングにも参加することになったんだ」


「すごいじゃない!」


 蓮華が跳ね上がるようにして、座り直した。

 奏汰も姿勢を正すと、嬉しそうな蓮華を、真面目な表情で見下ろした。


「それで、あの……隠してたら不誠実だと思うから言うけど、俺、実は、ゆかりさんと、……音楽作りのための疑似恋愛関係って言ったらいいのかな、今、そんな状態で」


「そうなの?」


 蓮華は、まばたきをした。

 怒るよりも先に、驚いているようだった。


 いくらなんでも怒られるだろうと覚悟していた彼は、その反応には拍子抜けしたが、おずおずと話を続けた。


「ライヴが上手くいって、音楽的な波長が合ったっていうか、テンションが高くなってたところ、ダイキリに酔って、つい……」


「ふうん……」


 それだけ聞けば、事の始まりも成り行きも、蓮華には見当が付いたようだった。

 奏汰は殴られるのを覚悟して、身体中に力を入れて構え、蓮華の反応を待った。


「奏汰くんは、自分で思ってるよりも、かわいくてカッコ良くて、それでいて色っぽいんだから。自覚しなさいよ」


 指で奏汰の腕をつつき、そう笑った蓮華を、奏汰は注意深く見つめるが、彼女が心の底では怒っていて、彼を許さないようには見えない。

 少しだけ安堵すると、切り出した時よりも、スムーズに語ることが出来た。


「彼女の音楽が本当に好きで。感覚が似てるみたいで。彼女と疑似恋愛みたいな状態になると、ますます良い音楽を作ってくれてて……、彼女が言うには、インスピレーションになってるんだって。俺も音楽面で色々ひらめくことも多くて、曲作ったりしてるんだ」


「相乗効果ね! 感性が合えば、有り得ると思うわ。それこそ、あたしの望んだ理想的な関係だわ!」


 蓮華は、自分のことのように、ウキウキとしている。


「……言い訳に聞こえるかも知れないけど、俺、彼女には触れてはいるけど、断じて、それだけだから」


「チュウはしてるでしょう?」


「えっ……」


 唐突に踏み込まれ、防御する間もない奏汰を見て、蓮華は、くすっと笑った。


「あの、怒らないの? 怒って当然なんだよ? いっその事、怒ってくれたら、俺……!」


「そんなことよりも、奏汰くんが作曲してることとか、CDデビューすることが一番嬉しいっ! おめでとう!」


 蓮華は奏汰の首に抱きつき、さっそく、奏汰の作った曲を聴きたがった。


「ゆかりさんの曲とは全然違うのね。真似だったら怒るけど、良かった! 奏汰くんの好きそうな感じね!」


「うん。今までは、作ってみようと思っても、気負っちゃって、なかなか納得出来なかったり、中途半端で終わったりしてたけど、これは、あまり気負わず、すんなり出来て。ああ、次の曲なんか、皆で酒飲んでた時に『空を旋回してるようなイメージ』ってお題が出て」


「面白いじゃない! ちゃんと旋回するような感じしてるわよ、カッコいい!」


「スカイダイビングみたいに落ちて行く感じじゃなくて、パイロットが独り乗り用飛行機で昇っていく感じのつもりで。酔っ払ってたから指が回り切らなくて、……ほら、ここ!」


 苦笑いする奏汰に、蓮華も笑った。


「でも、のびのびしてて、いい感じよ」


「CDには当然入れてもらえないけど、なんか自分の作った曲を、皆で一緒に演奏してもらえるのって、恥ずかしい気もするけど、嬉しい方が上回るものだね」


 隣に座る蓮華が、奏汰の手に、自分の手を重ねた。


「ちゃんと、音楽面でも成長しているのね。安心したわ!」


 嬉しそうに蓮華を見てから、奏汰は恥ずかしそうに微笑んだ。


 曲は、奏汰と疑似恋愛関係になってからの、ゆかりの新曲に変わった。


 彼女のパワーが衰えることなく更に進化した楽曲を絶賛すると、蓮華は感心したように奏汰を見上げ、愛おしさのあふれた、和やかな顔つきになった。


「いい付き合いだって、聴けばわかるわ。奏汰くんが大人の女たちに認められるのがあたしの理想で、すごく嬉しいことでもあるのに……さすがに、ちょっと妬けちゃうかな」


 奏汰が、蓮華を強く抱きしめた。


「俺、ヘンかな? ゆかりさんのこと、きれいでカッコ良くて、可愛いとも思うし、尊敬もしてる。彼女の音楽が好きだ。でも、恋愛の真似事はしてても、心から愛してるって思ってるのは、蓮華なんだ」


 愛おしい視線のまま近付くと、蓮華が僅かに顔を背けた。


「ふ~ん。罪悪感なのか、やましさからなのか、はたまたバレたくないからなのか、『愛してる』をやたら連発したり、普段よりやさしくするのも、男の人が浮気してる時のごまかし方に多いのよね」


 そう言って、意地悪く微笑む。

 やっぱり怒ってたのかも知れないと思うと、奏汰は、ゆかりとのことを打ち明けた時の、真面目な顔つきに戻った。


「でも、ホントに勝手な言い訳かも知れないけど、……俺としては、浮気してるつもりはないんだ」


「は?」


 蓮華の目が、丸くなった。


 蓮華に怒られることは覚悟していても、謝ったり、ゆかりとの関係を断ち切るとも、そんなことを言うつもりは、彼にはなかった。

 自分でも不思議なほど、堂々としてしまっていた。


「俺も彼女も、恋人同士になりたいわけじゃない。疑似恋愛は、あくまでも音楽の一部だとか余韻のうちだとか、そんな感じで」


「はあ……」


 奏汰の言いたいことを、頭の中で理解しようと努めているように、蓮華は黙っていた。


「彼女にも、俺には本命がいることは話してあるし」


「いやん、奏汰くんたら! そんなこと言ったの? ゆかりさんが気を悪くしちゃうじゃないの!」


「……ヘンな心配するんだね」


 奏汰は苦笑してから、真面目な表情に戻った。

 蓮華も、少し真面目な姿勢になり、奏汰を見据えた。


「今のところ、お互いに疑似恋愛だって割り切ってるのね? 奏汰くんが単なる慰み者じゃないなら、安心したわ」


 ほっとして言う蓮華に、奏汰が苦笑した。


「こんなヘンな感情っていうか関係、理解してくれるの、蓮華だけだと思うから。ホントにありがたいよ」


「でも、あたし、……思ったより妬いてるかも。頭では、わかったつもりだけど」


 ぎゅっと、奏汰が蓮華を抱き寄せた。


「これだけは、わかって欲しい。俺もゆかりさんも『好きだ』とは言ってないんだ。『男女』という以前に、根底が『音楽』だからだと思う。それぞれの表現とかが気に入ってて、その延長上で疑似恋愛になってるだけだから。俺、蓮華のことは、一人の人として好きだ。それは、こんなヘンな状況になってる今でも変わらない」


 奏汰の腕がさらに強く抱きしめるが、蓮華の身体は、まだ完全に彼に預けられてはいない。強い抵抗ではなくとも、拒まれているのが伝わる。


「あ、わかった! 彼女と一線越えないようにガマンしてたから、さっきは、あんなに、がっついてたの?」


 笑って尋ねた蓮華に、奏汰は慌てた。

 唐突に恥ずかしくなり、安易だった行動を呪いたくもなった。


「違うよ、そんなんじゃないよ! 蓮華を好きな気持ちが抑えられなかっただけだよ!」


「どうだか」


「本当だって! どうしたら機嫌直してくれる?」


「う~ん、そうねぇ……」


 蓮華の表情を気にかけながら、奏汰が彼女の手の甲に口づけ、手首、腕へと、徐々に上っていく。


 蓮華は、ツンと横を向いた。

 まるで、「そんなんじゃ、あたしの気持ちは動かないわ」と言われているようで、必死になった奏汰が、さらに丁寧に触れていき、まったく拒まれてはいないと感じられてから、唇に口付けた。


「これは、蓮華だけにしてる」


 熱を帯びた唇が、再び包む。

 優雅な手つきで、蓮華の腕が奏汰の首に巻き付けられていった。


「とりあえず、今日のところは、許してあげる」

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