唐突な事件



 荒巻会長の「どうだかねえ」という予感は見事に的中した。お昼近くになってもさして客はやってこなかった。それどころか雨が再び降り始めたようで、更に客足が遠のいていく。


 海冶さんの話では普段はもっと沢山の客がやってきててんてこ舞いになるらしいので、やはり天候が悪いのだろう。


 客がこない飲食店というのはこうも暇なのかということを初めて知った。食器洗いをしようにも洗う食器がない。掃除をしようにも落とす汚れがない。料理をしようにも出す相手がいない。注文を取る相手もいない。何だこれは。


 この暇な事態にみんなは何をやっているのかというと、荒巻会長と奥道さんと海冶さんは一昔前の不良漫画の話題で盛り上がっており、白本さんは厨房の奥の休憩室――ソファーが一台あるだけの狭く簡素な部屋――で寝てしまっている。


 おれはというと、響からLINEで送られてくるお城やら有名な庭園やらの写真をぼうっと眺めていた。向こうも向こうで空模様が悪いから残念だろうな。


 にしても暇だ。剣也と電話で会話でもして時間を潰そうか。しかし一応はバイトをしている身なのだし、それはまずいか。


 ため息を吐きながら窓の外を見た。雨が少し弱まってきたように思える。

 そのまま再びぼうっとしていると、窓の外に傘を持った少年が現れ、引き戸がからりと開けた。


 直後、荒巻会長と奥道さんと話し合っていた海冶さんが慌てて立ち上がり、


「いらっしゃい! おっ、隆盛りゅうせい君じゃないか。どうしたんだい?」


 少年とは顔見知りのようで気安く声をかけた。

 隆盛というらしい少年はやや俯きがちに口を開く。


「えっと、焼きそば三人前ください。持ち帰りで」

「ソース? 塩?」

「ソース一つ、塩二つ……」

「はい了解!」


 海冶さんは颯爽と厨房に入ると、鉄板を温め始めると共に野菜をザクザク切っていく。おれは立ち上がる。


「何か手伝うことありますか?」

「麺を炒めてちょうだいな!」

「わかりました」


 冷蔵庫から麺を取り出し、鉄板の上に油を引いた。響が家にいないときは自分で料理をするので――食材を炒めるくらいならば――何も問題ない。


 油の様子を見て麺を鉄板の上にぶちまけた。すかさず金属製のしゃもじみたいなやつ(この器具の名前を知らない)を駆使して炒めていく。どうでもいいが、おれはこの食べ物を炒めるときのジュージューという音が好きだ。腹が減る気がする。


 隣でものすごい速さでキャベツやネギを切る海冶さんが顔を上げ、テーブルで所在なげな様子で座っている隆盛君に尋ねた。 


「今日はおつかいか何かかい?」

「そういうわけでは、ないです」

「じゃあ三人前全部食べるんだ! すごいねえ」

「いえ、そういうわけでも……まあいいや」


 海冶さんは手持ち無沙汰な隆盛君に気を遣っているのだろうが、当の彼は放っておいてほしい感じある。

 海冶さんもそれを察したようで、おれと麺炒め係を交代すると素早く三等分して、そのうちの一つをソース、二つに塩の味付けを加えてそれぞれをフードパックに盛り付けた。それらをビニール袋に詰めて、


「はい、お待ち」

「どうも」


 隆盛君は代金を置いて去っていった。


「知り合いなんですか?」


 海冶さんは頷く。


「ああ。町内会長の息子さんでな、ここらじゃけっこう有名人なんだ。町の清掃とかのボランティアにも積極的に参加している。まだ小学五年生なのに偉いもんだよ」

「へぇ」


 小学生にしては背が高かったように思う。まあクラスに一人くらいはそういう子はいるか。顔はまだ少し童顔だったが。

 海冶さんは腕を組み心配そうに言う。


「しかしさっきはいつもより暗かった。何かあったのかねえ……」


 見ず知らず年上三人がたむろしていたからかもしれない。

 奥の扉が開き、目を擦りながら白本さんが現れた。


「あ、白本さん起きたんだね」

「うん……ん?」


 白本さんは油が引かれ野菜の欠片が残る鉄板と屋内に漂う匂いを察知したようで顔を青ざめさせた。


「ご、ご、ごめんなさい! お客さんがきてたのに寝ちゃってて!」


 すごい焦りようである。


「落ち着きなよ白本さん。一人しかきてないから、海冶さんと二人だけで全然対応できたから」

「そ、そうなんだ……。でも、やっぱりごめん。わたしバイトとか向いてないから……」

「そんなに気にすることないよ。荒巻会長と奥道先輩の二人は起きてても何もやってなかったし」

「悪かったな」


 荒巻会長が憮然とした表情でカウンターから身を乗り出してきた。


「す、すいません」

「ま、ほんとのことだからそれ以上のことは言えねえけども。……それより伯父さん、そろそろ昼飯にしようぜ。どうせ客もこないんだし」


 海冶さんは腕時計を見た。


「お、もう十二時か。そうだな、飯にしよう。というか今日はもう店閉めよう。どうせ客もこないしな」


 海冶さんがぱぱっと焼きそばを作ってくれた。さらに魚の刺身なんかも出してくれた。流石に海がすぐ傍だけあって美味しかった。


 ただ、お昼ご飯を食べた後も雨はなかなか降り止まなかった。迂闊なことに傘を持ってきていなかったので、しばらく五人で談笑をしていた。奥道さんの不良時代の武勇伝や海冶さんの不良時代の武勇伝(不良だったらしい)やらこの辺りの地理の話をし、再び眠ってしまった白本さんが起きるのを待っていたらようやく雨が上がった。相変わらず曇っているけれど。


 時刻は二時半。この時点で帰ることができるのだが、海冶さんと奥道さんの波長が合ったらしく話し込んでしまった。


「最近の不良漫画にヒット作がないのはやはり時代のせいだと思いますよ。それに不良漫画自体が減っていますから。これも時代ですね」

「まあそうだよなあ。いまの人間は不良に嫌悪感しか湧かないだろうしな。今時、河原で殴り合うなんてできないし、そもそも喧嘩とかも警察がきて終了だからな」

「そうなんですよね。えぐい内容にするとしたら、別に題材が不良じゃなくてもいいですしね」

「そう、ギャングとかマフィアとかでいいんだよなあ……」


 何で近年の不良漫画事情を語り合っているんだろうか。

 その後しばらく語り合った二人は最終的に『やっぱり昔の漫画は面白いなあ』というふわっとした結論至った。


 旅館へ帰るべく海を家を出た直後のこと、向かい側から響たちがやってきていた。


「あれ、どうしたんだい?」


 雪村さんがきょとんと首を傾げながら訊いてきた。

 荒巻会長は砂浜を見渡し、


「こんな状態だから今日のところは営業終了なんだとさ。客はろくにこなかった。そっちこそどうしたんだよ?」

「こんな天気だからねえ。観光日和じゃないから、早いとこ切り上げてきたんだよ」

「それにしちゃけっこうな時間じゃねえか」


 雪村さんは苦笑いを浮かべて響を見た。


「それが、響ちゃんが魚市場にいきたいって言うから連れていってあげていたんだ。そしたらびっくりするぐらい長時間魚を見たり市場のおっちゃんと話し込んだりするもんだから」


 響は大きなアイスバッグを右肩からかけていた。

 おれは呆れてため息を吐いた。


「おい響」

「何も言わなくていいよお兄ちゃん。私だって反省してる。ちょっとテンション上がりすぎたってね」

「わかってるならいいけど……。すいません雪村さん。ごめん萩原さん。付き合わせちゃったみたいで」

「別に気にしてないからいいわ」

「僕もだよ」


 良い人たちで助かる。


「でも響。そのバッグどうしたんだ? そんなの持ってきてなかったよな?」

「ああ、これ? なんか売り場のおじさんに気に入られたみたい。アイスバッグを忘れて嘆いていた私にサービスしてくれたの」

「はあ……」

「今日は旅館の晩ご飯とともに、この魚のお刺身が出ますよ。厨房の隅っこを使っていいって雪村さんが許可取ってくれたから」


 自分でやらないと気がすまないらしい。


「響ちゃんって魚捌けるの?」


 白本さんの問いに響は親指を立てた。


「もちです。中学に親が漁師の先生がいまして、その人に教わりました」

「す、すごいね」


 七人で旅館へ戻ることになった。

 時間が余りに余りまくっているので、何をして時間を潰そうか、トランプとかしようか、というほのぼのとした会話を繰り広げていた。しかしこういう平穏ときに限って、厄介なことが起きる。


 つまずいた拍子にポケットから財布が落ちてしまった。屈み込んで拾い上げようとしたとき、視界の端に一瞬だけタイヤと靴が映った。


 何事かと顔を上げると、猛スピードで自転車を漕ぐ黒いジャンパーを着た人物の後ろ姿があった。


 危ないな。あのスピードでこの一団のすぐ横を通っていくとは。

 財布を拾い上げ、少し先に進んでしまっていまみんなに付いていく。例の自転車の人物を何の気なしに眺めていたら、その人物がおれたちのずっと先をいくご婦人のハンドバッグをすれ違いざまに奪い取った。

 全員が足をとめてしまう。自転車はそのまま右折し、路地へと消えていった。


 呆然とそのできごとを見ていたおれたちだったが、萩原さんと荒巻会長がハンドバッグを盗られて倒れ込んでいたご婦人のもとへ駆けつけ、奥道さんが警察へと電話をかけ始めた。


 おれの頭の中には駐車場の掲示板に貼られていたポスターが浮かび上がってきていた。『ひったくりに注意』。まさか犯罪を目撃することになるとは……。

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