恋愛相談室の主



「誰だ!?」


 驚いた剣也が声の発せられた方向――扉側を振り返った。おれも釣られてそちらを向く。

 長い艶やかな黒髪をした女子生徒が腕を組み、扉に背中を預けて立っていた。すらりと背が高く、『できる女上司』のような颯爽としたオーラをまとっている。


彩音あやねさん……聞いてたんですか」


 丈二が声に驚きを滲ませつつ言った。


「お、おい、丈二。この方は一体?」


 突然美人を前にして目の色を変えた剣也がややテンパりながら尋ねた。


「彼女は俺の先輩にして、この恋愛相談室の部長を務める――」

纐纈こうけつ彩音よ。二年生。よろしく」


 軽やかな足取りで髪を靡かせ近づいてきた纐纈さんは剣也に右手を差し出した。『できる女上司』のような雰囲気の影響か、一挙手一投足がいちいち決まっている。

 剣也は自分の手をズボンで拭くとその手を握った。決め顔で言う。


「浅倉剣也です。丈二とは中学からの付き合いです。趣味は……まあ色々。特技も色々です」


 お近づきになるために自分の情報を多く相手に伝えたいのはわかるが、唐突すぎて完全に空回ってしまったようだ。

 しかし纐纈さんは特に気にした様子もなく、


「なるほど。……あなたは?」


 いきなり振られてびっくりする。剣也に続いておれにも手が差し出されたので握手しておく。


「あ、生野亨です。おれも丈二とは中学からの付き合いで」

「オーケー。剣也と亨ね。……それから、依頼人のあなたは?」


 突如として現れた闖入者に驚いてぽかんとしていた伶門さんが我に返った。


「え、ええと、伶門小波でございます。ご迷惑をおかけしております」


 どうやら彼女もテンパっているらしい。

 それを見て取った纐纈さんは伶門さんの肩に柔らかく手を添えた。


「緊張する必要はないわ。あなたは依頼人なんだもの。ただ話したいことを話せばいい」

「お、おお……。ありがとうございます!」


 伶門さんが感動したような声を上げた。が、おそらく彼女自身なぜ自分が感動しているかわかっていない。たぶん纐纈さんの『できる女上司』オーラの持つ謎の説得力の力なのだろうが。


 丈二が咳払いをした。


「それで、彩音さん。俺が『甘い』というのはどういう?」


 纐纈さんは思い出したかのように指ぱっちんをした。


「それね。貴久、私はあなたのその人情味と洞察力は高く評価しているわ。けれど、あなたにはまだ少し『人の心』の知識が足りていないのよ」

「ひ、人の……心?」

「ええ。もちろん他の人間と比べたら十分な知識を有していると言えるけれど、お悩み相談を請け負っている者としてはまだまだ甘いのよ。その証拠として、いまも間違えているわ」

「ま、間違っている……!? ど、どこをですか?」


 纐纈さんは華麗な動作で伶門さんの隣に腰掛け脚を組んだ。


「この問題の最重要ポイントを、小波ちゃんと彼が喧嘩した理由だと捉えているところよ」

「…………!」

「違うんですか?」


 絶句する丈二に代わりおれが尋ねた。纐纈さんの鋭い双眸がこちらに向く。


「重要なポイントであることは確かよ。けれど重要ではないの。貴久はなまじ洞察力や思考能力が高い分、それを活かして相談を解決しようとする癖があるわ。そのために相談相手から様々な事実を聞くのだけど、当然今回のようなケースも出てくる。そうなったとき、いまのやり方は通用しない。わかるかしら、貴久?」


 丈二は悔しそうに膝の上で握り拳を作ると呻くように言った。


「ええ、わかります。悔しいですが彩音さんの言う通りです。確かに、俺は依頼人のプライベートに踏み込みすぎていたかもしれません。恋愛は学生最大はプライベート。それを根掘り葉掘り訊くなんて、恋愛アドバイザー失格ですね……」


 そう自嘲気味に笑った。いや気にしすぎだろ。

 落ち込む丈二に纐纈さんは優しげな声をかける。


「貴久、私は別にあなたを責めているわけではないわ。ただ弱点を指摘しただけ。よく考えてみて。あなたはそのやり方で何人ものカップルのキューピットになってきたじゃない。決して間違っているわけではない。自信を持ちなさい」

「でも、どうすれば?」

「臨機応変よ。状況に応じていままでのやり方と『これからのやり方』を切り替えていけばいいじゃない。今日はいい機会だし、その『これからのやり方』を見せてあげるわ」

「彩音さん……」


 丈二の瞳に気力が戻る。


「かっけえ……」

「うん……」


 纐纈さんの威風堂々とした言の葉に剣也も伶門さんも酔ってしまっている。あれ、おれたちは何しにここにきたんだっけ? ……あ、そうだ。伶門さんの悩み相談の付き添いだ。


「それで、結局今回の件で一番重要なのはどこなんっすか?」


 剣也が尋ねた。

 纐纈さんは「それはね」と呟くと、伶門さんに視線を移した。


「小波ちゃん、あなたがその彼のことを、異性として好きなのか否かよ!」

「え!?」

「これが何よりも重要なことなのよ」

「何でそれが重要になるんですか?」


 おれは素朴な疑問を呈した。


「問題解決のための方向性を決定づけるからよ。単に友達として好きなら気負う必要はないわ。友情の修復は世間で言われているよりずっと簡単だからよ。勇気を出して謝るだけで十分。それが大切。……けれど、これが恋なら話は別よ。恋は人を臆病にも積極的にもさせる。小波ちゃんは明らかに前者の匂いを持ってるわ。そうなると――」

「嫌われたくない嫌われてたらイヤだという思考が強く働いて、謝るに謝れなくなる、というわけですね?」


 丈二の言葉に纐纈さんは頷いた。


「ご明察。そしてそうして時間が経ちすぎると『もういいや』という感情が出てきて、恋が終わるの……」


 纐纈さんは切なそうに言った。なるほどなあ、と剣也も呟く。恋愛経験皆無のおれには恋心はよくわからないのだが、まあそういうものらしい。


 自分に当てはめて考えてみる。そう、仮に白本さんと喧嘩をしてしまったらどう思うだろう。……駄目だ。白本さんと喧嘩をするビジョンが見えない。ならば委員長と喧嘩を……うん。こっちもビジョンが見えない。あの二人は優しいので人と争わないのだ。そして、そもそもおれ自体が誰かと喧嘩をしたことがないので、そういうイメージを思い浮かべることができない。


「改めて訊くわよ、小波ちゃん。あなたはその男子のことが異性として好きなの?」


 纐纈さんは伶門さんを真っ直ぐに見据える。

 伶門さんは顔を真っ赤に染め、消え入りそうな声で返答した。


「す、好き……です……」

「ならばよし。それを踏まえてアドバイスをしましょう」

「よ、よろしくお願いします」

「まず、いま陥っている事態をマイナスに受け取っては駄目。そう考えれば考えるほど何もできなくなってくるわ。だから、このトラブルを恋の障壁と捉えるのよ」

「恋の、障壁?」

「ええ。恋愛の成就には大なり小なり壁が立ちはだかるものでしょう? 小波ちゃんはいままさにその壁にぶつかってるのよ。その壁を乗り越えたときこそ、その恋が成就するとき。そう考えるの」

「な、なるほど。それで、どうすればいいんですか?」

「ん? それだけよ。プラス思考を勇気に変える。彼と付き合いたいという想いを抱いて謝るのよ」


 伶門さんは少しがっくりとしたようだ。


「それだけ、ですか……」


 纐纈さんはクールに返す。


「当たり前でしょう。私はあなたたちが喧嘩をした理由を知らないんだもの。これを解決できるのは小波ちゃんの勇気だけよ。私はその勇気の出し方を教えてあげただけ」


 そう言われたら伶門さんは何も言い返せない。詳細を話したくないと言ったのは彼女なのだから。

 伶門さんは少しの間沈黙すると、自分の両頬を叩いた。


「わかりました。やってみます」


 その目には決意の色が宿っていた。しかしすぐに自信なさげな顔になり、


「けど、大丈夫でしょうか? 私、怒られるんじゃないかって思って、彼からの電話やメール、全部無視しちゃってるんですけど……。これ絶対にまずいですよね?」

「それも正直に謝りなさい。それくらいのことも許してくれないような器量の小さい男なら、どの道小波ちゃんには相応しくないわ」

「そ、そうなのですか……」


 元も子もない答えに伶門さんはたじろぐが、すぐに冷静な表情に戻った。


「今日はありがとうございました。ちょっと頑張ってみますね」

「私は当然のことをしただけよ。迷える子羊を救うのが、私の仕事だもの」

「ほぉ……。やっぱかっけえっすね。大人の女って感じがしますよ。きっと恋愛経験も豊富なんだろうなあ」


 剣也が纐纈さんに尊敬の眼差しを向けながら言った。その言葉に纐纈さんは咽せたかのように咳き込む。


「どうしたんですか?」


 気になったので訊いてみる。

 纐纈さんは頬を微かに赤らめ遠い目をするだけで答えてくれなかった。彼女に代わり丈二が口を開く。


「彩音さんは俺と同じで彼氏いない歴――」

「貴久シャラップ!」


 纐纈さんの怒鳴り声が室内に木霊した。……あんたもかい。



 ◇◆◇



 谷津川高校は丘の上にあり、下るとすぐに駅に向かう生徒とは別れることになる。そのため伶門さんとの下校も一瞬にして終わった。


「二人とも、今日はありがとね。ちょっとだけ勇気が出てきたよ」

「そっか。それはよかったよ」


 ずっと訊きたかったことを訊くことにする。


「伶門さん、そういえばさ、その彼ってどういう人なの?」

「どういう人って?」

「見た目とか」

「んーと、背が高くて体格がいい体育会系みたいな逞しい見た目だよ」


 反射的に剣也と顔を見合わせた。……やっぱりそういうことなのか。

 伶門さんはそんなおれたちを頭の上に疑問符を浮かべながら見つめていたが、電車の時刻が近いことに気づいて大慌てで駆けていった。


「どう思う、剣也?」

「そうだな……。何か面倒くさくなりそうな気がする」

「同感だ」


 翌日。おれたちの勘は的中し、面倒くさいことになった。

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