第4話 女の武器と糸と枷
「何かしらの情報を拾えるかと思って、アヴァンを訪れたけれど――」
谷の底から戻り、一度クルーデを着替えさせた後にアヴァンを訪れた二人だったが――辺りを漂う様々な食の香りに足が鈍る。馬車を使っての移動とはいえ日は既に落ち始め、人々が明日の準備へと移り始める時間帯である。
「まずは腹ごしらえと行こうじゃないの。どこで食べようかしら」
「……あそこでいいんじゃないか?」
そう言ってクルーデが指したのは《壁の穴》と書かれた看板だった。扉にも同様に書き殴られた店名も合わせて、他の料理屋とは似ても似つかない程に浮いている。その客を呼ぶ気などさらさらない店構えに、思わずフラルは眉根を寄せた。
「……嫌よ、あんな汚そうなところ。美しい人というものは、美しい物を食べるだけじゃなくて美しい場所で食べる義務があるのよ」
悩んでいる様だったから提案したのに、ここまでの酷い言われよう。自分もそうだが、店からしてもいい迷惑だろうとクルーデはため息を吐く。
「……お前は人じゃないだろうに」
「かといって畜生でもないわ。貴方だけならあんな家畜小屋みたいな場所でもいいでしょうけどね、私がいる前では私の愛玩動物らしく振舞う努力をしなさい」
フンと鼻をならすと、フラルは大通りを真っ直ぐ抜けていく。それに黙って付いていくクルーデ。向かった先はアヴァンの中でも一際大きな宿屋で、でかでかと豪華な看板を軒先に立ててあった。
宿屋の主人らしき男が、フラルの姿を見るなりカウンターから出てくる。この主人もまるで外とは別世界の住人とも言える身なりをしており、まるで貴族付きの執事のような上品さでもってフラルを迎えていた。
「空いている部屋はあるかしら」
「もちろんでございます。最上級のひと時をお楽しみくださいませ」
料金の催促なども無しに、主人はカウンター内へといそいそと戻っていく。迷うことなく二階へと続く階段へと向かうフラルにクルーデは、他の客とは明らかに扱いが違うことに戸惑う。
「……剣はいいのか?」
「もちろん、一般のお客様なら安全のためにこちらで預からせていただきますが、フラル嬢のお連れ様でしたら、それも特例とさせていただいております」
クルーデが見るとフラルは既に二階へと上がっており、それに慌ててついて行く。二人はそこから更に階段を上がり――短い階段の先には扉が一つ。どうやら三階にあたる部分には部屋は一つしかないらしく、フラルは迷わずその扉を開ける。
「――――」
部屋の内装はフラルの別荘と同等かそれ以上の豪華さで。照明も調度品も、何もかもがクルーデにとっては新品のように見えるほど。まるでフラルのためだけに用意されたような部屋に、驚きを隠せずにいるクルーデ。
そんな彼を、当のお客様である彼女が急かす。
「あなたのその剣を置いたら食事にするわ。もたもたしないで」
「……全然落ち着かないんだが」
「ずっと緊張していなさいな」
小さく切り分けた食事を口に運び、咀嚼し、飲み込み。フラルは一つ一つの動きにも優雅さを纏いながら、食事を進めていく。
「私たちは落ち着きに来たわけではなくて、食事にきたのよ」
表通りの屋台群とは打って変わって、喧騒に混じるような談笑をしている者など一人もいない。明るさは感じられても、温かみが感じられない。そんな――どうにも公室的な、硬質的な雰囲気の中でクルーデは食事を口に運ぶ。
「別に‟私たち”ぐらいになると、食事をとる必要も殆どないのだけれどね。環境に溶け込むためにしておいても損はない、そんな程度。――まぁ、あの子は少し変わっているから、好き好んで食事に拘りを見せていたけれど」
「あの子……?」
「…………」
流石に物を頬張りながら喋るような下品なことはしないようで、クルーデの問いを無視しながら食事を再開するフラル。恐らくこの質問は何事も無かったかのように流されるだろうと、クルーデはフラルの食事の様子を眺める。
左手と右手で別々の食器を使い、器用に食事をとっている姿を見ると――先ほどまでの様子が嘘のように思えて。そこらの人間よりも、より人間らしく。実際にあの竜の姿を見たものでなければ、二人が交わしている会話の内容すら冗談と笑い飛ばすことだろう。
「――……」
フラルが食事の手を止め、クルーデの方を睨みつけていた。
「……どうした」
「女性のことをそんなにジロジロ見ないことよ、行儀の悪い」
ずばり正論をぶつけられ、クルーデはしぶしぶと食事を再開する。味は一級品なのにも関わらず、なんとも言えない居心地の悪さを感じながらの食事だった。
――そうして食事を終えた二人。特に急がなければならない旅でもないと、フラルはわざわざ日没後の行動を良しとせず。ならばとさっさとベッドに就いたクルーデだたが、フラルがおもむろにクルーデの剣を取り、出て行こうとしたため慌てて飛び起きる。
「……おい、待て。それをどうするつもりだ?」
「貴方のいた場所に繋がるかもしれない、大事な手掛かりですもの。次に向かう場所を探すに決まってるじゃない」
勝手なことを言いながら廊下を抜けていくフラル。黙って行かせるわけにはいかないとクルーデは後を追い、フラルが二階の階段を降りていく途中で引き留めるのだった。
「探すってどうやって――」
「――女には女の武器があるの」
「そいつはお得意の糸や枷のことか?」
ちっとも要領を得ない返答と、その余裕の滲み出ている笑みに苛立ちを覚えたクルーデは皮肉交じりにそう言うのだが――気分を害した様子も見せずに、フラルは彼の額をピンと指で弾く。
「――っ!?」
――それはクルーデの想像以上に重たい一撃で。ともすれば、首を痛めるんじゃないかという程で。不意を打たれた形に、倒れはしないものの大きく仰け反ってしまう。
「そんな反応しか返せないんじゃまだまだねぇ。少しは慌てる表情が見えてもいいものだけれど。と・に・か・く、貴方は大人しくしてなさい。もうベッドに繋がれて眠るのはこりごりでしょう?」
『邪魔をするな』と、無下に追い返されてしまうクルーデ。別にあれならば心配する必要もないだろうと、ため息を吐いている間に――フラルはさっさと階段を降りて、剣を抱えながら別の客に声をかけていた。
――あらあら、もしかして旅の御方かしら。
――えぇ、身に纏った雰囲気からして違いますもの。
ちらりと階段の先にいるクルーデをちらりと見て、含みをもった笑みを飛ばすフラル。いったい何を言いたいのか。その意図がさっぱり分からずクルーデは舌打ちをする。
「ちっ……勝手にしろ」
――いろいろとお聞きしたいことがあるのですけれど――
――よければ向こうでお酒なんて――
それから四、五時間ほど経過して。特にすることもなく、ぼんやりと部屋の中でクルーデが休んでいたところに、フラルが扉を開けて戻ってくる。中で寝ているクルーデを起こさないように気を遣ったのか、音もなく静かに扉を押していたのだが、その口からは愚痴が漏れ出ていた。
「あーやだやだ。ホント嫌になるわ。尻尾振りながら鼻息荒くしちゃって――」
一言声をかけようと、ゆっくりと身体を起こすクルーデ。剣を置いたフラルの方を見ると、その表情にはうっすらと疲れが見えた。
「……戻ったのか」
「あら、起きてたの」
クルーデが起きていたことに気が付いたその時から――いつもの、余裕を示す笑みが戻っていた。飼い主の余裕、というものを見せつけるためか、はたまた単にクルーデに心配されるのが嫌なのか。
「……それとも、私が帰ってくるまで待っていてくれたのかしら?」
「……別に」
あからさまな笑みを浮かべながら問いかけるフラルに、クルーデは面倒臭そうに短く答え、極上のベッドに身体を沈める。
部屋の外に出て何かしたといっても、下で店主や他の従業員と少し話をしたぐらいで。ただ連れてこられただけのクルーデに対しても非常に丁寧に接してきたことから、フラルがこの店で余程の権力を持っているのが痛いほど理解できたのだった。
「で、何か情報は――」
「明日は日が昇ったらすぐに出発するわ。さっさと寝ておきなさい」
眠りに落ちる前に聞いておこうと声をかけたところを、フラルにぴしゃりと遮られ――クルーデはそれ以上何も、聞くことができなかった。
――朝。クルーデが目を覚ますと、既にフラルは身支度を済ませていて。
「早く顔を洗ってきなさいな。それが終わったら出るわよ、騒がしい朝ほど気分の悪くなるものはないでしょう?」
「…………?」
彼女の物言いを疑問に思いながらも、さっさと身支度を済ませる。そして――二階へと下りた段階になって、その疑問の答えが明かされる。
『――おい! その鉄枷、いったい何があったんだ!?』
並んでいる一室の客が――昨日の夜、フラルが話しかけていた二人組の片割れが、扉のそばでなにやら騒いでいた。話を聞く従業員に必死に説明しているのを無視して、フラルはどんどん階段を降りていく。
『相方が『今晩は上玉を捕まえた』って大喜びでよ、気を利かせて俺は外で飲み明かしてたんだよ。それなのに帰ったらこんなことになってて――』
「なっ――」
大きく開け放たれた扉の奥に見えたのは――下着姿になった男が、赤金の鉄仮面を被せられ、手枷足枷をされた状態で天井から逆さ吊りにされた姿だった。
「ゆうべはお楽しみだったようですね、フラル嬢」
「まさか。あんなのは遊びのうちに入らないわ」
「お前か……」
まさに気分の悪くなるという‟騒がしい朝”だった。それはもう、問題を起こした本人なのだから、さっさと出たくもなるだろう。
「代金には色を付けておくから後始末はお願いね」
「――畏まりました」
入口まで見送りに来た使用人が丁寧にお辞儀をする。店内で起きた不始末は、店側によって跡形もなく握りつぶされるのだろう。いったいどこまで力を持っているのかと、クルーデは開いた口が塞がらなかった。
「結局、世界中を旅したと言っても口だけだったわ。本当につまらない男」
「…………」
何をしていたかなど、聞けるはずがなかった。
「剣の装飾から出身を探そうというのは、我ながら冴えたやり方だと思ったのだけれどねぇ。ともあれ、ここで当たりを引かなくても向かう場所は決めていたし、早く行きましょう。あそこなら間違いなく判明するはずよ」
「‟間違いなく”とはまた大きく出たな。……そいつは何処なんだ?」
「――
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