第3話 赤金の左腕
「さて、貴方の記憶を取り戻すことが私の目的になるのだけれど――まずは貴方の落とし物を探すことから始めましょうか」
――場所は再び大渓谷の底。フラルが先を歩く形で、クルーデはしぶしぶと後ろをついていく形で。首輪から伸びた鎖で繋がれ、引かれている様子はペットを散歩させるそれである。
しかし蓋を開ければ、そんな呑気なものではなく。先にフラルが言っていたように、クルーデの落し物――彼と共に落下していた剣を谷底へ拾いに行くためだった。
「でもその前に――」
フラルの力で武器など簡単に生成できるのだが、リスクも無しになんでも、無尽蔵にとはいかない。女の身体から出た赤金は、その分彼女の身体を削っていく。文字通り、身を削って何かを作り出すのが彼女の能力である。
もちろん、生成したものを後から取り込むことも可能で、普段は使用した鋼線もその都度回収していた。結局のところ、身体から切り離す必要のある剣などは外部から入手した方が、負担も少なくて済むという理由である。
「貴方の
フラルが振り返ると、未だ不満げな表情をしたクルーデの姿が。
それもそのはず、『運命の赤い糸』とは言っていたが所詮は首輪と鎖。自らの自由を奪われて、それを許容できるほどはクルーデの心は広くはなかった。――いくら、記憶喪失で中身が何もないとは言えども、そのような理不尽が入るスペースなどは無かった。
とはいえ、流石に街中では人目があるため、フラルも首輪を収めていたのだが――どうやら糸を付けているらしく、隙を見て逃げ出そうかと考えていたクルーデに『どこに逃げて分かるわ』と耳打ちをするのだった。故にクルーデは、しぶしぶ彼女に付いていく他なく。
記憶もなく、左腕もない状態で。ただ漫然と生きていくだけならば、なんとかなったのかもしれない。――が、追われるとなっては話は変わってくる。
「肘から先も無ければ、未来も無いなんてな……」
先無き腕を抱え、クルーデは独り言ちる。残っているのは名前だけで。それ以外の何もかもが失われていることが、こんなにも不便なことだとは。運よく命だけは拾い上げられたとしても、こんな未来は望んでいなかったと。
「安心しなさい。私と来れば未来はあるわ。……言うことを聞いてくれるのなら、肘から先も用意するけど?」
そういう彼女の口調からは冗談の気配などはない。その身なりや、別荘を所有している身分からして、義手の一つや二つを用意することなど些事に過ぎないのだろうと、クルーデはあたりを付ける。
……人目のない今なら、あるいは。隙さえあれば、もしかして。
そんな考えが、クルーデの頭を過ぎる。
「……俺が素直に言うことを聞くと思うか?」
――目の前の女性が命の恩人なのだとしても。この先、一生を彼女のペットとして生きていくのは彼の許容範囲を超えていた。あの時、一瞬で自分の自由を奪った技のタネは分からないが、目の前にいるのは細腕の女性ただ一人。それさえ凌げば、あとは力づくで諦めさせることも吝かではなかった。
「剣さえあればお前なんて右腕一本でも――っ!?」
口で言っても分からぬのなら、行動で示すまで。そう啖呵を切り終わる前に、クルーデは息を呑む。なぜならば、さっきまで目の前にいた美女が――今では巨竜へと姿を変えていたから。
「右腕一本で足りるのかしら。あんなに無様に転がされていたのに?」
この場での
空気を震わせる程の神々しさを持った、その竜の身体を。
全身が薄っすらと赤い光沢をもって。その鱗はまるで鋸の刃のように隙間なく埋め尽くされており、触れたもの全てを微塵に切り裂きかねない。その姿にクルーデは――崩れ落ち、震える。
「はあっ……はあっ……はっ……」
「…………?」
胸を抑えて苦しそうに喘ぐクルーデ。彼の普通ではない様子に、フラルは人の姿へと戻る。そして彼女が一瞬だけ見ることができたクルーデの心の内側、新たに湧き出した、奥底から掘り起こされたものは――
「これは――っ!?」
己を飲み込むように大口を開けた黒い龍。
――
「キビィ……」
――本当に、あの崖の上で何があったのだろう。クルーデに見たあの映像が本当のものならば――宿主を捨てたのでなければ。ここにいるクルーデは、何故こうして生かされているのだろうか。こうして情報を得た今でも、フラウは何一つ読み取ることができない。
「中身だけ――黒い靄だけを食べた?」
――結局、前に進むしか真相を知るための方法は無かった。
「……なんにせよ、これで分かったでしょう? 抵抗なんて無駄だって。とりあえず大人しく付いて来なさいな」
「…………」
落ち着いたころを見計らって。フラルがほら、と手を振り上げただけでクルーデの身体がふわりと浮き上がる。それは魔法――ではなく、クルーデに付けられていた糸によるもので。それにしたって、クルーデからは何をされているのかも理解できていなかった。
「――ほら、探しなさいな」
「……んん?」
そうして辿りついたのは、フラルがクルーデを拾い上げた場所。
「何を不思議そうな顔をしているの。貴方の剣なのだから、貴方が探しなさい」
「なんでわざわざ俺一人で――っ」
反論しようとしたところで、フラルの瞳が怪しく光る。――それは『口答えは許さない』という無言の圧力で。再び竜の姿を出されてはかなわないと、クルーデはすごすごと引き下がるのだった。
「――なんでこんな効率の悪いことを…………なんだ?」
「
二人は――とは言ってもフラルは見ているだけで、殆どクルーデ一人であたりを探して。全くフラルが手伝わないことを愚痴っていた彼の背後から、魔物の唸り声が重ねて響く。
「……おい。魔物だぞ」
武器の無いクルーデでは対処の仕様がない。今まで反抗的な態度を取っていた対象に頼るのは些か気分が悪いものの、彼には他の選択肢など存在しない。
しかし、そんなクルーデの考えも虚しく。フラウから返ってきたのは、全く状況を理解していないかのような声だった。
「――それがどうかして?」
「なっ……冗談を言っている場合じゃないんだぞ!?」
地上のそれとは違う、魔物同士が喰い合うような厳しい環境で生きてきたモンスターたちが、じりじりと二人の元へとにじり寄ってくる。飛び出すタイミングを今か今かと計っているようだった。
「くっ――!?」
そのうちの一匹が飛び出し、クルーデが身構える。魔物相手に素手で戦うなんて言語道断なのは重々理解していても、他に方法があるわけでもなく。向こうの牙を右腕で受けるべきか、そこからどう反撃したものか、必死に考えを巡らせるしかない彼の後ろで、フラルがふぅとため息を吐いた。
「仕方ないわね――ほら、妙な気は起こさないようにね」
フラルが右手を振るうと、遥か後方に落ちていたのであろう長剣が真っ直ぐに二人の元へと飛んできた。クルーデはその剣の柄をしっかりと掴み、そのままの勢いで飛びかかってきた魔物へ向けて横薙ぎに切り払う。
「見つけてたのならさっさと渡せっ――」
飛んできた魔物を、一振りで切り捨てたクルーデ。記憶では憶えていなくとも、それの扱いは身体が覚えているらしく――少しだけ大振りな気がしたものの――クルーデは、いつでも相手の動きに反応できるよう剣を構え直す。
「なかなかいい剣じゃないの。これで最低限、自分の身は自分で守れるわね」
次から次へと飛びかかってくる魔物を片付けていると、一際大きな個体がその後方から現れた。その個体は後ろ足で立ち上がると、二人を威嚇するように吼える。
「……こいつが親玉か」
間合いを取りながら剣を振るうクルーデだったが、先ほどとは打って変わって固い皮膚に少しの傷がつくだけ。――右手一本だけでは明らかに力不足だった。牙を躱し、爪を受け止め、大きく後ろに跳んで距離を取るクルーデ。軽やかに着地した瞬間だった。
「――っ!?」
唐突に見えない何かに引っ張られ、クルーデは危うくバランスを崩しかける。そのまま、地面を蹴ると――身体は自然とフラルのいる場所に引き寄せられた。
「なんなんだ一体! 黙って見ている暇があるなら――」
「『お前も手伝え』でしょ? 分かってるわよ、仕方ないわねぇ」
そう言った次の瞬間には、既に変化は起きていた。フラルの身体に――ではなく、クルーデの身体に。今まで空白となっていた左腕のスペースに、薄く赤のかかった金色の義手が収まっていた。
飛びかかってくる魔物の親玉。岩をも軽々と砕きかねないその一撃を、クルーデは真っ向から受け止める。そして、そのまま一歩踏み出し――
「オオオォォォォ!」
今までのものとは、速度も重みも違う。両腕を使った、体重の入った一撃。それはクルーデ目がけて伸ばされた片腕を軽々と断ち切り――更に、反す刃で魔物の首を撥ねた。
まるで噴水のように噴きあがる魔物の血に、フラルは眉を顰めながら一歩下がる。
「これは……」
身体に血を浴びるのも構わず、まじまじと己の新しい左腕を眺めるクルーデ。今は開きっぱなしになっているが、魔物を切り倒す瞬間には確かに剣の柄を握っていた。
「私の身体を少し分けてあげたの。ある程度は離れていても動かせるから。別に剣を握るだけならそう難しいことでもないわ」
「お前の身体……?」
クルーデの脳裏に浮かぶのは、竜化した時のフラルの姿。左腕に収まっている義手からは、あの時の全身を覆う金属の鱗と同じ輝きが発せられていた。
「自分の身体である金属を操る力――」
突如現れた手枷や足枷、首輪やそれに繋がっていた鎖。見えない糸に、この義手。その全てがフラルの力によるものだと教えられ、クルーデは呟く。
「最低限、これぐらいの相手も一人で倒せるぐらいじゃないと。私に飼われてるんだから、無様な格好を晒すのはよしてよ。あと――付いた血は綺麗に拭き取りなさいよ。一応、私の身体なのだから」
相変わらず眉を顰めたままに、フラルはクルーデの左腕を指さしながら言った。
「――錆びさせたらタダじゃおかないからね」
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