第11話 館での惨劇、激突の二人

 唯一とも言える大きな窓は、板張りにされて塞がれている。部屋の所々で上がる黒炎によって室内は照らされており、映し出された光景にテリオは肌が粟立つのを感じていた。


「こいつは酷いな――」


 二人の目に映ったのは、真っ赤に染まった床、壁――そして、入口に停めていた馬の主であろう団員達。一人は剣で壁に縫い付けられ、二人は血の海に沈んでいた。


「うぅ……」


 ――くぐもった呻き声が、テリオの耳に微かだが届く。


 一つ、二つ、三つ。全員が、辛うじて息のある状態だった。それを確認して、落ち着きを多少取り戻したテリオは鞘から剣を抜き、クルーデを見据える。


「なぜ? お前を連れて帰りに来たんだよ、クルーデ」

「……俺は『邪魔だ』とはっきり言ったぞ。自分から殺されに来るなんて――馬鹿だな、お前は」


 血の臭いが充満する部屋の中、傷一つ無く静かに嗤うクルーデ。その瞳は、以前と同様に虚ろで。ぼんやりと義手である左腕を眺める様は、まるで夢心地にいるよう。


「使えば使うほど――馴染んでいくのがよく分かる」

「……クルーデだったか。その力、取り返しのつかないことになるぞ」


「取り返しのつかない? 取り返すものなんて何もないさ」

「――っ!」


 静かに警告するキビィに対しての、吐き捨てるようなクルーデの言葉。思わず口を突いて出たテリオの呼びかけは、今や叫びへと変わっていた。


「俺たち三人、小さい頃から仲良くやってただろ? 帰って来てくれよ! ミーテが待っているんだぞ! お前の代わりなんていないんだ!」

「――どの口がそんなことを……!」


 ギリリと奥歯を噛み締めるクルーデ。その眼には、怒りの色が浮かんでいた。


「――っ! テリオ、奴を止めろ!」


 クルーデの様子の変化に、いち早く気づいたのはキビィだった。剣も構えず無防備に見えるクルーデだったが、テリオも直ぐに嫌な予感を感じ取る。


「クルーデ! 止め――」


 剣を振るうテリオに対して、クルーデは後ろに飛び退きそれを躱した。そして回避と同時に、義手をかざすような動きが見え――


 ――ボゥッ。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁ!」


 着火音と共に上がる悲鳴。壁に縫い付けられていた団員の体が、腕が、一気に燃え上がる。黒い炎は燃え広がることなく、左腕の一点に留まり――その激痛に耐えかね暴れた結果、左腕を壁に残したまま団員の身体は床へと落ちた。


「見てみろ、お前が邪魔をするから――」

「――っ! クルーデぇぇぇ!!」


 これ以上はやらせまいと、斬りかかるテリオ。クルーデも剣を抜き、鍔迫り合いとなり。二人の距離は一気に短くなる。


「もうやめろ! こんなことを続けて何になる!?」


 ――ルヴニールの村での攻防とは、まるっきり逆の形。テリオの勢いに任せた斬り下ろしに対して、クルーデは切り上げで受けるも大きくよろめいていた。


 重力に従って振り下ろし威力を増したテリオの剣に、騎士団として戦ってきた経験も、義手のアドバンテージも虚しく。クルーデは徐々に押し込まれてゆく。――しかし、その表情に諦めの色は見られず。ただただ、敵意だけをテリオへと向けていた。


「俺は……お前のことをずっと疎ましく思っていた」

「――っ!?」


 クルーデの口から吐き出された言葉に、一瞬だけ怯むテリオ。しかしその一瞬だけでも見逃すことなく、クルーデは攻勢へと出ようとする。


「――灰になれぇ!!」


 クルーデが義手を翳すと、テリオの足元から炎が上がる。一瞬早く反応していたテリオは、素早くそれを躱して剣を薙いだ。振るわれた刀身はクルーデの――伸ばされた義手に、勢いよく叩きつけられたのだった。


 ミシリと鳴る、薄い金属のひしゃげる音。その衝撃は義手の付け根にまで伝わり、激痛にクルーデの表情が歪む。


「……!? テリオ、やはりお前は……」


 ――部屋の中心から窓際へ。テリオから距離を取ったクルーデは、忌々しそうに呟く。そして、使いものにならなくなった義手をぶら下げたまま、板張りの窓を破り、外に飛び出したのだった。


「待てよ! ――っ!?」


 追おうとしたテリオだったが、例の黒炎が窓を塞いで往く手を阻む。


 一瞬で団員の左腕を焼ききった炎である。テリオには迂闊に触れることも、剣を振るって吹き飛ばすような芸当も出来ず。ただ自然に消えるのを待つしかない。


 炎は数秒で消えたものの、既にクルーデの姿は無いのだった。


「ここで無理に追っても無駄に終わるだろう。……奇跡的にだが、まだ誰も死んではいない。一旦街まで連れて帰り、話を聞くべきじゃないか?」

「……っ。急いで戻ろう」


 このまま追うべきか逡巡するテリオだったが――キビィの制止により、アルデンへと戻ることにした。






「そうか、君まで追ってきてしまったのか……」


 連れ帰った団員たちが目を覚ましたのは、それから一時間後のことで。宿屋の主人が、街に残っていた他の騎士団員を呼んできたおかげで、三人ともギリギリのところで命を繋いでいた。


 起きて傍にいたテリオに話しかけた団員は、ファリネであった男と同様に、小さい頃のテリオを知っている様子だった。


「私たちを助けてくれたことについては礼を言う。しかし、君も見ただろう、あの屋敷での惨状を」


 仲間だった団員達を手にかけ、黒い炎を操っていたクルーデ。三対一という有利な状況だったにも関わらず、全員が瀕死の状態にまで追い込まれてしまったのは――元々の剣の腕に加えての謎の黒い炎により、手も足も出なかったためだった。


「クルーデはもう……人としての枠を超えている。彼の使っていた炎は、ここらの地方では殆ど見かけないが、魔法かそれ以上のものだった。いや、むしろ魔物の――」

「……やめてください」


 団員の言葉を遮る様にテリオが呟く。


 血は繋がっていなくとも、同じ孤児院で成長してきた家族。

 刃を交わした今となっても、それは変わらないことで。


「……それでも幼馴染なんです。一緒に育ってきた家族なんです。だからこそ、俺には義務がある。暴走してしまった家族を、殴ってでも――義手でない方の腕を切り落としてでも連れ帰る義務が」






「彼が向かうとすれば、エストラだろう」

「……エストラ」


 団員にクルーデが次に向かうであろう街の名前を教えられ、静かに口の中で繰り返すテリオ。そんな彼に――先ほどから椅子の背もたれに背中を預け、様子を眺めていたキビィが補足を加える。


「様々な薬草が取れることで有名な場所だな。傷ついた体を癒すには最適だ」

「詳しいな、キビィ」


「薬草の他にも香辛料が採れることでも有名だからな!」


 尊敬の眼差しが急に冷めた瞬間だった。キビィの相変わらずの様子に『はぁ……』とため息を吐くテリオ。


「この大陸は大きな渓谷によって分断されている。ここから向こう側に行くには、アヴァンから先に用意された道を通る他ないだろう」


「つまり、十分に追いつける可能性は残っている、という話だ」

「次の目的地か――」


 キビィの言葉に、テリオは窓の外を見る。


 夜闇は深く、静かに辺りを包んでいた。こんな中では足元など見える筈もなく、馬車など到底走ることなどできない。それでもクルーデは――この闇の中で一人、エストラに向かっているに違いなかった。


「君の言葉だけはクルーデに届いていたな。私たちの時は一言も交わすことのないまま、次々と仲間が倒されていった……。君ならあるいは――」

「自分たちよりも若い青年に、こんなことを頼むのも情けないことだが……」


「いえ、いいんです。さっきも言ったように――これは義務みたいなものですから」


 そう言ってテリオは、右腕の義手へと視線を落とす。同じ時に、同じ場所で。互いに痛みと喪失感を共有した、ただ一人の親友。絶対に止めて見せると、心の中で再度誓うのだった。


「……今日は休んで、それからアヴァンに向かおう。今度こそ――」

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