第9話 海の上のご馳走!
キビィへの脅威が去ったところで、やっと一息つくテリオ。切り落とされたまま残った触手は、デッキの上をビチビチと跳ねまわっていた。
「……こいつはなんだ?」
「魔物の触手――というより、足だな。このまま本体が出てくる気配もないし、切り離していく方が早い。テリオ、頼んだぞ」
あたりに残った人がいないことを確認して、二人は船の前方へと向かう。船員たちは相変わらず、銛で触手を近づけまいとしているのものの、既にマストに巻き付いている一本だけは、どうすることもできないでいた。
「あれのせいで身動きが取れなくなっているのか――」
このまま船が沈んではクルーデを追うことができなくなると、テリオは魔物の触手へと向かっていくのだが――
「くそっ!」
生物の身体とは思えない程の弾力に剣を弾かれてしまう。先ほどキビィを助けたように、左腕だけの力ではなく体全体で剣を振るうのだが、それも虚しく受け止められたのちに弾き返されてしまった。
「おい! さっきの斬撃はどうした!?」
「あれは――狙ってできるものでもないんだよ!」
生半可な攻撃では意味が無い。――線でだめなら点で。力が足りないのならば、やり方を変えるまでと、テリオは剣を構え直して鋭い突きを放つ。これが功を奏したのか、触手に剣先が沈んでゆき――ぷつんという音とともに一気に切り口が広がっていく。
「いまだぁ!」
テリオが剣を引き戻し、間髪入れず同じ場所に剣を振り下ろすと、表皮に守られていない部分にするすると刃が飲み込まれていく。面白いぐらい簡単に切れた触手は、マストに絡みついた先端だけを残し海中へと退いて行った。
「次は――!」
「――いや、今ので最後らしいぞ」
テリオはキビィにそう言われ、剣を収めて周りを見回す。流石に足を二本も持っていかれたのは堪えたのか、触手は全て引っ込んでいたのだった。
「ひやりとした部分もあったが……中々やるものだな、テリオ」
「今回はお前の相性が悪い相手だったからな。下手すると全滅しかねなかったぞ」
『やっぱり私の目に狂いはなかったということか』と自慢げに胸を張るキビィに、テリオはやれやれと肩を竦める。
――先程の嵐のような喧噪はどこへやら、海は静けさを取り戻して。魔物の束縛から逃れた船の上では、渡航を再開するために船員たちが損傷部の修理に回っていた。その中で船長はテリオたちを見つけると、礼を言うために近づいていく。
「ありがとよ! 一時はどうなることかと思ったぜ!」
握手の為に右手を出すものの、テリオの右腕は義手である。それに気づいたのか、船長はテリオの左手をがっしりと取ると、力強く握るのだった。日に焼けた、海の漢の太い腕。戸惑うテリオの横からキビィが声をかける。
「――さて、船長よ。一つ頼みがあるのだが……」
「あんたらは恩人だ。なんでも言ってくれや」
『金か? 船か? 今なら船員の一人ぐらいは付けるぜ』と冗談を飛ばしながら答える船長に、キビィはじゅるりと涎を啜りながら望みを伝える。
「鍋と火を貸してほしい」
「……まさか食うつもりか?」
テリオは、依然として後ろでビチビチと跳ねている触手に目を向ける。見ていて気分の良くなるものでは決してない。ましてや、それを食そうだのと誰が思うだろうか。テリオが不安になりながらキビィを見るも、彼女は腕を組みながらフンと鼻を鳴らしている。
「食うに決まっているだろう!」
「どう見ても食える代物じゃないだろう!?」
テリオが悲鳴のような声を上げるも、キビィは捕食者のような姿勢を崩さない。それどころか、食材の下準備を手伝わされる始末。
「ほら、こいつは皮を剥く必要がある。テリオ、出番だぞ」
「どうしてこんなことに……」
ぬめりで覆われた触手に、恐る恐る切れ目を入れていくテリオ。戦っている間はいくらかの恐怖があったのだが、今では不気味さしかなかった。不満を零しながらも順調に刃を通していき――そして一通り皮を剥き終わり、中の白い身の部分だけが取り出される様子に、キビィの顔から笑顔が漏れ出す。
「よし、さっそく頂くぞ。一口大に切ってくれ」
「やっぱり生で……!?」
剣についたぬめりを拭い取っていたテリオが驚愕する。その表情に擬音を付け加えるとするなら、間違いなく『ひぃっ』といったもので。これには、流石に他の乗客からもざわつきの声が上がっていた。
「確かに、海の上では獲れた魚を生で食うこともあるが……、こいつは規模が違い過ぎるぜ、嬢ちゃん」
「小さいものが食えるのならば、大きいのも食えるに決まっている!」
「いや、その理屈はおかしい」
こうなると止まらないようで――爛々と一口大に切り分けられた刺身を口に放り込み、咀嚼を始めるキビィ。ギュムギュムという咀嚼音。噛めば噛むほど滲み出てくる旨味に、恍惚の表情を浮かべていた。
――ゴクリ。
あまりに美味しそうにしている表情に、他の乗客たちも唾を飲み込む。
「数も十分にあるし、他の者も食べても構わないぞ? 大勢で食うのも醍醐味だ」
キビィがそう言ったのだが、まだ抵抗があるようで――船員たちも少し食べていたが、結局のところキビィ一人で大半の部分を食べ尽してしまっていた。
「もう一本は、どう食べたものか……。やっぱり茹でるか?」
「まだ食うのか……」
出港前に食事を済ましているのを知っているだけに、呆れるテリオ。
「
「さぁ! ありったけの塩を持ってこい!」
テリオが、何をするのかと思い眺めていると――塩をまぶして、触手を揉んだり叩いたり。触手を覆っているぬめりを取っているが故の行動なのだが、触手にボコスカと殴り掛かる様は、あまりにも猟奇的に映っていた。
「沸いた湯は用意しているな!」
「おうよ! ばっちりだぜ、嬢ちゃん!」
「仲良くなりすぎだろう……」
すっかり意気投合してしまったキビィと船員たちを見て、テリオはため息を吐く。
そんなテリオを放って、調理はどんどん進行してゆき――ぬめりを落としさっと茹でた触手は、鮮やかな赤色へと変わっていた。出来上がったモノに満足だったのか、キビィは『ふむ!』と大きく頷く。
「ま、こんなものだろう。私自身が料理をすることなど滅多にないのだが、今回は特別だ」
鮮やかな赤とぷりぷりの白身、そして先ほどの刺身の味によって、すっかり食欲を刺激されてしまった乗客たち。今度こそは自分達もと、キビィの元へと集まっていく。そして、味の方は言わずもがな――感嘆の声が、あちらこちらから上がっていた。
「ほら、お前の分だ」
「出発する前に食っただろ? 俺はいいから――」
「いいから食え。ほら」
勢いに押されて、テリオも一口だけ料理を食べる。
「う、美味い……」
素直に、そう一言口にしていた。料理を切り分けたのは、テリオである。その時にも感じていたことだが――噛んだ時の感触が、生の時よりも柔らかくなっていた。それでいて、噛み切ると口の中で旨みと共に弾ける食感もある。初めて味わう感覚だったものの、不思議と受け入れることができていた。
「こういう食材に出会えるから、旅というものは最高なんだ」
流石にこれだけ食べると膨らんだのか、お腹を擦って満足そうにしているキビィ。その表情を見て、テリオも少ならからず『こういうのも、悪くないな』と思えたのだった。
「――着いたぜ。ここがグラチネだ」
そうして数時間の渡航ののち、船はグラチネへと到着する。
「ありがとう、なかなか良い船旅だったぞ」
「こちらこそありがとうよ。アンタらがいなかったら危なかった」
「帰りも是非とも利用してくれよな!」
「はい、そのときはまた。ありがとうございました」
船員たちに別れを告げ、アルデンへと向かおうとした二人。テリオがリナードとはまた違った街並みに目を奪われていると、ちょうど傍で話していた船乗りたちの会話が耳に入ってきた。
「その様子だと、アンタらンとこも派手にやられたらしいなぁ」
「あぁ、こっちは当分の間は出港は見合わせだ。魔物が凶暴化したとあっちゃあ、おちおち海に出ることもままならねぇ」
「騎士団の人達も来てるらしい。なにか関係があんのかね?」
「俺は、何かを見つけたとか言って騒いでいたのを見かけたぜ。すぐに元通りになってくれりゃあ、万々歳なんだが――」
――騎士団、クルーデへの追手。それが『何かを見つけた』と言っていたという。多少の遅れはあったものの、まだ間に合う、追い付くことができると二人は駆け出す。
「……テリオ」
「あぁ、急ごう。きっとこの先に――クルーデはいる」
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