007 きしむ日常

 僕は村を囲う柵を出て、畑から川に向かっていた。


 あの後、戦士様が家に送ってくれた。

 家の近くまで来てびっくりした。昨日まであんなに大きく頼りがいのある場所に見えていた家が、酷くみすぼらしく見えたんだ。

 掘っ立て小屋、というのはさすがに酷いけど、オンボロの木造の家。柱も屋根も歪んでる。大きな嵐が来たら倒れると思う。多分、横に建っている牛小屋の方が頑丈だと思う。

 中には母が待っていた。

 母の姿も記憶と違っていた。

 母の服装はみすぼらしい。服は継ぎ当てだらけだし、布地も薄汚れている。いつもあんなに「綺麗にしなさい!」って僕たちを怒ってたのに。母の顔の作りは整っている。けど、痩せこけて不健康な顔だ。二十代の筈だけど、ずっと年上に見える。そりゃ、いつもあんな粗食じゃしょうがない。

 母は僕と一緒に戦士様が来たのでおどおどしている。元々人見知りで、父にも思ったことが言えない人。

 戦士様から何か言付かった後は、這いつくばらんばかりだった。

 とても悲しかった。

 何が悲しいか僕にも分からないけど。


 母に手伝いが無いことを確認すると、僕は家から逃げ出した。


 五月の朝。ひんやりとした空気。綺麗に晴れた空では太陽がのんきに照っている。穏やかな風。

 道沿いの秋まき麦はもう少ししたら収穫。麦の背は1mしかない僕とほとんど変わらない。ただ、僕のと比べると随分


 村の川は大きい。河原も広い。でも、底は浅かった。治水対策がされてないんだと思う。川岸から10mは離れた所から、立ったまま川を眺めて居ると、ロジャーおじさんの声がした。


『坊っちゃん、何をそんなに悩んでいらっしゃるんで? 普通、ギフトが有ったりあんなクソでかい泡倉なんて代物を眼にしたら、浮かれちまうもんじゃないですかい? あの神官みたいに』

『やっぱり、実感がわかないんだよ。僕は昨日ばかりで、を全然知らない。自分の家がどんなご立派な物かもさっき知ったばかりだし。自分の母親が、自分の前であんなへーこらする人だってのもさっき知ったんだ。父親と兄がどんな風にのか、僕は怖いよ。

 僕の泡倉は確かに凄いんだろうね。縦横500kmなんて想像も付かない。

 鑑定結果も凄いんだろうね。神官様達があんなに驚いてるんだもの。

 でも僕にはそれがどれほどの物なのか、ちっとも心に響かないんだ。だって普通を知らないんだから。

 だから僕は、なんか置いて行かれたような気分なのかもしれない』

『さようで。しかし、あっしは、もうちっとばかり五歳らしくはしゃいで欲しい気がしまさー。……あ』

『どうしたの?』


 頭の中で何かがはまり、ロジャーおじさんが言いたい事が分かった。

 何か近くに居る。

 少し離れたところに、犬が三頭いる。野犬だ。大きい。四つ足の状態でも僕の肩くらい。のしかかられたら終わりだと思う。


「……」


 にげよう、と、声に出したつもりだったが、喉の奥が張り付いたかのように動かない。そのまま後ろを向いて走り出そうとするが、足が動かない。動けば後ろから襲いかかられる。

 後ろを向けない。

 できない。

 できなければ、襲われる。

 おそわれればしぬ!

 こわい!

 さむい!


「すいやせん。坊っちゃんの戦闘能力を忘れておりやした。魔物だけ引っかかるようにしてたもんで、気がつきませんで」


 ロジャーおじさんが隣に立っていた。暗い色の上等な服。右手に短剣。とは言っても刃渡り50cm程の物。左手は開いている。

 体の力が抜けた。歯を凄い力で食いしばっていたみたい。意識してなかった。

 もう大丈夫なんだと思った。


「あ、そーいや、あっしは人目がある所では基本出てこれないんで」


 そう言うと、ロジャーおじさんは普通に野犬の方に歩いて行く。これから戦うという風じゃ無くて、ちょっと道ばたで知り合いに会ったような気安い感じ。

 野犬は歯を剥いて唸っていたけど、尻尾がお尻の下だね。

 ロジャーおじさんは、犬と数mのところまで近づいた所で、唐突に短剣を頭上に振りかぶり、地面に振り下ろした。途端、大きな音がして、地面が爆発したみたいに土砂が吹き上がった。

 ほぼ同時に、ギャンッ! と野犬の悲鳴が聞こえる。

 土砂が収まると、野犬は全部倒れてる。一瞬だ。すごい。どうやったんだろう? 短剣で切ったのかな?

 野犬は数秒したところで立ち上がった。ロジャーおじさんを見ながら後ずさっている。そこに


「オラァ!」


 と、ロジャーおじさんが怒鳴ると、野犬はひゃん! と情けない声を出しながら逃げていった。前から思ってたけど、ロジャーおじさん柄悪いよね。服は上等なのに。

 しかし、こんなにびびってしまうとは思わなかった。もう少し冷静なものだと思ってたけど。なんでだろうなぁ。

 等と考えていると、ロジャーおじさんが周りを見渡しながら戻って来た。

 多分次は大丈夫。


「ねぇおじさん、なんで殺さなかったの?」

「死体を処理するのが面倒で。って坊っちゃん、さっきまであんな様子だったのに大胆なことを聞きやすね?」

「確かに僕もずーずーしいと思う」


 つい苦笑いしてしまう。


「じゃぁ、戻ろう」

「へい。そりゃ構いやせんが、心の整理はついたんで?」

「うーん、全然整理ついてないね。でも、そろそろお昼の手伝いも有るだろうし」

「坊っちゃん、五つにしちゃ分別良すぎまさぁ」


 ブツブツ言いながらロジャーおじさんが視界から消え、僕は川から家に帰った。


 家に戻ると、母がパタパタ忙しそうにしていた。手伝うことを伝えると、優しい笑顔で喜んでくれた。水を運んだり、次に使うものを渡したり、火の調整をしたりしていると、母が褒めてくれた。


「あら、サウルちゃん今日は悪さもせずにお利口ね。お陰で早く準備が終わって、母さん助かったわ」


 しばらくすると、不機嫌そうな父とへとへとになったブラス兄が帰ってきた。既に昼食が用意されていたのに驚いて、僕が手伝った事を知ると、二人とも顔をほころばせる。


「倒れたときにはびっくりしたぞ。神官様は何もおっしゃらなかったが、悪いもんでもついたんじゃないかって、言った奴がいたもんだから肝が冷えた。もう大丈夫なのか?」

「うん、もう大丈夫だよ。鑑定もしてもらったんだ」


 渡された黒いタブレットをみんなに見せる。


「あ、サウルそれいいな! 俺にもくれよ」

「ブラス兄ちゃん、これは僕のだから上げられないよ! 欲しかったら神官様にお願いして!」


 そこで、あぁ、と母が


「そうそうあなた、サウルが戻って来たときに戦士様も一緒にいらっしゃったのよ。それでサウルを本鑑定してくださったそうなんだけど、お代は要らないって」

「本鑑定といえば、相当高かったんじゃ無かったか? お前、ちゃんと何か渡したのか?」

「え? 戦士様はお代は要らないって……」


 目をぱちくりさせる母。その様子にいらだったように父が言葉を重ねていく。

 ガミガミ同じ事を繰り返す父と、おどおどしてしまって何も言えない母の様子を横目に急いで昼食をかき込む。

 さっさと家を出て、牛小屋のそばに座り込む。そういえば僕、まだ名付けの儀の服のままだ。隣にブラス兄が座った。


「サウルにしちゃ上出来だな」


 ブラス兄が、腕を組んで言うが、八歳じゃそれほど迫力は無い。


「何が?」

「いつもなら、父ちゃんの説教に巻き込まれちゃうじゃないか。今日は家を早く出た。サウルにしては上出来だ」

「あぁ、うん」


 確かに。前の僕なら巻き添えを食らってただろうな。ブラス兄にしては的確だ。


「神殿の中ってどうだった?」

「たくさん本があったよ。あと……」


 しばらく色々話しているうちに、両親が出てきて休憩が終わった。

 別に手伝わなくても良さそうだったけど、いつものボロに着替え。しかし、このボロ、微妙に臭い。自分で洗濯しようかな。

 そして、畑仕事も牛の世話も手伝う。まぁ五歳の体じゃ、大したことはできないんだけどね。

 ただ、水を運ぶのは頑張った。桶に水を入れると十数キロ。これを頭に乗せて運ぶんだけど、僕はちょっとずるをした。誰も見てないところで泡倉にこっそり入れて運んだんだ。入り口を足元に作って、桶だけ入れて。大きな樽に登って桶の中身を入れるんだけど、上に登ってから桶を出して傾けるだけですんだ。


 15時頃、エミルとアニタが様子を見に来てくれた。僕が元気そうだと分かると、ニコニコしてくれて、こっちもうれしくなったよ。母が、遊んでおいでと言ってくれたので、お手伝いから離脱。

 エミルは「元気になるおまじない」といって蛇の抜け殻の尻尾をくれた。エミルは村長の孫で男の子。黒髪でしっかりした顔立ち。多分、良い男になると思う。抜け殻のおまじないは、村長が教えたのかも知れないな。蛇は、前世でも死と再生の象徴だったそうだ。抜け殻を残して新しくなる様子が、そう連想させたらしい。

 アニタは、女の子らしく5mmほどの小さな紫の花をたくさん持ってきてくれた。アニタはいっつもニコニコしている。細い金髪でフワフワしていて、気がつくとエミルと一緒にいる。鋳掛のゴンザロさん所の娘。ん? なんだろ。胸が苦しいような。

 花を生ける気の利いた容器なんて無いから、アニタの小さな両手に載せて。一本一本は茎を入れても2~3cm。でもたくさんあるから、アニタの小さな両手からはみ出しそうだ。花瓶なんてうちには無いから、押し花にでもしようか。


 しばらく三人で追いかけっこしたり、土をひっくり返して山を作ったりして遊んでた。ミミズとゴミ虫で冒険者ごっこするとアニタが泣いちゃって、エミルと僕は宥めるのに一生懸命だった。

 夕方になって、解散して夕ご飯のお手伝い。夕ご飯を食べた後は、直ぐ眠った。


 次の日も次の日も、同じように手伝いをしたり、遊んだりしていた。

 でも、だんだん父はイライラして怒鳴りつける事が増えていて。母は何か心配事があるような雰囲気。兄は我関せずで牛の世話。

 父が僕を不機嫌そうに見ることが増えた。

 怒鳴りつけられるけど心当たりが無い。

 僕はいたたまれなくて、泡倉に入り浸るようになった。

 まだ泡倉の管理人には会えてない。一人で行ってるのに。ロジャーおじさんに聞くと、近くに居ないらしい。

 泡倉の広場で空を見上げると心が落ち着いた。

 濃厚なエーテルが良かったのかも知れない。

 村と泡倉の天気は別物で、村が晴れていても泡倉は雨ということもあった。

 鳥や獣の声はしたけど、それを目にすることは無かった。


 名付けの儀から十日。五月の中旬に入った日。お昼の手伝いをしようと家に向かうと、両親が話し合ってるのが聞こえた。

 入り口の扉は閉まっているが、隙間だらけの我が家だ。ちょっと耳を澄ませれば、会話の中身はおおよそ分かる。まぁ最近は、わらと土を混ぜた物を隙間に詰め込んで、ちょっとマシになってるけど。


「俺は、サウルは変わったと思う」

「……はい」

「神官様達は大丈夫と言ったそうだが、なんか変だ」

「ええ、聞き分けが良くなって、お手伝いを進んでやって、いたずらもしなくなって。急にお兄ちゃんになったわね」

「牛の水な、樽一つ運ぶのが早くなった。終わっても疲れてない。あの年の子が出来る事じゃ無い」

「かまどの扱いが上手になって楽になったわ。もうブラスよりよっぽど賢くて」

「だが悪い。俺は、サウルが気持ち悪い」

「……あなた……」

「あれは、いつもニコニコして、頭がついてんだかついてないんだか分からなくて、はなたれだった俺たちのサウルじゃない」

「……あなた……」


 両親は泣いているみたいで。僕は中に入ることができなかった。

 どうすれば良いのか分からずにしばらくじっとしていると、ブラス兄が


「サウル、そんなとこで何やってんだ?」


 と声をかけてきた。

 家の中の気配が変わって、気づかれた事が分かった。

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